運命殺士
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「ちぃ!」
小田銀四郎が動くたびに、彼の汗が飛び散った。
鉄球の大きさはテニスボール程度だろうか。黒光りする球体で、プロ野球選手が投げる球のようなスピードで飛んでいるが、相当重そうに見える。球体が飛ぶ際に巻き起こる風の音に力を感じるからだ。鉄球と見てまず間違いない。
目を瞑っていたから推測でしかないが、鉄球は最初にこの部屋に飛び込んできたとき、小田銀四郎の右手の甲にヒットした。そしてやつはナイフを落としたんだ。手に受けたダメージはかなり大きかったのだろう。小田銀四郎の苦しそうな表情は、迫り来る鉄球による恐怖だけじゃない。手の甲の痛みもあるはずだ。
きっと、重い一撃だったんだ。ヤツは今も右手の甲を左手で押さえている。
鉄球は飛ぶ方向を直線的に変えながら小田銀四郎に向かって飛んでいく。よく見れば、鉄球は壁に跳ね返っているのではなく、空中でその方向を変えていた。まるで鉄球が意思を持っているかのように。
な、なんだよ……あれは。
目の前で展開する不思議な戦いに、俺は自分が殴られすぎて幻覚でも見ているんじゃないかと疑ったが、どうもそうではないようだ。
もっと不思議なのは、鉄球は決して俺と荒井には当たらないことだった。鉄球はあくまでも小田銀四郎を付け狙っている。
「しつけえんだよ!」
小田銀四郎は持っていたナイフを鉄球に向けて放った。彼の手を離れたナイフは、鉄球の軌道を予測して見事に刃をヒットさせる。
だが――
「な、なんでだよ!?」
ナイフは鉄球に触れた途端、呆気なく砕けた。折れた刃が散らばったガラスに交じり合い、細かい破片はもうガラスだかナイフだか区別がつかない。
「くそったれがー!」
小田銀四郎はコートの内側に忍ばせているナイフを次から次へと投げるが、結果は同じだった。ナイフの刃の残骸が床にこぼれるばかりで、鉄球の勢いは全く衰えない。
俺はこの隙にどうにかして荒井を助けてこの場から逃げようと試みたが、飛び回る鉄球と動き回る小田銀四郎、それにびゅんびゅん投擲されるナイフのせいで近づくことすらできなかった。
危険極まりねえ……。
そんな紛争地帯ばりの渦中にいながら、荒井は傷一つ負うことなく無事なのが不思議だった。
鉄球は見事なまでに小田銀四郎しか追っていない上に、小田銀四郎がナイフを投げる瞬間は荒井から少し離れる。そうすれば、荒井にナイフが当たることもないし、砕けた破片が刺さるような危険も無くなる。もし鉄球に意思があれば、そう予測してもいいだろう。
けど……。
鉄球はどこからどうみても鉄球以外の何かには見えなかった。
鉄球が当たらないのは俺も同じだが、俺の場合は距離を少し空けている。危険度は大したことない。
「こ、この鉄球……まさか――」
小田銀四郎の頬を鉄球がかすめた。「ぐっ――運命殺士か!」
ウンメイゴロシ?
また知らない言葉が出てきやがった……。
でも俺にでも分かったことはある。この鉄球は、その『ウンメイゴロシ』というやつが仕掛けたんだ。
――と、小田銀四郎の動きに変化が訪れた。
ナイフを投げるのをやめて(あるいはもうナイフが無いのかもしれない)、ソファに立てかけていたデスサイズを手にした。
「けっ、この女を脅すためだけにちょーっと見せる程度にしようかな、なんて考えてたのによう、まさか実際に使うことになるとはな! だが相手が運命殺士じゃ仕方ねーや。けけけ」
俺は見逃さなかった。小田銀四郎に余裕が戻るのを。
またあのふざけた調子を取り戻している。それだけあのデスサイズの威力に自信を持っているのか。ただの飾りにしてはよくできていると思ってたが、どうやら本物らしい。
デスサイズは窓から入る陽光を反射し、鋭く輝いた。その刃は虎の首でも楽に刈れるほどに長く鋭い。
そして小田銀四郎はデスサイズを右手で持ち、自分に向かってくる鉄球を――
打った。
今まで防戦一方だった小田銀四郎が、打ったのだ。
片腕で、まるで邪魔な蝿でも払うかのように。
デスサイズの刃の部分で。
今度はナイフのように砕けたりはしなかった。キーンという耳に突き刺さるような音を立て、鉄球は弾き返される。
「けけけ」
小田銀四郎は当然の結果だと言わんばかりに肩を揺らしている。
だが鉄球は空中で旋回し、再び小田銀四郎に向かった。小田銀四郎はこれをデスサイズを一振りしてまたあっさりと跳ね返した。
「けけけ、どうだ運命殺士よぅ! どこでこの球っころ操ってんだか知らねえが、このデスサイズには勝てねえぞ!」
小田銀四郎が叫ぶ。
すると、鉄球は小田銀四郎のほうへは向かわず、まるで何か[#「何か」に傍点]に引[#「に引」に傍点]っ張[#「っ張」に傍点]られ[#「られ」に傍点]るよ[#「るよ」に傍点]うに[#「うに」に傍点]飛び込んできた窓の外へと出て行った。
……お、おい。まずいんじゃないのか、これ。
突然のことで驚いてばかりだったけど、よく考えたらあの球は救世主だったんじゃねえか!?
