ep.14 青の王と出会った日
私は、滲む視界でオウカを見つめた。青い瞳には、今までにない鋭さがあった。
「え……? どうやって?」
「いいか。今から俺が言う話を落ちついて聞けよ」
(私を、逃がしてくれるの……?)
「俺はな、諜報員なんだ」
「諜……報員?」
私は、ぱちぱちと瞬きをした。思わず、ぽかんと口を開けてしまう。しかし、オウカの表情は真剣そのものだ。
――諜報員って、スパイ? 物語の外に実在したの……? オウカがスパイ? ……本気で言ってるの?
「俺は、ギショウ国に潜入中の諜報員なんだよ。ギショウ国から情報を抜き取っているのさ」
そう言って彼は、ふっと口元を緩めた。
いつもの穏やかな笑みとは違う。静かな自信と余裕を醸しだすその笑みはどこか妖しく、初めて見るオウカの顔だった。
「……どういうこと?……ちょっと飲み込めないんだけど……」
「俺はな、ハニートラップ専門の諜報員なのさ」
「ハニートラップ? ……それって、恋愛で情報を抜くやつ?」
こんな状況だというのに、自分でも分かるほど頬が熱くなった。
オウカは小さく笑う。その表情には、今まで一度も見せたことのない艶やかな色気が滲んでいた。
「他国の要人と恋人になって、情報を抜くのさ。この国でも、ミイとか重臣と恋愛関係になった。テクニックで落とすんだよ」
「て……テクニック!?」
「そうだよ」
「まって……! だからミイと恋人だったの? キスしてたわけ!?」
「ああ、そうさ」
「ということは……本当はミイのこと、好きじゃないの?」
「当たり前だろ! 仕事だからやってるだけさ」
オウカは嫌悪をあらわに吐き捨てた。そして、視線を逸らす。その青い瞳に、私は苦しさを感じた。
「オウカは好きでこの仕事をやってるんじゃないの……?」
「全く好きなんかじゃない。俺にとっては、忌むべき職業さ」
私がおずおずと聞くと、オウカは強い口調で断言した。
「俺はな、元々は男娼だったんだ」
「……男……娼?」
(それって、体を売る仕事?)
「俺の国は、性産業が盛んな国だった。俺は弱い悪魔だった。だから、花街の最下層にいたんだ」
「じゃあ……なんで今、諜報員になってるの?」
「王に拾われたんだよ」
「王?」
「俺の国の国王さ。そのとき王は、ハニートラップ専門の諜報員を作ろうとして、花街に視察に来たんだ。そして、凄まじい審美眼で雑踏から俺を見つけると、俺に声をかけてきたんだ」
――え……何、その国王……? 自ら人材探しに行ったわけ?
「俺は王に拾われたおかげで、地獄から抜け出せた。弱かったから、王から力を分けてもらった。そして、王から徹底的に教養やスキルを叩き込まれたのさ」
「王が、直接あなたに教育したの……?」
「そうだ。理由は話せば長くなるけどな」
私は、開いた口が塞がらなくなってしまった。
――どうしよう……頭がついていかない。
いや、ちゃんと理解はしている。でも、理解すればするほど信じられなくなる。
彼は嘘をついているのだろうか。いや、そんな風にはとても思えない。それに、オウカの口調はいつもよりかなり強いし苦しそうだ。
(オウカは本当に、地獄を経験したんだ……)
「お前は俺と同じだった。搾取される側だった。……だから、見ていられない。お前を助けたい」
(搾取、される側……)
確かにオウカの言う通りだ。私は閉じ込められ、相手の都合で使われる。私の苦しみなど、家族もギショウ王も気にしないではないか。
(皆、自分のことばっかりだわ……)
「俺と一緒に、俺の国に行こう」
オウカは右手を差し出してきた。私は、彼の白い手をじっと見つめた。
「俺の国は、魔界屈指の強国だ」
(強国……)
その言葉に、小さな希望が胸の奥で揺れる。
――強いなら、守ってもらえる? サイリンからも、ギショウからも?
