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ep.4 力が目覚める日

私は思わず身を乗り出した。


(一体、どんなに素敵な場所なんだろう?)


サイリンの城は美しい。

壁も、床も、天井も、精緻な文様で埋め尽くされている。


一つの模様の中にさらに模様が重なり、その中にまた別の模様が隠されている。虫眼鏡でようやく見えるほど繊細な装飾が、壁一面に果てしなく続いていた。


その上、緻密な加工が施された工芸品が飾られている。しかし、燭台の彫刻一つとっても、ただ細かい模様が彫られているのではなく、余白の取り方にすら職人の感性を感じさせる。


――そんな城より美しい場所。一体、どんな景色が待っているのだろう。


「聖堂まではかなり歩くから、瞬間移動魔法を使いましょう」

そう言うと祖母は両手を差し出した。


私は悪魔なのに魔法が使えない。だから、瞬間移動魔法を使いたいときは、他者から補助を受けるしかない。

祖母の手を取れば、二人で一緒に、瞬間移動魔法で聖堂まで行くことが可能だ。


――瞬間移動魔法が使えれば、私も、城以外の場所に行けるのに。こっそり抜け出せるのに。

ふとそう思ったが、不安が湧き上がってきた。


――でも、知らない場所に内緒で行ってしまったら危ないんじゃないかな?


家族も臣下も、城外は危険だから出てはいけないと私に言う。


――変なの。皆は、城の外に行くじゃない。外出は普通にするじゃない。


私はいつも通り、疑問を胸の奥に押し込めた。外出許可は出ないのだから、考えたって仕方ない。


「おばあちゃん、なんで私だけ魔法が使えないの? お兄ちゃんもお姉ちゃんも、お母さんたちも臣下も、魔法が使えるのに……」


祖母はおっとりと微笑んだ。

彼女の灰色の瞳が冷酷な鋭さを孕んだ気がするのは、きっと気のせいだろう。


「カヤ。気にしなくて良いのよ。そのうち使えるようになるわ」

「そっか……。分かった……。」


――私が使えるようになる魔法って、どんな魔法なのかな?


私はそう思いながら、祖母の両手を握った。

すぐに祖母は瞬間移動を発動した。

突然、閃光を食らったような感覚が体を襲い、視界が反転する。次の瞬間には、私と祖母は聖堂の中央に立っていた。


「わぁ……! なんて見事なの!?」

私は目を見開き、円形の聖堂を見渡した。聖堂は、三百人ほどが入れそうな空間だった。


ドーム形の天井には照明がないにも関わらず、聖堂全体が夕日のような柔らかいオレンジ色の光で包まれている。そのせいか、じんわりと温かい。


その光だけでも神秘的で、畏怖の感情が湧き上がってきたが、何より、天井画と壁画に圧倒される。


天井には蔓を触手のように組み合わせた模様が緑色をベースに描かれている。壁にはアゲハ蝶の羽を組み合わせたような複雑怪奇な模様が紫と黒色を基調に描かれていた。


口をあんぐり開けてしまうほど、その模様は細かい。虫眼鏡では不足だ。顕微鏡を使わないと分からないほどの絵柄が、図形の中にいくつも隠されている。


対照的に、床は真紅一色だった。


空間自体は温もりがあるが、触れなくても分かる。床石や壁は、ひんやりと冷たいのだろう。


「こんな場所はきっと、魔界に一つだけだね……」

あまり衝撃に、私の声は震えた。

祖母は誇らしそうに顔をほころばせた。

「でしょう?」


私はしばらく、聖堂に見入っていた。歩きながら、じっくり眺める。何度も、ため息が溢れる。そんな私を祖母は隣で楽しそうに見つめていた。


しかし、急に私は違和感に気づいた。

この聖堂には、椅子も祭壇もない。家具も燭台も、物が何一つとしてないのだ。


加えて、ドーム形の小さな聖堂なのに、音が反響しない。私が歩く靴音すら響かない。


むしろ、音が建物に吸い込まれていくようだった。


(防音になってるのかな?)


私は首を傾げて祖母を見上げた。

「ねぇ、おばあちゃん。なんでここには何もないの?」

祖母は、一瞬だけ息を止めたように見えた。そして、不自然なくらい硬い笑みを返した。

「今は何もしないからよ」


(今は?)


「この聖堂では何をするの?」

「楽しいことをするのよ」

「……楽しいことって何?」

「カヤはまだ知らなくていいわ。あなたは年齢のわりに幼すぎるもの。なんでかしら? 皆が甘やかしすぎたせいかもね」


――ここは普段、何をする場所なの? 何かするときは、どんな道具を運び入れるのかな? 私がもう少し大人になったら教えてもらえるのかな?


そう思ったそのときだった。祖母が急に私の両手をそっと握った。

「もう帰りましょう。驚いたみたいだし、見学は十分よ」

「え? もう帰るの?」

「そうよ」

「そっか……」

(まだ見ていたいな)

そう思ったが、その気持ちは押し込めた。


あまりに現実離れした完成度を誇るからだろうか。

私が聖堂を見ているのではなく、聖堂に見られているような奇妙な感覚が湧き上がってきたからだ。


私は何も言えないまま、小さく頷いた。


◇◇◇

聖堂を見学してから、およそ三十日が過ぎた。


その日、私は城の一室で勇者の冒険譚を読んでいた。

あまりにも面白くて、続きが気になる。ページをめくる手が止まらない。


向かいのソファでは、ゼアキとセヤキもそれぞれ読書をしていた。二人は足をゆったりと組み、王族らしく優雅にくつろいでいる。


少し離れたソファでは、父と母が一冊の画集を並んで眺め、小声で感想を語り合っていた。


部屋に響くのは、紙をめくる音と、二人の穏やかな笑い声だけ。

静かで、心地よい午後だった。


――この洞窟の中に、秘宝はあるのかな?


はらはらしながらページをめくろうとした、そのときだった。

突然、全身がかっと熱を帯びた。


「……え?」

息を呑む間もなく、今度は体の奥を電流のようなものが駆け巡る。びり、と。太い蛇のような稲妻が体内を這い回るような、経験したことのない感覚に襲われた。

「っ……!」


力が抜ける。


指先から本が滑り落ち、床へ鈍い音を立てた。

そのまま私もソファから崩れ落ち、膝をついた。

呼吸が少しだけ浅くなる。

熱い。息が詰まる。

何が起きているのか分からない。


恐る恐る顔を上げると、四人がこちらを見つめていた。


彼らの異様な表情に、胸が凍りつく。


誰一人として駆け寄ってこない。心配そうな顔もしない。まるで長年待ち続けた奇跡を目の当たりにしたように、四人の瞳だけが爛々と輝いていた。


ぎらついた視線だった。その瞳からは興奮が隠そうともせずに溢れている。


父と母は画集を床へ落とし、ゼアキとセヤキも読んでいた本を放り出して立ち上がった。

全員の視線が、私だけへ注がれている。


やがてゼアキが一歩近づき、私を見下ろして静かに言った。

「ようやく、力が目覚めたんだな」



いつもお読みいただきありがとうございます!続きも毎日20:30に更新しますので、少しでも面白いと思ったらブックマークで応援していただけると嬉しいです

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