ep.24 戦争開始
今、気づいた。それがいつの間にか恋心に代わっていると。彼を失うことがこんなに怖いと。
青の王は黙ったまま、私を見つめていた。
長い沈黙が流れる。
やがて、その表情がゆっくりとほどけた。
彼の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。静かな笑顔なのに、その瞳だけは信じられないほど嬉しそうだった。
「嬉しいよ」
その一言は、吐息のように漏れた。
「帰ったら、恋人になろう」
そう言うと、青の王はしゃがみ込み、そっと私を抱き寄せる。
その温もりに包まれた瞬間、今度は私のほうが鼓動を速めていた。
「ええ!?こんなにあっさり……?本当にいいの?」
「ああ。こんなに心からの好意を向けられたのは、初めてだよ」
青の王は、包み込むように私の頬に触れた。
「あんまり驚いて、お前の心を覗いたんだ……。俺たちは思考読解魔法が使えるからな。本当に俺を想ってくれていると分かったら……胸を鷲掴みにされたんだ」
(えっ……?そんなに嬉しかったの?)
「思考読解魔法って、何……?」
「心を読む魔法だよ」
(そんな魔法があるんだ……)
「……ほんとに私と恋人になってくれるの? 私を泣かせないための嘘じゃないよね……?」
「違うよ。俺がどれだけ嬉しいか、お前にはきっと分からないだろうよ」
青の王は、穏やかに笑った。私はその笑みに、深い影を感じた。
――もしかして……青の王は孤独なのかな? 国王だもんね……。
私は知っている。兄も父も祖父も、沢山の臣下に囲まれていても、どこか孤独だった。王だから。
誰よりも強いから。それゆえに、孤独なのだろうか。
(だから、飾らない好意が嬉しかったってこと?)
「五日だけ、待っててくれ」
青の王はゆっくり立ち上がった。抱擁を解き、扉へ向かって歩き出す。
私はそっとクロバを見る。彼は言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
「行くぞ」
青の王は、クロバに声をかけた。
その表情は、笑っているようでいて、恐ろしく冷たかった。まるで、戦場の総司令官のようだ。先ほどまでの優しい笑みは、もうそこにはなかった。
「……はい。参りましょう」
クロバは静かに頭を下げる。
二人は部屋を後にした。扉が閉まる音だけが、静かな部屋に長く響いていた。
◇◇◇
(嬉しい! 恋人になるって言ってくれた!)
青の王とクロバが去ってから、私はベッドに勢いよく突っ伏した。
こんな状況なのに、私の心を満たしたのは、不安よりも喜びだった。
――私、青の王の恋人になれるんだ……。あんなにかっこいい男性の……。
私は枕をぎゅっと抱きしめた。自然と口元が緩んでしまう。
――でも、私って、変なのかな? ソウマに恋してたのに、青の王のことも好きなんて……。
私は、身を起こすと枕元に飾った絵を見上げた。
そこには、マーガレットの花畑の絵が額縁に入れられて飾られていた。
それは、私がソウマとの思い出を閉じ込めたくて描いた絵だった。ソウマが作ってくれた花冠が枯れてしまったので、私は紙の上に思い出を描いたのだ。
絵に描かなくても、花みたいに思い出が枯れることはない。思い出はいつまでも心の中の宝物だ。けれど、ソウマとの初めての花畑の散策を形にしたかった。
私は、マーガレットの花をぼんやりと見つめた。
――こんなにソウマが好きなのに……。二人も好きだなんて、私はおかしいのかな?
私は絵の中のマーガレットを、そっと指でなぞった。絵の具と水を使いすぎて何度も重ね塗りをしたせいか、表面はざらざらしていた。
私は、勢いよく首を振った。
――ううん! 魔界では複数恋愛が普通らしいし、別におかしくないんじゃないかな? それに、好きな相手が沢山いるって、良いことなんじゃないかな?
