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ep.8 新天地と火の鳥

私が叫ぶと、炎の鳥は静かに身を低くした。その仕草だけで十分だった。私は迷わず、その背へ飛び乗る。


普通に考えたら、体が燃えそうで恐ろしい行為なのに、このとき私は、本能でそうするべきだと分かっていた。


炎の翼が大きく広がる。


ふわり、と私の体が浮き上がった。鳥は音もなく宙へ舞い上がる。十メートルほどある天井へ向かって、一直線に。そして、ためらうことなく、炎に包まれた鋭いくちばしを天井へ突き立てた。


すると、天井へ突き立てられたくちばしから、蜘蛛の巣のようにひび割れが走った。びきびき、と重苦しい音を響かせながら亀裂は一気に広がっていく。


その隙間から、一筋の光が差し込んだ。


(この光は、もしかして外の光?)


外に逃げ出せるのでは、と胸の奥で希望が弾けた。しかし、その喜びに浸る暇はなかった。


天井が崩れ、大小の石塊が頭上から降り注いできたのだ。

それなのに、耳を塞ぐような轟音は起こらなかった。まるで、音まで炎に呑み込まれたようだった。


(なんで音がしないんだろう? 鳥の力なのかな?)


だが、何故だろうと考える暇はなかった。


(ぶつかるっ!!)

私は反射的にぎゅっと目を閉じた。体に石の塊が当たり、怪我をするのを覚悟した。


そのとき、鳥の羽から、人魂のような小さな炎がいくつも舞い上がった。石片は、人魂を避けるように滑らかに横へ流れて落下していく。


私の体に石は当たらなかった。粉塵すら体を掠めない。


なぜだろうと思い、私は恐る恐る目を開く。


崩れ落ちた瓦礫は、私の周囲を避けるように床へ散らばっていた。


さっきまで飛んでいた小さな炎は、いつの間にか跡形もなく消えていた。


――炎の鳥が、私が怪我をしないように、守ってくれたんだ。一体、どうやって……?


不思議に思う暇はなかった。鳥は再び大きく翼を広げる。そして、ゆっくりと上昇飛行を始めた。


――ばれて、追われて連れ戻されたら、どうしよう……! 早く、どうか早く私をこのサイリンの城から連れ出して……!


私の願いに呼応するように、鳥は空高く舞い上がった。あともう少し高く飛べば、雲に届きそうなくらいに。


視界が一気に開けた。


――これが、外なんだ……!


青空は果てしなく広がっていた。


広い。今までいた小さな空間とはとても比較にならない。今まで窓越しにしか見られなかった空とは、まるで違う。端が見えない。


眼下には、豪奢なサイリンの王城が小さく見えていた。その周囲には、ずっと憧れていた城下町が広がっている。赤、青、紫――色鮮やかな屋根がどこまでも連なり、芸術国家の名にふさわしい美しい街並みを形作っていた。


――やっと、出られた……! 世界って、こんなに広いんだ!


炎の鳥は私が怖がらないよう、驚くほど滑らかに飛んでいた。それなのに景色は凄まじい速さで後ろへ流れていく。一刻も早く、この国から私を遠ざけようとしてくれているみたいだった。


私は落ちないよう、炎の羽へしがみつく。


不思議なことに、燃え盛る羽は少しも熱くない。柔らかな温もりだけが、凍え続けていた体を包み込んでいた。


そして、万が一鳥の背から落ちる恐怖より、私の胸を満たしていたのは喜びだった。


ずっと、城の外へ出たかった。この目で美しい空や街並みを見てみたかった。


風が頬を撫でる。銀髪が空へなびく。


(風って、心地いいんだ)


私の両目に、涙が滲んだ。もっと目の前の景色を見ていたいのに、視界はゆっくりと滲み、青空も街並みも淡く揺れて見えた。


息を吸う。冷たく澄んだ空気が胸の奥まで入り込み、体の内側まで浸透していくようだった。室内の空気よりも、ずっと新鮮だ。


――逃げたいと思えば、私でも逃げられるんだ……。


自分の気持ちに、蓋をしなくてよかった。もっと早く願えばよかった。こんなところから逃げ出したいと。


しばらくの間、私は炎の鳥の背に揺られながら空を飛び続けていた。


どれほど時間が経ったのだろう。時間の感覚はもう分からない。


眼下には、街だけではなく、どこまでも続く深い森や、巨大な橋、陽光を反射して輝く大河が広がっていた。どれも本の挿絵でしか見たことのない景色ばかりだ。


(魔界はなんて美しいんだろう!)