た、頼む、戻ってきてくれ!
「けけけ、尻尾巻いて逃げたか。さて――」
小田銀四郎の視線が荒井に移る。
「あ、あんたなんか、あの鉄球に顔面潰されちゃえばよかったのよ!」
荒井は怒鳴ったが、小田銀四郎はそんな彼女の様子がおかしいのかニヤニヤするばかりだ。
「ところがどっこい、俺の顔面は潰れちゃいないぜ。きれいな美少年に保たれてる。けけけ」
「自分で美少年とか言うな!」
「けけけ――えっ」
小田銀四郎の嘲笑がピタリと止まった。と、同時に窓ガラスが割れる。鉄球が入ってきた場所のすぐ隣からそれは飛び込んできた。
剣? だろうか。
でも剣にしては妙な形をしている。柄らしき部分には皿のように円形で窪んだ飾りが凝らされ、刃は短くてカテゴリーとしては短剣に入りそうな代物だ。
「んだよ、まーだ逃げてなかったのかよ」
小田銀四郎は芝居がかったふうに溜息をつくと、デスサイズを構えた。
短剣は鉄球の時と同じように部屋の中を飛び回り、小田銀四郎に襲い掛かった。
「球だろうが剣だろうが相手じゃねえっての!」
デスサイズがその大きさを感じさせない速さで振り下ろされた。
――が、短剣は突然軌道を変えてデスサイズの刃を避けた。
「何!?」
短剣はデスサイズの脇をすり抜け、小田銀四郎の顔――左目の位置にあるレンズに突き刺さった。
グシャッという金属がつぶれた鈍い音が聞こえた。
「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
小田銀四郎は絶叫し、デスサイズをメチャクチャに振り回した。
「きゃっ!」
「荒井!」
振り回されるデスサイズの刃のすぐ近くに荒井がいる。まだ縄がほどけていないらしく、ソファの上で横になったままもぞもぞと手を動かしている。
このままじゃいつ荒井に刃が当たるかわからねえ――
「ああああああああ――あっ!」
小田銀四郎の悲鳴が変調した。「あっ! あっ、あっ、ぐあっ、があっ! や、め――てくれー!」
短剣が小田銀四郎の体のあちこちに刺さっては引き抜かれ、また別の場所を刺していた。
デスサイズによる攻撃をかわし、肩、太もも、腕――と、次々と刺していく。血が床にぽたぽたと落ち、フローリングの床に赤い水玉模様を作る。
だが浅く刺しているのか致命的な傷ではないようだ。むしろダメージを負えば負うほど、小田銀四郎の動きは痛みによって激しくなっていくようにすら見える。そして徐々にヤツはリビングの隅に追いやられている。
短剣はまるで荒井から小田銀四郎を遠ざけるように、その攻撃の方向を変えているように思えてならない。
けど、そんな馬鹿なことが、あるかよ……。
俺は部屋を見渡すが、俺と荒井、小田銀四郎以外には誰もいない。いるとすれば、いやあるとすれば、あの短剣だけだ。
まさかあの短剣が『ウンメイゴロシ』ってやつなのか?
「うおあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
獣の咆哮かと思うほどの絶叫を上げると、小田銀四郎は突然、窓に向かって駆け出し、そのまま飛び込んだ。その窓は短剣と鉄球が飛び込んできた窓と同じものだった。
ガシャンッという破砕音を轟かせ、小田銀四郎は外へ逃げ出して行った。窓はもう完璧なまでにガラス部分を無くした。
短剣は小田銀四郎を追うのかと思いきや、するすると糸か[#「糸か」に傍点]何か[#「何か」に傍点]でた[#「でた」に傍点]ぐり[#「ぐり」に傍点]よせ[#「よせ」に傍点]られ[#「られ」に傍点]るよ[#「るよ」に傍点]うに[#「うに」に傍点]外に出ていく。
いや……本当に糸で引っ張られているのか?
よく目を凝らしてみると、僅かだが線状に光るものが見える。短剣は向かいの雑居ビル、その二階の開いた窓へと吸い込まれていった。
――誰かいる!
俺は窓に駆け寄り、向かい側の雑居ビルに目をやる。だがカーテンが閉められていてよく分からない。人影がたしかに動いたんだけど……あ。
窓がピシャッと閉められた。
やっぱ誰かいる! そいつが小田銀四郎を追い払ったんだ!
俺は急いで外に出て向かいのビルに行こうとしたが、縛られたままの荒井が視界に飛び込んできて、本来の目的を思い出した。
……そうだ、俺は荒井を助けに来たんであって、『ウンメイゴロシ』なんていうわけ分かんねえやつを探しに来たんじゃなかった。




