ep.3 私の名前は"最高傑作"
ぞくり、と私の背中が粟立った。
「どういう意味?」
(なにそれ……。私、姫なんだけど。怖い……)
「なぜかね、サイリンの王族の女性たちは、結婚して子どもを産んで数年すると、役割を終えたように、皆死ぬのよ」
「……え?」
一瞬、頭が真っ白になった。
――死ぬ? みんな? どうして? まさか、私も兄と結婚したら……? いや、それよりも――
「じゃあ、なんでお母さんとおばあちゃんは死んでないわけ?」
私が恐る恐る尋ねると、母は余裕のある笑みを浮かべた。
「だって私たちは、夫に愛されてるもの。他の女性たちは愛されてなかったんじゃないかしら?」
私は顔面蒼白になっていた。
「……私は? 私も出産が終わったら死ぬの?」
「あなたは死なないわよ。だって愛されてるじゃない」
母は当然のように、楽しそうに笑った。
「愛されてたら死なないの?」
「ただの噂なのよ。確かにサイリンの王族の女性たちは、昔から何人も若くして亡くなっているけれど、病だったのか、事故だったのか、本当のところは誰にも分からないわ」
死なないかもしれないと分かり、私はほっと息を吐いた。だが、体の震えがとまらなかった。
――結婚数年後に、皆死亡? 理由は夫に愛されてなかったから? それとも病死? そんなことある? 本当に偶然? それが私に適用されない保証、ある?
「死因は、本当に病死なの?」
「きっとそうじゃない? サイリンの女性は病弱な方が多かったんでしょうね。もしかしたら、出産が体に負荷だったのかも」
「……そうなんだ」
「話が少し逸れたけど、お見合いの話に戻りましょう。私は最初、国王様に会ってかなり緊張していたわ。結婚したら死ぬって思ってたし」
「そりゃそう思うよね」
「でも死んでないでしょう? まあ、生きてるのはサイリン史上、私と義母だけだけど、噂が事実なら私たちも死んでるわよ」
母は冗談めかして笑った。
――やっぱり、死んだのは偶然なのかな? 噂が一人歩きしてるとか? そもそも王族の死因が簡単に分かったら問題だよね。
喉に丸薬がつかえたような違和感が残ったが、私は無理やり飲み込んだ。それに、母の話の続きが気になる。
「それはさておき、お見合いのお話に戻りましょうか」
母はふっと表情を和らげた。
「私たちは一緒に食事をして、城の中を歩いたの。サイリン自慢の工芸品や絵画、それに織物を見せてもらってね。どれも本当に美しくて、まるで異界に迷い込んだみたいだったわ」
母の瞳が懐かしそうに細められる。
「お父さんは、一つひとつ丁寧に説明してくれたの。私が少しでも興味を示すと、とても嬉しそうに笑ってね。気づけば時間なんて忘れてしまっていたわ」
「そんなに話が合ったの?」
「ええ。好きな花の話もしたし、子どもの頃の思い出も話したわ。気がついたら夜が明けていて、お互い少しも眠くなかったの」
母は恋をする少女のように頬を緩める。
「そのとき、お父さんが言ってくれたの。『ミナエという名前のとおり、君は輝くように美しい』って」
「わぁ……そんなこと言われたら、好きになっちゃうよ」
「ふふ。本当に嬉しかったわ」
母は照れくさそうに笑った。
「ところで、お母さん。ミナエって、どんな意味なの?」
「『輝く光の花』という意味よ」
「素敵な名前!」
私は心からそう思った。そして、ふと気になって尋ねる。
「じゃあ、私の名前は? カヤって、どういう意味なの?」
そのときだった。母の笑みは消えなかった。けれど、その瞳だけが、ぞくりとするほど冷たい光を宿した。
「カヤという名前はね――『最高傑作』という意味よ。」
母は私の頬をそっと撫でる。
「あなたは素晴らしいわ。サイリンの最高傑作なのだから」
――最高傑作? どういう意味? 単純に賛辞? 愛らしさの最高傑作とか?
私は気になったが、一旦置いておくことにした。今は母の話が気になっていたし、母が続きを語り出したからだ。
「私はね、お父さんに、家族からいじめられてるって、泣きながら打ち明けたのよ。そしたらお父さんは私のために怒ってくれたわ。そして後日、私と結婚するという書状が祖国に届いたの。私は家を出たかったから、すぐにサイリン国王と結婚したわ」
「そんな素敵なラブストーリーがあったんだね。私、ドキドキしちゃうよ……」
私が毛布を握りしめると、母は楽しそうに笑った。
「お父さんはね、私のために怒ってくれて、祖国を滅ぼし、私をいじめた家族に罰を与えてくれたのよ」
「……は?」
数秒間、意味が理解できなかった。
――母の祖国を滅ぼした? 理由はいじめ? 関係のない国民まで巻き込んで?