しかししばらくすると、胸の高鳴りに影が差してきた。


――家族が追ってきたらどうしよう……。私があの部屋からいなくなったことはもうばれたかな……。それに、これからどこに行けばいいんだろう。


鳥の目的地は分からない。私は外で生活したことなどないのだ。逃げ切れたとして、どうやって暮らしていけばいいのか。


不安が胸に広がっていく。

そのときだった。景色の彼方に、一つの巨大な城が姿を現した。


白を基調とした城だった。壁は雪のように白く、窓枠は澄んだ青。黄金色の屋根と塔が陽光を受けて輝き、まるで空へ向かってそびえ立つ神殿のように見えた。

不思議なことに、その城だけが淡く光をまとっているように見えた。


(あの城だ! あの城に行こう! 行きたい!)


私は、直感でそう思った。城以外の場所を知らないからかもしれない。視界一面に広がる家々や未知の建物に行きたいとは思わなかった。


それに、はっきりとした理由は自分でも分からないが、あの城にいけば、何かが私を助けてくれる気がした。


すると、私の感情に呼応するように、炎の鳥は大きく翼を傾けた。そして、一気に急降下を始め、城の最上階の窓へと向かっていく。窓はぐんぐん近づいてきた。


――ぶつかる……! このままじゃ、ガラスに突っ込んでしまう!


私は、悲鳴をあげそうになったが、むしろ喉が詰まった。


なんと鳥は、なんのためらいもなく、その窓へ突進したのだ。


ガシャァアアン!!!


凄まじい音がして窓ガラスが砕け散る。ガラスの破片が舞い、飛び散った。しかし、欠片一つ私には当たらなかった。炎の鳥が再び、人魂を飛ばしたのだ。炎は私の周囲をゆるやかに巡り、飛び散るガラス片を弾くように押し退けていく。


あまりの事態に、私は目を瞑って固くなっていた。舞い散るガラス片とわずかな煙のせいだろうか。こほこほと咳が止まらなくなる。


そのとき、不意に体がふわりと浮く感覚がした。

直後、両足がしっかりと床を踏みしめる感触が伝わってきた。


私は、咳込みながら、両目を開けた。


そこは、城中の悪魔たちが一堂に集まれそうなほど広い部屋だった。


壁という壁は天井まで届く本棚で埋め尽くされ、無数の書物が隙間なく並んでいる。高い天井からは豪奢なシャンデリアが二十ほど等間隔に吊り下がり、室内を柔らかな光で照らしていた。


だが、そんな壮麗な光景は、ほとんど目に入らなかった。


十歩ほど先に置かれたソファには、三人の長身の男性が座っていた。


紫の髪に紫の瞳を持つ男。 金髪に青い瞳を持つ男。そして、肩まで伸びた灰色の髪と灰色の瞳を持つ男。三人とも口を開けたまま、呆然と私を見つめていた。その顔には、驚愕がはっきりと浮かんでいた。


当然だ。突然、巨大な炎の鳥が窓を突き破り、見知らぬ少女が現れたのだから。


(そういえば、炎の鳥は……?)


私は慌てて辺りを見回した。


いない。あれほど巨大だった炎の鳥は、どこにも姿がなかった。まるで役目を終えたかのように、跡形もなく消えてしまっていた。


(どこへ行っちゃったの……?)


戸惑ったが、私はひとまず男性たちを見た。彼らは言葉を失い、直立不動で私を見つめていた。


――そりゃ、こうなるよね……。どうしよう…。もう、彼らに助けを求めるしかない!


私は足に力が入らなくなっていたので、その場に跪き、祈るように両手を組み合わせた。そして、縋るように彼らを見上げた。


「どうか助けてください! 私は逃げ出してきたのです! 私は、サイリンの姫です!」

いつもお読みいただきありがとうございます!

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