ep.22 なぜ青色に変色しないのか?
「いきなりなんだけど、相談があるんだよね……」
「なんでしょう?」
クロバは穏やかに微笑み、私の次の言葉を静かに待った。
「青の国民って、七十一名いるじゃない?」
「ええ。青の王を入れると七十二名ですね。あなたも加わるので、これからは七十三名です」
「あのね……」
私は指先をもじもじと絡めた。
「私、全員の顔と名前と役職が覚えられそうにないの」
クロバは少し目を丸くした。その反応を見ただけで、胸がきゅっと苦しくなり、私はしょんぼりと俯いた。
「実は、サイリンの城で過ごしてたときにね、国王だったお兄ちゃんの側近三十名の名前と顔と役職とか覚えようとしたの……。でも私、そういうのが得意じゃないみたい……。覚えてもまたすぐ忘れちゃったり、臣下の名前を間違って呼んじゃったこともあって……。顔が全然違う臣下でも、見間違えちゃったりするの」
「そうだったんですか……」
「うん……」
「なら、無理に覚えようとしなくていいですよ」
「……え?」
私が驚いて顔を上げると、クロバはなんでもないことのように笑った。
「私から、青の臣下全員にそのことを話しておきますね。覚えずらいなら、ソウマとか青の王とか話しやすい悪魔とだけ話せばいいですよ」
「ほんと……? いいの?」
「はい。そういう事情があるなら大丈夫ですよ」
「……ありがとう」
――嬉しい! 家族からはなんで覚えられないの? って不思議がられたけど、青の国では配慮してもらえるんだ!
私は周囲を見回した。
歓談室では、今日も沢山の悪魔たちが各々楽しそうに過ごしている。
(皆、優しい悪魔なのかな?)
ふと、別のことが気になった。
「ところでクロバ、青の悪魔は全員、背が高いのね。あなたは何センチ?」
「百九十一センチですね」
「高い! 高すぎる!」
クロバは肩を揺らして笑った。
「私より高い悪魔も沢山いますよ。強い悪魔は身長が高い傾向にあります」
「……なら私って、弱い悪魔? 百三十センチしかないし」
クロバは急に険しい顔になった。
「それ、不思議なんですよね……。成人していれば、最低でも身長は百五十はあります。あなたは十八なのに、ずいぶん小さい」
「……なんでかな?」
(もしかして私、稀に見る激弱な悪魔?)
クロバは少し考え込むように顎へ手を添えた。
「もしかしたら、先天性の病かもしれません」
「……病?」
「ええ。身長が伸びない生まれつきの疾患があるんですよ。専用の薬剤を爪に塗れば、自分がそうなのかすぐ確かめられます。……やってみます?」
「うん!やってみたい!」
私が勢いよく頷くと、クロバは軽く指を鳴らした。すると、机の上に小さなケースが現れた。
中には透明な小瓶と、細い筆、そしてガーゼが入っていた。小瓶の中では、赤い液体が静かに揺れている。
「では、左手を机に置いてください」
私は言われた通り左手を差し出した。
なんだか少し緊張する。自分の爪を見つめているだけなのに、胸がどきどきした。
クロバは瓶の蓋を開けると、筆先に赤い薬剤を含ませる。そして私の小指の爪へ、丁寧に薬剤を塗っていった。
ひんやりとして、少しくすぐったい。
塗り終えると筆をケースへ戻し、クロバは穏やかに説明した。
「薬剤が赤色から青色に変わったら、先天性疾患がある、ということです。変化しなければ、別の原因が考えられます。変化にさほど時間はかかりません」
(青色に変わるかな?)