それだけでも衝撃だったのに、別の疑問が次々と頭に浮かぶ。
祖国が滅べば、母は母国という後ろ盾を失う。そうなれば、サイリンで母を守るものは、父の寵愛しかなくなってしまう。それでは母は、この国で孤立してしまうのではないか。
いや、違う。母は父から深く愛されている。その愛が揺るがない限り、臣下たちは母を敬う。だから、それで良かったのだろうか。
そんな考えが、嵐のように頭の中を駆け巡った。
答えは出ないまま、胸の奥に小さな棘だけが残る。
そのとき、不意に部屋の扉が開いた。
「ミナエ。会いたかったよ。……あれ? カヤもいたのか。お母さんに甘えていたんだね」
お父さんが微笑みながら部屋へ入ってくる。
真っ直ぐ母のもとへ歩み寄ると、その頬をそっと両手で包み込み、愛おしむように口づけた。それは、あまりにも自然で、あまりにも幸せそうな光景だった。
私は思わず視線の置き場に困り、毛布を胸元まで引き上げる。
長い口づけを終えたお父さんは、名残惜しそうに微笑んだ。
「ゼアキが呼んでいるよ。明日来る来賓の応対について相談したいそうだ」
「あら、そう。それじゃあ行ってくるわ。おやすみ、カヤ」
お母さんは私の頬へ優しく口づけると、羽織をまとい、部屋を後にした。
閉まった扉を見つめながら、小さく息をつく。本当は、今日はお母さんと一緒に眠りたかった。
「カヤ。今夜は私と寝よう」
「うん、お父さん」
お父さんが隣へ横になる。
幼い頃から、家族と眠る時間は大好きだった。けれど今夜は、胸の奥に引っかかった違和感が消えない。
意を決して、私は口を開いた。
「……お父さん。本当に、お母さんの祖国を滅ぼしたの?」
父は片眉を上げた。
「なんだ。ミナエから聞いたのか。そうだよ。軍を動かして滅ぼした」
「……」
まるで、今日の天気でも話しているかのようなあまりにも淡々とした口調に、私はなんだか怖くなってしまった。
「だがな、ミナエは喜ばなかった。何日も泣いていたよ」
「そうだったの?」
――なんかおかしいな。お母さん、さっきは楽しそうに笑ってなかったっけ?
「でもお母さんは、喜んでるみたいに見えたけど?」
「ああ」
お父さんは穏やかに微笑んだ。
「それはな、私が魔法でミナエの性格を変えたんだよ」
「変えた……?」
「傷つき続けるのは可哀想だったからね。残酷になれるようにした。そうすれば、苦しまなくて済むだろう?」
「……は?」
――魔法で性格を変えた? それは、愛する女性にすることなの? それとも、よかれと思ってやった? お父さんなりの親切心?
「それだけじゃない」
お父さんは当たり前のように続ける。
「私を一生愛する魔法もかけたよ。彼女が私だけを見て永遠に私を愛してくれるようにね」
――なにそれ……。お父さん、怖すぎる……。
それは、支配か愛か。愛しているのに歪んでいるではないか。
ただ、お父さんは少しも悪びれていなかった。むしろ、大切な人を守れたと信じているように見えた。
「……お父さん。私、もう寝るね」
ぎこちなく笑うと、お父さんは優しく私の頭を撫でた。
「おやすみ、カヤ」
その手は、いつもと変わらず温かい。なのに、私はその温もりを、少しだけ怖いと思ってしまった。
(一旦、考えるのはやめよう――今は考えない)
考えたら、眠れなくなってしまう。それに、もう眠たい。寝る時間だ。そう自分に言い聞かせると、私は目を閉じた。
やがて意識は、静かに闇へ沈んでいった。
◇◇◇
翌日、私は祖母と二人、離宮で絵を描きながら穏やかな時間を過ごしていた。
今日は城へ来賓が訪れる日だ。そんな日や時間帯は決まって、私は離宮へ移される。
私は、来賓に会わせてもらったことは一度もない。彼らに挨拶したこともない。姿を見せたことすらないのだ。
――やっぱり、私は隠されている。
そんな考えが胸をよぎったが、私は何も言わなかった。
今日はこの離宮に、祖父の姿はなかった。
「おばあちゃんは凄く絵が上手だよね……。黒と白の絵の具しか使ってないのに、絵に奥行きがあるよ。むしろ、他の色を使ったら邪魔になりそう……」
私は思わずため息を漏らす。
祖母は城でも随一の絵師として知られている。その筆使いは、まるで魔法だった。
祖母が紙に線を二本引き、画面を割るだけで、紙面に三つの世界が生まれるようだ。
祖母は絵の中を線で区切り、三つの場面を描いていた。
画面中央には、一人の堕天使。左には闇へ舞い落ちる漆黒の羽。右には、散らばった数枚のタロットカード。画面全体では、濃淡だけで表現された幻想的な影が静かに揺れていた。
「あら。ありがとう」
祖母は穏やかに微笑む。
「カヤの描き上げた妖精たちの絵も素敵よ。特に髪の色使いが良いわ。これほど多くの色を使っているのに、画面が少しも騒がしくならないもの」
「えへへ。ありがとう」
――おばあちゃんみたいな絵が描けるようになるまで、何十年かかるんだろう。……私の一生じゃ足りないかもしれない。
私は絵筆を走らせる祖母の細く白い指先を見つめる。
その姿は、絵を描いているというより、一枚の芸術作品そのものだった。
悪魔は人間のように老いない。だから祖母も、年齢を感じさせない麗しい姿のまま、静かに微笑んでいる。
やがて祖母は筆を置いた。
完成した絵を見た途端、あまりの迫力に、私は圧倒されてしまった。
「うわぁ……。凄すぎるよ。異次元の才能だよ」
祖母は何も言わず、にこにこと私を見つめていた。
しばらくして、静かに口を開く。
「カヤ。今日は聖堂に行ってみましょうか?」
「えっ?」
私は顔を上げる。
「城に聖堂なんてあるの?」
「ええ。敷地の一番奥にあるのよ。聖堂では特別なことをするの。サイリンで最も芸術的な場所よ。城を凌駕する素晴らしさだから、見学するといいわ」
「ほんと!? 行ってみたい!」




