ep.6 私は王家の道具だった
――意味が分からない……。
「何これ……。どういうこと? お兄ちゃん? ……あなた、誰?」
ゼアキはゆっくりと私を見下ろした。その目に、兄としての優しさはない。あるのは、目的を果たした者だけが浮かべる満足げな笑みだった。
「俺はゼアキ=サイリンさ。お前の愛する兄だよ。そして、一族の王なんだ。」
私の唇が震えた。
ゼアキは胸の奥から込み上げる喜びを抑えきれないように笑った。
「俺はこの日を待ってたんだ!」
「どういうこと……? ねぇ! どういうことか教えてよ!」
ゼアキは一歩近づくと、再びしゃがみ込む。そして、甘く囁くような声で言った。
「説明は後だ」
その声は優しい。だからこそ恐ろしい。
「さあ、もっと俺を強くしろ」
口元がゆっくりと歪む。
「愛するカヤ」
ねっとりとした声音が私に絡みついた。
私は、血の気が引いた。この状況に、全く頭がついていかない。
「お兄ちゃん……。やめてよ」
「やめるわけないだろ。さあ、続けろ」
そう言うと、ゼアキは私を抱き寄せた。そしてまた、私の両手を包み込んだ。
――怖い……。何が起こってるの?どうして、お兄ちゃんがこんなことを……?
逆らう勇気はなかった。
私は目を閉じ、震えながら再度、望む。
――ゼアキの魔力を高めたい。もっと強く。もっと……。
何度も。何度も。願い続ける。
怖くて、兄の顔を見ることはできなかった。
部屋は静まり返っている。聞こえるのは、自分の荒い呼吸だけ。
ゼアキは狂喜から一転、無言で私を抱きしめて手を握っていた。
どれほど時間が過ぎたのだろう。
次第に、私の瞼が重くなる。急に、全身から力が抜けていく。
瞼が重い。眠い。どうしてこんなに眠いのだろう。
「……お兄、ちゃん……」
声も途中で途切れた。
私はゼアキの腕の中へ崩れ落ち、意識が暗闇へ引きずり込まれていく。
そのとき、部屋の扉が開いた。何人かの足音がして、皆が部屋に入って来た。
「素晴らしい!」
「流石は私たちの娘だわ!」
「壊れない程度に使わなくては」
――お母さん?お父さん?お兄ちゃんたちとお姉ちゃん?
これは家族の声だろうか。
私の意識は、そこでぷつりと途切れた。
◇◇◇
目を覚ました。
私は部屋の隅で横になり、黄色い毛布をかけられていた。部屋には誰もいない。
――ここ、どこなの?
ひんやりとした空気が肌を刺す。 思わず毛布を肩まで引き寄せ、身を縮めた。
寒い……。怖い……。家族はどうしたのだろうか。
そのとき、ふと別のことが頭をよぎった。
私が急にいなくなって、臣下たちは心配しないのだろうか。
今日は長時間の授業がある予定だった。急にその授業がなくなった教師は驚かないのだろうか、と。
いや、彼らも知っているに違いない。だって彼らは、サイリン王家に絶対の忠誠を誓っているのだから。
――私に忠実なんじゃなくて、兄や姉や父や祖父母に忠実なんだけど。
私は自嘲した。臣下は可憐な存在でも見るように私を可愛がる。そこからは、王族に対する敬意は感じられなかった。
――私に威厳や教養はないもの。仕方ないわ…。ところで、何が起きたんだろう?
私は寒さに震え、毛布にうずくまると、必死で、情報を整理し始めた。
読書していたら、私の体に異変が起こった。母と父とゼアキとセヤキは興奮した様子だった。そして、ゼアキが私をこの狭い部屋に連れこんだ。私は、ゼアキに命じられ、彼の魔力を高めたいと願った。どうやらそれは成功したらしい。ゼアキは、長年追い求めた宝をようやく手に入れた者のように笑っていたではないか。
――つまり、私には魔力を高める力があって、今日それが目覚めたってこと? 魔法が使えない私が、唯一使える力が、これ?
もしかして、家族はずっと知っていた? 彼らの反応を見る限り、今日を待ってた? まさか、臣下たちも?
(そんなまさか。そんなわけない!)
「ねぇ。嘘だって言ってよ。お兄ちゃん! お母さん! お父さん……! これは夢だって……! 誰か!」
叫んでも、誰も答えない。部屋に声が反響するだけだ。
怖い。状況が飲み込めない。
――もしや、昨日までは私は愛玩物? 今日からは、魔力を高めるための道具? 道具になったから、家族の態度が変わった?それとも、今日までの優しさが演技……?
安心させるためだろうか。家族や臣下を好きにさせて、私が彼らに協力的になるように誘導するためか。
だが、私はその考えを打ち消した。自発的に貢献させるためなら、こんな風に部屋に閉じ込める必要はない。家族に頼まれれば、私は喜んで力を使うだろう。
――こんな風に部屋に私を閉じ込めたのは、私から力を絞りとるため?
自分の考えに、ぞっとした。
自発的な貢献と、休息がほぼない状況下で命令されて力を使い続けるなら、どちらが効率的かは明らかだ。
震える手で毛布を強く握る。
私は扉へ目を向けた。
銀色の扉には、取っ手も、鍵穴もない。どうやっても、自分では開けられない。
恐怖が腹の底から込み上げてくるのに、頭だけが妙に冷静だ。
――ここから出たい。とにかく、温かい場所に行きたい。家族から、落ちついて話を聞きたい。
そう思ったときだった。部屋の扉が内向きに開いた。
足音も、扉の開閉音も一切しなかった。
サイリンの国王、ゼアキが入って来た。
ゼアキは扉を閉めると、幸せそうに笑った。
「これで、一族の悲願を達成できたよ」
――悲願って、何?
