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法定雇用率達成を目指して共生について考えてみたら、みんなが進化した  作者: 青海


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共に生きていくということ(前編)―リスクを負う価値のある理想ー

いよいよ法定雇用率の達成かどうかの結果が出ます。

リスクを負って追い求めた先にあったものは?

読んで頂けたら幸いです。

五月の下旬。

窓の外では、吸い込まれるような五月晴れの空がどこまでも広がっていた。

まだ五月だというのに、アスファルトの上には陽炎が揺らめいている。


セーリングプリントの人事室では今年初めての冷房が入り、

低く唸るような稼働音が室内の静寂を埋めていた。

9時の朝礼前、束の間。

倫心はクーラーの吹き出し口を仰ぎ見ながら、隣の席の田中に話しかけた。

「……ふう。涼しい。もう夏ですね、田中さん」

田中はいつも通り淡々とキーボードを叩いていた。

PCに視線を置いたまま口を開く。

「だな。まだ5月なのに……工場の社員さんたちにも、早めに暑さ対策をしてもらわないと」

「そうですね。暑いと言えば、田中さん。もうすぐ六月一日ですよ。

今年の『ロクイチ報告』を提出すれば、セーリングプリントも、

ようやく法定雇用率達成企業の仲間入りですよね」

倫心は顔をほころばせた。

田中がふと手を止め、壁に貼られたカレンダーに目を向けた。

赤い丸で囲まれた「六月一日」の文字。

「香山さん、まだ一週間ありますよ。ちょっと気が早いんじゃないですか?」

「そうですよね……。でも、三人とも安定してきたし、

今の定着状況なら確実かな、と思って」

「まあ、そうかも」

二人は顔を見合わせて小さく微笑む。

明るい未来だけを信じ切っていた余韻が冷めやらぬ中、

デスクの上の電話が、無機質な音を立てて鳴り響いた。

倫心はいつも通り、背筋を伸ばして電話に出る。

「お電話ありがとうございます。セーリングプリントでございます。……はい。……えっ」

……ご愁傷さまでございます」

倫心はなんとか社会人としての最低限の対応を絞り出し、

震える手で受話器を置いた。

震えは意志に反して強くなり、血の気が引いていく感覚に襲われる。

異変を感じた田中が声をかけた。

「香山さん? さっき、『ご愁傷様』って……」

「……宮西さんが…昨夜、発作が起きて……お亡くなりになったって……」

倫心は冷静になろうとすればするほど、感情が激しく沸き上がり、堪えていた涙がこぼれ落ちた。

それでも、その後の対応を必死に試みる。

「田中さん、まずは工場の方たちに報告しないと……ですよね……」

「工場には俺が行く。香山さんは少し休んだほうがいい。課長、いいですか?」

田中は出かける支度をしながら、上座に座る課長に聞こえる声で報告した。

様子を察した課長が即座に答える。

「田中、よろしく頼む」

「はい」と力強く返事をして 田中は足早に部屋を出た。

課長は倫心の席まで歩み寄り、凍りついたようになっている彼女に優しく声をかけた。

「香山さんは、外の空気を吸ってきて下さい。社長には私から連絡しておきます」

「も、申し訳、ございません。ありがとう、ございます……」

倫心は嗚咽を漏らしながらなんとか礼を伝え、部屋を飛び出した。


会社敷地内の駐車場まで行くと、一台の社有車が目に留まった。


宮西と一緒に『秋の紅葉祭り』に行き、

『彩クリスタルズ』のグッズ販売を眺めた時に乗った車だ。


『私、お仕事頑張る。たくさんの人に喜んでもらいたい』


宮西の純粋な言葉が、鮮やかな映像と共にフラッシュバックする。


倫心は吸い寄せられるように社有車のそばへ行き、車の陰で蹲った。

涙が滝のように流れた。


しばらくして、

「あの、車を出してもいいですか」と社員に声をかけられ、ようやく我に返る。

「はい、どうぞ……」

倫心は車から離れ、ふらつく足取りで会社に戻った。


「 宮西さんは旅立ったのに、時間は止まらない。仕事も止められない。

「しっかりしないと」

倫心は、心の中で呪文のように繰り返した。


同じ頃、工場の作業場。

田中から訃報を伝えられると、吉田や川原たちは言葉を失い、

宮西の席に集まって黙禱もくとうを捧げた。


機械の唸り声だけが響く中、数分間の沈黙が流れる。


田中が静かに仕事の状況を確認した。

「吉田さん、今日出荷分のアクキー、一人で回せそうですか?」

「できるかしら……」 高齢の吉田は、ショックと急な予定変更に混乱し、立ち尽くしてしまった。

「私、手伝います」 名乗りを上げたのは、川原だった。

「備品管理は昨日終わらせたし、動画のマニュアルを見れば、作業はできると思います」

「……さすが、川原さん。工場のお母さんだ」

「え?」

「すみません、セクハラじゃないですよ。宮西さんが前に言ってたんです。

川原さんのこと、『とっても頼りになる。もう一人のお母さんみたい』だって……。

よろしくお願いします。何かあれば連絡してください」


田中は照れ隠しのように気まずい表情で、工場を後にした。


「宮西さん、席借りますね」 川原は宮西の椅子に腰を下ろし、タブレットを立ち上げた。


『これがあれば、忘れちゃっても思い出せる。馬鹿だと言われない』


かつての宮西の言葉を思い出し、指が震える。

「頼りにしてくれていたのね。私を必要としてくれて、ありがとう」

川原は、もう届けることのできないメッセージを心の中で呟き、動画を再生した。



数日後、六月上旬。

本社の人事室。


田中は『ロクイチ報告』を作成するため、パソコンの画面を開いていた。

厚生労働省への提出書類、

「高年齢者・障害者雇用状況報告書」のフォーマットを

呼び出す。


入力作業自体は、一年前と同じだ。

そして結果も、法定雇用率『未達成』――昨年と同じ。


しかし、納得しきれない何かが田中の心に広がっていた。


確かにここで仕事をしていた宮西さんを、「0」としてしかカウントできない。


システム上のことだ。未達成企業が支払う年間六十万円の納付金。

それも法律で決まっていること。


最初からリスクはあった。想定の範囲内だ。決断したのは社長だ。


なんのために、障がい者雇用をするのか? 法律だから、仕事だから。


そんなこと俺が考える考えることじゃない…。


今の状態は本当に進化なのか?


ただ、昨年と同じように…報告書を作成すればいいだけなのに…。


そもそも、こんな人情に流されるような人事になる予定ではなかった。


田中は思考が渦巻き、不意に目頭が熱くなった。思わず鼻をすする。


その音を聞いて、隣の席の倫心が心配そうに声をかけた。


「田中さん、どうされました……?」

「……あ、いや。多分、遅れてきた花粉症だと思う。ちょっと鼻をかんでくる」

田中は強引にごまかし、席を立った。


残された倫心は、田中のPC画面を見つめた。

そこには、

無機質な数字が並ぶ「高年齢者・障害者雇用状況報告書」のフォーマットが、

静かに光っていた。



読んで頂きありがとうございます。

この後も最後まで登場人物たちの葛藤を描いていきます。

よろしくお願いします。

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