第36章悲しみの自然
フローラが放つ無数の蔦を紙一重で回避しながら、シャレンティエンは彼女との距離を突めていく。
「フローラちゃん……っ!」
その細い腕を掴み、正気を取り戻させようとしたその瞬間。横から伸びてきた白色の髪の男クロノスが、シャレンティエンの腕を強引に掴み上げた。
「無駄な足掻きですよ、シャレンティエン。友を助けたいというお気持ちは十分に分かります。ですが……!!」
クロノスは冷酷に言い放つと、シャレンティエンの身体を鮮やかに背負い投げした。地面に叩きつけられた衝撃で息が詰まる彼女へ、フローラの蔦が即座に襲いかかり、全身をがんじがらめに縛り上げる。
「無駄ですよ。もうそこに、あなたの知るフローラはいません。彼女の体を改造し、作り出した実験体改造竜の成功体の一つ……それが今の彼女です」
クロノスは懐中時計を見つめながら、淡々と語る。
「本当はあなたもそれになる予定だったのですがね……。余計な邪魔が入り、逃げられてしまったので。非常に残念でしたよ」
そう言うと、クロノスは倒れるシャレンティエンの顔面を靴底で踏みつけようとした。
「ちぃ……ッ! 私はお前たちみたいな、人の心を持たない奴らが大嫌いだ!」
シャレンティエンは執念で顔を上げ、泥を吐き捨てて立ち上がる。
「人の心、ですか……。そんなものはとうの昔に捨てましたので、痛くも痒くもありませんね」
クロノスは冷たい手でシャレンティエンの首を掴み、そのまま容赦なく締め上げた。呼吸を止め、確実に殺しにかかる。
「ああ、そうかい……。だったら、魔能――!」
シャレンティエンは力づくで左手の拘束を引きちぎり、クロノスの腕を掴もうとした。しかし、その指先が触れる直前、彼女の左手の動きが、まるで空間ごと凍りついたようにピタリと停止した。
「やらせませんよ。魔能― タイム・ロック」.
クロノスの冷徹な声が響く。
「ここで死んでもらいます……。今のあなたを見ていると、改造するよりもここで命を絶っていただいた方が、後々都合が良さそうですのでね……」
首を絞める力がさらに強まり、シャレンティエンの意識が遠のきかける。
さらに、操られたフローラが近くの魔物たちを呼び寄せ、シャレンティエンに追い打ちをかけようと牙を剥いた。
「が、は……フローラ……!!」
シャレンティエンは最後の力を振り絞り、右手を縛っていた蔦をも引きちぎった。そして、懐から一本の木製の笛を取り出し、フローラの目の前に掲げた。
「これを……見てくれ……っ!!」
その瞬間、殺意を孕んだ魔物たちが一斉にシャレンティエンの身体に噛みついた。鋭い牙が肉を裂き、鮮血がどっと流れ出す。それでも、シャレンティエンは痛みに顔を歪めながらも、悲痛な叫びを上げ続けた。
「フローラ……これ、あんたの魔能がこもった……あの時貰った笛だ……! 私は今でも、これをずっと大事に、大切に持っている……っ! 私の、たった一つのお宝で……お守りなんだ!! どんなに辛い時もこれを見て、励まされて……頑張ろうって思えたんだよ……!!」
「シャ……レン……」
フローラの瞳から、一筋の涙が溢れ落ちた。
奇跡的に正気を取り戻した彼女は、シャレンティエンを縛っていた蔦の拘束を解き、魔物たちの動きを完全に停止させた。
しかし――次の瞬間、ドスッという鈍い音が響いた。
フローラの腹部を、背後からクロノスの鋭い手刀が容赦なく貫いていた。
「チッ、やはりまだ未完成でしたか。感情を出されては困るんですよ」
クロノスが腕を引き抜くと、フローラはその場に糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「あ……、あぁ……」
シャレンティエンは血の流れる首を押さえながら、ふらふらと立ち上がった。その瞳には、今までにないほどの深い絶望と、激しい怒りの炎が燃え盛っていた。
「殺す…………。お前を、絶対に殺す……!!」
地を蹴り、シャレンティエンが超至近距離からクロノスへ殴りかかる。
「右手が一時的に使えないなら、左手も使えなくしましょう。魔能タイム・ロッ……」
「させねぇよ……!!」
シャレンティエンの執念の左拳が、クロノスの魔能を遮り、その腕を深く切り裂いた。
「ハハハ……なかなかの攻撃ですね。ですが魔能タイム・ワープ」
クロノスの姿が一瞬にしてかき消え、次の瞬間にはシャレンティエンの背後に現れていた。気配に気づいたシャレンティエンが身をかわそうとするが、それよりも早く、強烈な蹴りが彼女の背中に炸裂する。
ドゴォン!! と激しい音を立てて、シャレンティエンの身体が近くの巨木へと叩きつけられた。
