ep.26 私の部屋と恋人繋ぎ
「うん!行ってみたい!」
私が頷くと、彼は嬉しそうに微笑み、私の両手を自分の手で包み込んだ。
次の瞬間、彼が瞬間移動の魔法を発動する。
視界がぐにゃりと歪み、足元の感覚が一瞬だけ遠のいた。
やがて景色が定まると、私たちは十畳ほどの小さな部屋に立っていた。
「わあ……!可愛い部屋!」
思わず、弾んだ声が漏れる。
部屋は白を基調に整えられていた。
天蓋付きのベッドに、優美な彫刻が施された机と椅子。壁際には、扉一面に繊細な模様を刻んだクローゼットが置かれている。
華やかなのに派手すぎず、柔らかくて落ち着く空間だった。
私は真っ先に机へ目を向けた。
天板は広く、大きな画用紙を広げても十分な余裕がありそうだ。絵の具や筆を並べても、窮屈にはならないだろう。
――もしかして、私が大きな絵を描くことまで考えて、広い机を用意してくれたのかな……。
そう思っただけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
ふと窓辺へ目を移した私は、そこに掛けられたカーテンに吸い寄せられるように歩み寄った。
「何これ……。なんて見事な刺繍……」
特注品だと聞いていた白いカーテンには、大小さまざまな薔薇が隙間なく刺繍されていた。
使われている糸は、淡い水色だ。
陽の光を受けるたび、刺繍がほのかに輝き、白い石畳の上に広がった水たまりが光を反射しているように見えた。
私はそっとカーテンへ手を伸ばした。
「手触りも、すごくいい……」
指先で撫でると、生地は花びらのように柔らかく、滑らかだった。少し力を入れれば溶けてしまいそうなほど繊細なのに、しっかりとした厚みもある。
私が夢中になってカーテンを眺めていると、背後から温かな腕が回ってきた。
青の王が、そっと私を抱きしめる。
「気に入ってくれて嬉しいよ。頑張って用意したかいがあった」
「……フェンミル、ありがとう!」
私は振り返り、彼の腕の中で笑った。
「この部屋なら、帰ってくるのが楽しみになりそう!」
「そうか。それは良かった」
彼は満足そうに目を細めた。
それから抱擁を解くと、今度は私の手を取り、机の前まで連れていく。
「ここも見てくれ」
彼は楽しそうに、机の猫脚を指差した。
「雫を組み合わせたような幾何学模様になっているんだ。綺麗だろう?」
私はその場へしゃがみ込み、彫刻を間近で覗き込んだ。
「うわあ……!すごく細かい!これ、彫るのに何時間かかるんだろう……」
細い曲線が幾重にも重なり、見る角度によって模様の形が違って見える。けれど、彫刻そのもの以上に目を引くものがあった。
「きらきら光ってるよ?」
「ああ。虹色に輝く特殊な塗料が塗られているんだ」
「すごい……!光を閉じ込めたみたい!」
私が感嘆の声を上げると、彼は自分が褒められたかのように嬉しそうに笑った。
「他にも、まだ見せたいものがあるんだ」
そう言って、今度はクローゼットの扉を開ける。
中には、色とりどりのワンピースやドレスが、隙間なく並べられていた。
淡い色の普段着から、宝石やレースをふんだんに使った華やかなドレスまである。棚には靴や髪飾りまで、きちんと揃えられていた。
「こんなに……?」
驚いて振り返ると、彼は得意げに胸を張った。
――フェンミルってば、私に部屋を見せるのが本当に嬉しいんだ。
次は何を見せようかと考えているらしく、彼の視線は忙しなく室内を巡っている。
いつもは落ち着いていて、大人びて見えるのに、今はまるで贈り物を早く自慢したくて仕方がない子どものようだった。
(なんだか、はしゃいでいて可愛いかも……)
私は思わず、くすりと笑った。
それからたっぷり三十分ほど、彼は部屋の隅々まで、嬉しそうに案内してくれた。
◇◇◇
あまりにも私室が気に入った私は、その日から何日も部屋に籠もり、絵を描いて過ごすようになった。
カーテンの薔薇の刺繍を眺める。虹色にきらめく机の猫脚へそっと触れる。そんな何気ない時間だけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(ここは、私の部屋なんだ)
そう思うたび、幸せな気持ちになれた。
フェンミルは夜を除けば、毎日、私のそばにいてくれた。
「どうして夜だけ、一緒にいられないの?」
ある日そう尋ねると、フェンミルは少し困ったように笑った。
「夜は政務や戦後処理があるんだ。臣下たちがまとめた報告書を確認して、方針を決める。それが王の仕事だからね」
「国王って、大変なんだね……」
「でも、昼はこうしてカヤと過ごせるから十分だよ」
そう言って笑う彼を見ていると、少しだけ、寂しかった気持ちも消えていった。
ソウマとクロバも、何度も部屋を訪ねてきてくれた。
体調を気遣ってくれたり、一緒に本を読んでくれたり、絵を眺めて感想を話してくれたり。
そして夜、私が眠る頃には、二人のどちらかが必ず部屋で付き添ってくれていた。
まだパニック症状に苦しむ私は、ときどき昔のことを思い出して、息が苦しくなった。涙が止まらなくなることもあった。そんなときは、青の王が何も言わずに私を抱きしめてくれた。
「大丈夫」
その一言を聞くだけで、不思議なくらい呼吸が落ち着いていく。
私は彼の胸へ顔を埋めながら、小さく息を吐いた。
まだ傷は消えていない。それでも、以前より泣く時間は少しずつ短くなっていた。
ある日、本を読んでいるときだった。
隣に座っていたフェンミルが、そっと私の手へ触れる。そして、指先をゆっくり絡めてきた。
恋人繋ぎだった。
(……!)
胸がどきりと跳ねる。
こんなふうに誰かと手を繋いだことなんて、一度もない。