私はクロバとじっと小指を見つめた。
数秒後、変化はすぐに現れた。爪先から赤色がゆっくり薄れ始める。
赤は紫へ変わり、そのまま淡く色を変えながら、やがて澄んだ水色へと染まっていった。
「クロバ! 色が変わったよ! ていうことは、私は病気のせいで身長が低かったんだね。……なんか理由が分かったら安心したかも」
「そうですか……。それは良かったです。しかし……」
クロバは不思議そうに首を傾げた。
「薬品は、青色に変色するのが一般的です。水色だなんて、随分、色が薄いですね……」
「え? おかしいね……。もしかして、低身長の原因は病気じゃないのかな?」
私が顔を曇らせると、クロバは首を振った。
「もしかしたら、体質によってはこういう反応もあるのかもしれません。まあ、青系統ではありますし。記録と違いますが、今すぐ焦って詳細な検査をしなくてもいいでしょう」
――水色になるときもあるってことなのかな?でも変色したし、あんまり深く考えなくてもいっか。
クロバはガーゼで丁寧に薬剤を拭き取ってくれた。
小指は、いつもの色へと静かに戻っていった。
◇◇◇
「クロバ。ソウマとお父さんはいつ戻ってくるの……?」
「まだ仕事中ですね。もうすぐ帰ってくるはずですが……」
「そうなんだ……」
今日は朝から、青の王もソウマも城を留守にしていた。
目を覚ましたとき、貴賓室にいたのはクロバだけだった。
「お二人が戻るまで、私が付き添います」
そう言って、今日一日ずっと側にいてくれている。
今は歓談室のソファに並んで座り、魔獣図鑑を眺めていた。
歓談室には珍しく、私とクロバしかいない。
「この魔猫、小さくて可愛くない? 狩りの成功率、八十パーセントなんだって」
「ああ、その種類ですね。見た目は愛らしいですが、毒爪の効力が非常に高いことで有名なんですよ」
「へぇ……」
図鑑をめくるたび、新しい発見がある。
「カヤは、本当に動物が好きですね」
「うん! 見てるだけで楽しいもん。……クロバも動物は好き?」
そんな他愛ない話をしながらページをめくっていると、いつの間にか最後の一ページまで読み終えていた。
そのときだった。歓談室の扉が静かに開いた。
「ただいま」
聞き慣れた声に顔を上げる。
「ソウマ!」
思わず立ち上がって手を振ると、ソウマも優しく笑って手を振り返してくれた。
その笑顔を見ただけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……やっぱり、ソウマの笑顔は素敵だな)
でも、この想いは伝えない。きっと、このまま友達でいることが一番幸せだから。
心臓が、手で握り潰されたかのように苦しくなった。
ソウマは私たちの前まで歩いてくる。
「楽しく過ごせてた?」
「うん!」
私は胸の痛みを無視して大きく頷いた。
「クロバと一緒に図鑑を読んでたの。クロバ、すごく物知りなんだよ! 知らないことを何でも教えてくれるの」
「それは良かった」
ソウマは安心したように笑う。クロバも照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。何か気になることがあれば、いつでも聞いてください」
「うん!」
嬉しくなって、自然と笑顔になる。そんな私を見て、ソウマもどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「そうだ、カヤ。また外へ行かないか? まだ見せたい景色がたくさんあるんだ」
私は少し考えてから、小さく首を振った。
「ごめんね。しばらくは、お城で過ごしたいかな。外はすごく綺麗だった。でも、ずっと城の中で育ったからかな……。今は、お部屋の中にいる方が落ち着くんだ」
ソウマは無理に勧めようとはしなかった。
「分かった。また行きたくなったら、いつでも言ってくれ」
「うん!」
そう答えると、ソウマは優しく笑った。胸の奥が重く疼いたが、それでも私は小さく笑い返した。
彼の笑顔を見ているだけで、私は幸せだった。
◇◇◇
青の国に来てから、二十日が過ぎていた。
その日、私はひどい悪夢を見た。
パニックで泣く私を、朝から青の王はずっと抱きしめ続けてくれていた。
青の王は片時も離れずに、側にいてくれる。ただ黙って話を聞き、背中を撫でてくれる。
逞しい腕に抱かれると、それだけで守られている心地がした。
だがしばらくすると、青の王は言いづらそうに口を開いた。
「悪いなカヤ。実はこれから、臣下全員との会議があるんだよ。……行かなきゃいけないんだ。部屋で待っててくれるか?」
「そんな……!? 行かないで! まだ怖いの!」
私は反射的に青の王の腕へしがみついた。
(私、我儘すぎる……)
七十一名全員との会議。それがどれほど重要なのかくらい、私にも分かる。王として欠かせない仕事なのだろう。
引き止めてはいけない。頭では分かっている。でも、心が言うことを聞いてくれなかった。
今ここで青の王が離れてしまったら――また恐怖に呑まれてしまう。
青の王は、俯いて涙を流す私をじっと見つめた。真剣な眼差しで、ほんの数秒だけ考え込む。やがて、その表情がふっと柔らかくなった。
「そうか。なら、このまま会議室に行こう」
「ええ!?」
「お前を抱いたまま会議をするよ」
「……は?」
――いやいや! 自分から引き留めておいて何だけど、真面目な会議でそんなことしちゃっていいの!?
いつもお読みいただきありがとうございます! 続きも毎日20:30に更新しますので、少しでも面白いと思ったらブックマークで応援していただけると嬉しいです