私は本当に、ソウマと青の王が好きなんだもん。
けど、ソウマにはこの想いは伝えないようにしよう……。だって、ソウマは私を地獄から救い出してくれた……優しくて特別な存在だもの。今の関係を壊したくない……。ソウマに振られたりしたら、耐えられない。
私は、横になると再び枕を抱きしめた。今度は、先ほどよりも強い力で。
――ならなんで、青の王には告白できたのかな? ……もしかして、私が彼に依存気味だから? 彼と離れると不安になるもん……。彼に甘えるのは好きだし……。それに、彼は国王よ。もし、国王の恋人になれるなら、私はもう捨てられないかもしれない……。
家族は私に酷いことをした。愛してくれていると思ったのに、私を捨てた。もし、青の国で同じようなことになれば、もしまた捨てられたら、私はどこに行けばいいのだろう。
――青の王の恋人になれば、ずっと守ってくれるかもしれない……。なんか、私って計算的? 最低かも……。でも、また捨てられたくない……。
「捨てられるのは嫌だ!」
叫ぶなり、私は枕を壁に投げつけた。
ぼすっと音を立てて枕はベッドに落ちる。なんとなくその枕に触りたくなくて、私は枕元にあった別の枕を抱きしめた。
気づいたら、私の呼吸は少し荒くなっていた。
(青の王に抱きしめてもらいたい……。安心させてもらいたい……)
けれど、彼はいない。戦争に行ってしまうから。五日は帰ってこないと言っていた。
「待って!五日!?」
私は勢いよく身を起こした。
「戦争って、長期間やるものだよね……? 五日で終わるの? ていうか、七十名でどうやって戦うのよ! 戦法どうなってるの!?」
叫んでから、急に頭が冷静になった。
――ううん……。今はそんなことどうでもいい……。皆、無事で帰ってくるかな。それに、五日も一人で耐えられるかな……。
私は毛布をぐっと握りしめた。
このときの私は、戦い方を気にするどころではなかった。
私が青の国の具体的な戦法を知るのは、何年も先のことだ。
◇◇◇
その日から、青の国に来て初めて、ひとりきりの日々が始まった。
これまでは、必ずソウマか青の王、クロバの誰かが側にいてくれた。
私は絵筆を動かしながら、ふと向かいのソファへ目を向けた。
(誰もいない……)
いつもなら誰かが座っている場所には、柔らかなクッションだけが残されていた。
部屋の中は、しんと静まり返っている。
私は着彩の手を止め、筆を筆置きへ戻した。ただそれだけなのに、かたんと響く音が妙に大きく聞こえた。
「……できた!」
私は頬杖をつき、完成した絵を眺める。
絵の中では、黒いペガサスが激しい雨をものともせず、大きな翼を広げて空を飛んでいた。夜空を稲妻が切り裂くたび、漆黒の翼が白く照らし出される。嵐の中を飛んでいるのに、その姿は少しも怯えていなかった。
「かなり上手く描けたんじゃないかな……!」
思わず口元が綻ぶ。けれど、その笑みはすぐに消えてしまった。
(見せる相手がいないよ……)
いつもなら、完成した絵を誰かが見てくれた。
上手だと褒めてくれたり、面白そうに覗き込んでくれたり、細かなところまで感心して眺めてくれたりした。
今は、喜びを分け合う相手がいない。
「帰ってきてほしいな……」
ぽつりと呟いた声は、返事のない部屋へ吸い込まれていった。
一日目は、絵を描いて過ごした。二日目は、本を読んで過ごした。三日目になっても、誰も戻ってこなかった。四日目も、私は朝から落ち着かなかった。
絵を描いていても、本を読んでいても、意識はすぐに彼らのことへ戻ってしまう。一時的に気が紛れても、戦場にいる全員の安否が気になって仕方なかった。
――お父さん、大丈夫かな……。ソウマもクロバも、怪我をしていないかな。
胸の奥に不安が込み上げるたび、私は何度も自分に言い聞かせた。
(大丈夫。信じて待とう。信じて待たなきゃ!)
夜になると、私は窓辺に立ち、外の景色を眺めた。
窓の向こうでは、金色の砂煙が風に巻き上げられていた。薄い砂煙の向こうでは、無数の星が淡く瞬いている。
青の城は、広大な砂地の中央に建っているらしい。昼も夜も、窓の外には細かな砂が舞っている。
夜の砂煙は形を変えながら空中を漂い、まるで幽霊のように見えた。
「そういえば、ソウマが言ってたな……。城の外に出ると、砂ぼこりが服につくって。かなり汚れるのかな? ……気になるけど、砂煙なんてちょっと怖いかも……。やっぱりしばらくは城内で過ごそう」
(だって、私はもういつでも外に出られるんだもん……。ゆっくり外の世界に慣れれば良いよね)
「早く、会いたいな……。あーあ。部屋から出ちゃ駄目って言われたし、お城の探検もできないや……。歩き回っても誰もいないんだけどね……」
私は毎晩、眠くなるまで窓辺で星を眺めた。
この空の向こうで、今も彼らは戦っているのだろうか。




