第29章鏡の中に入る方法
ミカエルは路地裏の鏡に触れるが、その表面は冷たいガラスの感触を返すだけだった。
「……触れても、何の反応もないか。当然だな」
彼女は鏡の周囲を丹念に調べるが、魔法的な紋様も仕掛けも見当たらない。
「一旦、他の場所にある鏡も確認するぞ」
僕はミカエルさんに付いて、市街地に点在する鏡を回った。
二箇所目、三箇所目……。どれも共通しているのは、太陽の光が届かない、ジメジメとした暗い影の中に設置されていることだった。
「……全部同じに見えますね。何か意味があるんですか?」
「微かな違和感も見逃すな。……残り二個だ。行くぞ」
四箇所目も同様。そして最後、広場の隅に置かれた五枚目の鏡だけは、中央に大きな亀裂が入っていた。
「……ミカエルさん。これ、全部『光が当たらない場所』に置かれていませんか?」
僕の指摘に、ミカエルが足を止めた。
「……確かに、単に目立たない場所を選んでいると思っていたが、光を避けているのだとしたら……。黒竜、この鏡を日向まで運ぶのを手伝ってくれ」
「分かりました!」
僕たちは重い姿見を抱え、影から抜け出し、正午の太陽が降り注ぐ大通りへと引きずり出した。
一方、鏡の中の世界――
「ねぇ、サトミちゃん。サトミちゃんはどうしてここに来たの?」
「…………」
里見は問いに答えず、沈黙を貫く。
「……? もしかして、ちゃん付けは嫌だったかな?」
ルポは年相応の少女のように、不安そうに顔を覗き込んできた。
「……ううん、呼び方はそれでいいわ」
「よかったぁ。ありがとう、里見ちゃん! でも、さっきからずっと、何か悩んでいるような顔をしてるね」
「……ここから出る方法を探しているだけよ」
「ふふふ。それは嘘だね。もっと別の、心の奥にある悩み……私には分かるよ?」
里見は唇を噛んだ。敵であるはずの存在に、心を見透かされているのが癪だった。
「……話せば楽になるのに」
「あなたは、私の敵でしょう……?」
「ふふふ、そうだね。でも、今は友達でしょう? 敵とか味方とか関係なく、話してほしいな」
ルポの純粋な、一点の曇りもない瞳に当てられ、里見はついに堰を切ったように言葉を漏らした。
「……仲間の一人と、仲違いしているの。私が……その子を、守れなかったから。ずっと、喧嘩したままなのよ」
「……そう。なら、仲直りした方がいいと思うな」
「でも、今さらどう言えばいいのか……」
「勇気が出ないなら、もう一人の仲間に仲介してもらうか、自分で一歩踏み出すか……二択だよ。サトミちゃんは、本当はどうしたいの?」
里見は、自分の心にすとんと落ちる音を聞いた。
「……分かったわ。外に出られたら、ちゃんと向き合ってみる。……その代わりに、今度は君のことを教えて。君は一体」
その言葉が終わる前に、空間が激しく震動した。
頭上から、鏡を透過した「太陽の光」が鋭い槍のように差し込んできたのだ。
「……っ!? あつい、熱いよぉ……!!」
光を浴びたルポの体が、ボロボロと崩れ始める。美しい肌が溶け、肉が剥がれ、白い骨が剥き出しになっていく。
その背骨から、禍々しい骨の質感を持った一本の『魔剣』が突き出した。
魔剣はルポの意識を飲み込み、彼女の肉体を再構築していく。
現れたのは、四足歩行の巨大な骨の竜。
口内には巨大な眼球が収まり、頭部には不気味な花嫁のベールを被っている。
骨の翼を広げ、それは悲鳴のような咆哮を上げた。
「ウガァァァァァァァァァ!!」
衝撃波で鏡の世界にヒビが入る。怪物は狂ったように周囲を破壊しながら叫んだ。
「……どこにいますか!? どこにいるのですかぁぁ!! 暗黒大帝竜様ぁぁぁ!!」
「なっ……!?」
里見が息を呑む間もなく、竜の口内にある眼球から漆黒のレーザーが放たれた。
内側から粉々に砕け散る鏡の世界。
次の瞬間、僕たちの目の前――現実の街に、巨大な異形の竜が姿を現した。
「暗黒大帝竜様ぁぁ! あなたはどこ……どこにいるのですか!!」
理性を失い、獣国の街を破壊し始めた。