「魔能タイム・リターン」
クロノスが不敵に微笑んだ瞬間、世界の時間が巻き戻る。シャレンティエンが背後に回られたその瞬間へ。
シャレンティエンは反射的に後ろ蹴りを放とうとしたが。
「魔能タイム・ロック」
後ろ蹴りを出そうとした彼女の足が、空中でピタリと停止させられる。完全に自由を奪われた首を掴まれ、シャレンティエンは再び大木へと激しく頭部を叩きつけられた。
「魔能タイム・リターン」
叩きつけられる直前に時間が戻り、そして再び、容赦なく頭部が木に叩きつけられる。
時間を巻き戻されながら、何度も、何度も、暴力のループが繰り返された。
「ガハッ……!?」
シャレンティエンは大量の血を吐き出しながらも、意識を保ち、必死に抗おうとする。
「死ぬ間際まで抗うとは……無駄なことを」
「魔能黒炎斬り!!」
その時、木の奥から一筋の漆黒の炎が飛び出してきた。
試練を乗り越え、ボロボロになりながらも駆けつけた黒ドラくんが、黒炎をまとった刀を全力で振り下ろしたのだ。
「黒竜ですか……。面倒ですね、あなたの相手をしている暇はないのですが」
クロノスはシャレンティエンを掴んでいない方の手で、黒ドラくんの刀の刃を素手で掴み取った。
「なめるな……っ!」
黒ドラくんが魔能を込め、黒炎の熱度を一気に引き上げる。極限の熱に、クロノスの手のひらがジリジリと黒く焦げ始めた。
「くっ……!」
たまらずクロノスは手を離し、後方へと大きく距離を取る。
黒ドラくんはすさまず追撃のために接近したが、クロノスは咄嗟に、ぐったりとしたシャレンティエンの首を絞めながら、自分の盾にするように前に突き出した。
「このゴミが『燃えるゴミ』になっても構わないのでしたら、これ以上近づいてもいいですよ?」
黒ドラくんはピタリと動きを止め、武器を構えたまま警戒を強める。激しい怒りを込めて、クロノスを睨みつけた。
「ゴミなのは、あなたの方だと僕は思う……!」
「そうですか」
クロノスはつまらなそうに言うと、掴んでいたシャレンティエンの身体を地面へと放り投げた。
「時の運命は、まだあなた方が生きるべきだと示しています。さあ、どうします? このゴミを連れてここを去るか、あるいはこのゴミもろともここで死ぬか……。選ぶのはあなた次第。それがあなたの運命なのですから」
「去るわけがない……! お前のような奴は、ここで僕が斬る!」
黒ドラくんが再び踏み出そうとした、その時だった。
グラグラグラッ!! と、先ほどまでとは比較にならない規模の巨大な地震が、島全体を揺るがした。
背後にそびえ立つ火山から赤黒いマグマが激しく噴出し、黒煙を上げながら、アルマジロのような体に燃えたぎる巨大な竜の顔が姿を現す。
「……そろそろこの場から去った方がいいんじゃないですか?」
背後の闇から、白いフードを深く被った男が静かに現れた。
「そうですね……。炎魔竜が復活したということで、作戦の第一段階は成功。……ところで、あの妖刀はどうなっています?」
クロノスの問いに、白いフードの男は不敵に微笑む。
「今、自分の仲間に取りに行かせているところです」
「そうですか。ならば、私たちもそちらへ向かいましょう」
二人の会話を聞き、黒ドラくんは逃がすまいと道を塞ごうと移動した。しかし――。
「魔能――『タイム・ロック』」
クロノスが懐中時計をカチリと鳴らした瞬間、黒ドラくんの身体の自由が完全に奪われ、足が地面に張り付いたように動かなくなった。
「また会いましょう……黒竜」
クロノスと白いフードの男は、道場の方向へと悠然と歩き出し、そのまま深い森の中へと消えていった。
直後、遠くからパチン、と指を鳴らす音が響く。
その瞬間、黒ドラくんの身体が再び動くようになった。
黒ドラは刀を鞘に収めると、すぐに倒れているシャレンティエンさんのもとへと駆け寄った。
「大丈夫ですか!? 立てますか!?」
「だ……い、じょうぶだ……。助けに……きて……くれて、……ありがとうな……」
シャレンティエンさんは、傷ついた首を手でおさえながら、荒い息の下から途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「あまり、喋らない方がいいです!」
「だい……じょうぶ、だと……いっている……だろ……。それより……ど……道場へ、向かうぞ……」
「……分かりました」
シャレンティエンさんは黒ドラくんの肩に掴まり、痛みに耐えながら一歩を踏み出す。
二人は満身創痍の身体を引きずりながら、仲間たちが待つ道場へと急いだ。