「国王にも、国のみんなにも、もう話はつけてある。さあ、一緒に行こう」
私は、じっとオウカの青い瞳を見つめた。その瞳には、確かな優しさがあった。
「この手をとって欲しい。一緒に瞬間移動魔法で、俺の国に向かおう。国王がすでに、カヤを待ってるよ」
(どうしよう……。オウカを頼ってみようかな……)
ギショウ国にいれば、間違いなく搾取の日々は続く。なら、希望に縋ってみたい。
(オウカなら、信じられる気がする)
私は、震える左手で、オウカの右手にそっと触れた。
オウカは、目元をやわらげた。同時に、その両目に強い光が宿った。
そして、オウカは大きな右手で私の左手を軽く握った。しかし、少しだけ力が強い。その力から、彼の決心が伝わってくる気がした。
オウカは、私をじっと見つめると、無言で頷いた。
次の瞬間、視界がくらりと揺らいだ。上下が反転するような奇妙な感覚に襲われ、瞬間移動特有のめまいがした。
(ああ……これでギショウ国から出られるんだ)
◇◇◇
視界の揺れがおさまると、私の目の前に、背の高い男性が立っていた。
そこは、天井も床も淡い桃色で統一された二十畳ほどの部屋だった。 家具は何も置かれていない。ただ、壁一面が白いステンドグラスになっており、その前には真紅のカーテンが静かに垂れている。
オウカは部屋の隅に立ち、軍人のように背筋を伸ばしていた。
けれど、美しい部屋も、オウカの姿も、私の目には
入らなかった。
男は、深海のような群青色の髪と瞳をもっていた。
冷ややかな表情に、余裕を含んだ微笑を浮かべた
男性だった。彼は、私を好奇の目で見つめて立っていた。
彼を一目見た瞬間、自分の存在すら忘れそうになった。
彼の全身から溢れ出ているのは魔力だろうか。それとも長年磨き上げられたオーラだろうか。滲みでる何かに思わず呼吸を奪われそうになる。まるで、引力のようだ。
(これが、カリスマ性なんだ……)
彼の前に跪きたいような衝動に駆られた。実際には、礼をすることすら、私は忘れていた。
(……神が作った作品みたい……)
外見だけで強く殴られたような衝撃を感じたのは、人生初だ。
生態系の頂点に君臨する捕食者のような瞳を、私はただぼうっと見つめていた。声を出すことすら忘れていた。
サイリンこそが世界一の国だと、家族に言い聞かされて生きてきた。だが、この男を見た瞬間、それが嘘だと分かってしまった。
この男は、サイリンの王族とは別格だ。彼に比べれば兄も父も紙くずのように吹き飛ぶだろう。いや、紙くずにすらなれないのだと、一瞬で私は理解してしまった。
(彼が、王なんだ……)
きっと、魔界の頂点の悪魔の一人に違いない。
初対面で相手にそんな確信をもつなんて、普通ならあり得ない。私は、外の悪魔をほとんど見たことがないのだから。だが、そう思うしかなかった。そう思わせる力が、彼にはあった。
私は、挨拶もしないで彼に見惚れていた。彼もまた、黙って私を見つめ返している。その視線は、楽しそうでもあり、値踏みしているようでもあり、期待しているようでもあり、何かを見極めようとしているような、不思議な眼差しだった。
私たちは、無言で一分ほどお互いを見つめ合っていた。
やがて彼は満足そうに口元を緩めると、不意に言った。
「気に入った。お前を俺の養子にしてやろう」
――養子……? は?! ……この男の子どもになるってこと!? なんでそうなった!? ええ!? いきなり……!?
私は、言葉を発するのも忘れてしまった。そんな私を見て、彼はどこか愉快そうに笑った。
「はじめまして。俺の名前はフェンミル=ユース。青の国の、青の王だよ」
「……青の王」
「正式な国名はユースだ。だが、この髪と瞳のおかげでな。皆、俺を青の王と呼ぶ」
私は、じっと彼の群青色の髪と瞳を見つめる。思わず小さく息が漏れた。
「だから、この国は青の国って呼ばれてる。誰もユースなんて言わないよ」
「……」
「どうした?緊張しているのか……?」
「えっ……あ、その……」
――圧倒されて、見惚れていました。
そんなこと、とても言えない。恥ずかしさで言葉が詰まる。
すると青の王は、くすりと笑った。
「可愛いな」
(か、可愛い……?私が?)
「閉じ込められてたんだって? ここでは自由に外出していいよ」
――え? 外に出て、いいの?……こんなにあっけなく?!
あまりにもあっさり告げられたその言葉が信じられず、私は彼の顔を見つめ返した。
青の王は何も言わず、ゆるやかに視線だけをオウカへ向ける。
「今から外に彼女を連れて行っておやり。国の中を見せてあげるといい」
「かしこまりました」
オウカは嬉しそうに微笑むと、私のもとへ歩み寄り、そっと右手を差し出した。
「行こう、カヤ」
けれど私は、その手を取れなかった。青の王を見上げ、ためらいがちに口を開く。
「あの……」
「どうした?」