「さあ、カヤ。俺の魔力を再び高めろ」
言うなり、ゼアキは歩み寄って、毛布にうずくまっている私の前にしゃがみこんだ。
「お兄ちゃん…。いやだよ。怖いよ!」
「とっととやれ!」
怒鳴るなり、ゼアキは私の髪を引っ張った。
「やめて!」
小さな痛みに呻くと、ゼアキは一瞥を寄越した。
「さあ、やれ」
私はふらふらと起き上がり、ゼアキの手を取った。そしてまた願い出した。ゼアキを強くしたい、と。
はじめの内は恐ろしい顔をしていたが、次第にゼアキの頬が緩み始めた。彼は、満足げなため息を吐く。
「素晴らしい。凄いよ。世界一愛する俺の妹……」
「愛する……?」
――嘘つき。愛していたらこんな部屋に閉じ込めないでしょ……!
心の中で私は反発した。するとゼアキは、切れ長の目元を緩めた。
「愛してるよ。カヤ。その内お前は、俺だけのために力を使うようになるんだ。……結婚したらな。家族にはそれまで使わせてやる」
――気持ち悪い! ゼアキと結婚なんてしたくない!
こんな男を今まで家族として慕ってきたなんて、吐き気がする。
だが次第に、本当に吐き気が込み上げてきた。少しだけ、息が荒くなる。
「ゼアキ……。私、気分が……悪いの」
「ああそうか。力を使い始めたばかりだからな」
「力……?」
――この力って何? 魔力を、高める? ゼアキの魔力は今高まってるの?
だが、気分の悪さに耐えられなくなり、私はふらりと毛布に倒れた。
ゼアキは私に毛布をそっとかけると立ち上がった。
「また来るよ、カヤ。今度は家族も来る。皆の魔力を高めるんだ。いいな?」
返事をする気力はなかったが、私は思った。
家族がこの部屋に来るなら、一人ずつ、助けを求めてみよう。
――皆は私を愛してくれるもの。誰か一人くらい、胸を痛めて私を助けてくれるはずよ!
少しだけ、希望が見えた気がした。
安堵すると同時に、私は深い眠りに落ちた。
◇◇◇
どれくらい眠りについていただろう。私は、ゆっくりと瞼を開いた。吐き気や気分の悪さは、もうなくなっていた。
起き上がると同時に、扉が開いた。今度はセヤキが静かな微笑みをたたえて入って来た。
私は勢いよく立ち上がると、セヤキに駆け寄った。そのまま、抱きつくと縋るようにセヤキを見上げた。
「セヤキ、助けて! 私をここから出して!」
「お前、馬鹿か。出すわけないだろ?」
セヤキは、馬鹿にしたように笑った。
――馬鹿……? お兄ちゃんが私に、馬鹿って言ったの?
「お前はここで、ずっと働くんだ」
(働く……?)
その四文字が頭の中で反芻された。呆然としていると、セヤキは、私の肩を両手で軽く押した。意外に力が強く、私は床に尻もちをついた。
「さあ、俺の魔力を高めるんだ」
私は、兎のように縮こまった。
◇◇
セヤキのすぐ後に、父が部屋に来た。
「お父さん! 助けて! 寒いの! ここから出して!」
父に縋ると、今まで見たことないほどの冷たい眼差しに射抜かれた。
「それは無理だな。お前は素晴らしい娘だよ。私とミナエの誇りだ。……だがそんなことより、私の魔力を高めてもらおうか」
だんだん冷たくなっていく父の声が恐ろしかった。
――娘を誇るより、魔力増強? こんなの、お父さんじゃない……。
悪霊か魔物に父は取り憑かれてるんだ。そう思った方がましだった。
◇◇◇
私は、家族皆に助けを求めた。だが、皆は冷たくあしらった。
今までの優しい家族じゃないみたいだった。
来訪の頻度はゼアキが突出している。だが、十人の兄たち、姉、父、母、祖父母が代わる代わる部屋を訪い、私に力を使うように厳命した。
一日中、力を使っているせいだろうか。吐き気と激しい倦怠感が私を襲った。だが家族は、心配するどころか、私にますます力の使用を強制した。
体調が悪いからもう無理だと抵抗すると、始めはきつい言葉で叱責された。だが何日か経つと、叩かれたり、蹴られたりするようになった。私は、抗うことができなかった。
しかし、部屋の寒さや体調不良より、悲しみが私を刺した。体より、心が泣いていた。
――私のこと、愛してなかったの? 私は家族をあんなに大好きだったのに。始めから私を愛してなかったの?私はこんなに皆を大好きなのに。私、家族に捨てられたんだ……。
どんなに冷え切った灰色の瞳で見つめられても、私の心には、まだ家族を好きな気持ちがある。
――どうしてこんなことするの? 私のこと、愛してるんだよね? 愛してなかったなんて、受けいれられない! 家族は私を愛してるはずよ! 私を捨てないで! いやだ! いやだあ!
大粒の涙が瞳から落ちた。ポタポタと、床石に染みをつくった。
――どうして愛してくれないの?
家族はもう、私に優しく微笑んでくれない。温かい眼差しで見つめてくれない。
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