俺から離れることが、護衛だったんだ。
*
目覚まし時計が鳴った。
瞬間的に俺はスイッチを止める。起きて目の前で鳴れば、そりゃ速攻で反応できるか。
時刻は午前四時。
今日は死ぬ日。
……いや、死ぬかもしれない日だ。
いやいや! 死んでたまるかよ。
俺は半身だけ起き上がりベッドの上で首を回し、肩を揉んだ。パキポキと骨が軋む音がした。
結局、一睡もできなかった。
午前零時を過ぎた時点で既に死ぬ日がスタートしていたわけだから、そんなすやすや安眠できるわけがなかった。
どうっすかな……。
いつもだったらすぐに起きて顔洗ったりメシ食ったりするけど、今日はとてもじゃないがそんな気分になれない。
ベッドの中でごろごろし、読みかけの小説をぱらぱら拾い読みしながら時間を潰しているうちに七時になった。この間に地震でも起きて本棚の下敷きになって死んでしまうかもしれないなどと思ったりもしたが、平穏そのものだった。
起き上がり顔を洗い、朝飯を食った。
ご飯に納豆、シジミの味噌汁、たくあん。……これが最後の朝飯になるのかも。いつも以上によく噛んで味わって食べた。
制服に袖を通し、スクールバッグを持って外に出ると、初夏の日差しが燦燦と降り注ぎ、早くも暑苦しい。
用心しながら通学路を歩いたが、これといって何も起こらなかった。また唐突に黒ロングコート野郎でも現れるかと推測していたが、どうやら間違っていたらしい。
だがもちろん油断は出来ない。まだ八時にもなっていないんだ。一日のうちの三分の二以上がまだ残っている計算になる。
考えただけで眩暈がするぜ……。
まあとにかく学校に無事に着いたことに感謝をしよう。
学校に着いてからも、淡々と一日が過ぎていった。
授業はいつも通りだるいし、休み時間はあっという間だった。
荒井も通常通り登校していた。ライフルもサブマシンガンも爆竹も携帯していない。
「おい荒井」
昼休みに俺は荒井に声をかけた。
やつは自分の席に座り、写真雑誌を眺めている。
「何?」
「……いや、今日はあれだろ。俺がその……危ない日だからさ。どうすればいいんだろうなと思って」
「危なくなんてないわ」
荒井は即答した。「言ったでしょ。あんたを死なせたりしないって」
荒井は視線を雑誌のページに戻した。
「もう話は終わり? ならあたしの前から離れてよ。見ての通り、今本読んでんだから」
「あ、わりぃ」
俺は仕方なく自分の席へ戻り、そこから荒井を眺めた。その背中は暗に「近寄るな」と言っているような気さえする。
冷たいように感じるが、そういうわけじゃないと思う。
こいつは絶対の自信を持っている。俺は直感的にそう感じた。だがその自信がどこから来るのかがまるで分からない。何が荒井をそこまで確信的な態度に走らせるのか、俺には見当もつかなかった。
でもきっと、あいつは何かを考えている。いざとなったら、その考えている作戦か何かで事態を打開してくれるに違いない。
俺は気付いていなかった。
ただ単に荒井を頼るだけで、自分では何も考えていなかったということに。この時点でそれに気付いていれば、事態はもっと違った展開を見せていたというのに。
放課後、俺はそれを痛感することとなった。
*
呆気なく放課後になった。
荒井はホームルームが終わると、俺に声をかけることなく教室から出て行った。なんだか避けられているように感じるのは気のせいか?
俺は教室の掃除当番だから、荒井より三十分ほど遅れて解放された。
たぶん、あいつも部室に行ってるだろう。
廊下を歩いて部室棟に向かう。
窓の外は夏空で、綿飴のような雲がもくもくと漂っている。見ていると思わずわくわくしてしまうような景色だが、今は不吉な予言を聞いてしまったような気持ちになる。
でもまあ、大丈夫さ。荒井がいるんだから。
部室に行くと、惨劇の後のように酷い有様だった。
机や椅子があちこちにひっくり返ったり倒れたりしている。壁に沿って置かれていた本棚は倒れて中の本が散乱し、パソコンはディスプレイが叩き割れている。割れているのはパソコンのディスプレイだけじゃなく、窓ガラスもまた派手にやられいた。まるで人間が体当たりして割ったかのように、大きな穴が窓の真ん中に空いている。
そして部室の隅では、賀田川が氷河期に耐える最後の哺乳類のごとくぶるぶる震えていた。
「賀田川!」
「……せ、せん……ぱい……」
賀田川は唇をぱくぱくと動かすが、出てくるのは音にならない空気のようなものばかりだった。
「いったいどうしたんだよこれ!」
「ぶ、ブチョーが……」
「荒井?」
コクンと小さく頷く賀田川。
「ブチョーが……通り魔に……通り魔に……」
「――!」
それだけ聞けば十分だった。
通り魔――黒ロングコート野郎が現れたんだ。白昼堂々と、しかも学校に!
荒井はここで通り魔に応戦したのだろう。
机を投げたかもしれない。
椅子を振り回したかもしれない。
振り回した椅子がパソコンのディスプレイに直撃したのかもしれない。
全てが想像だが、俺の想像はそう的を外してはいないだろう。
……ちくしょう。
「荒井は? 荒井はどうしちまったんだ?」
俺が訊くと、賀田川は首を小さく横に振った。それから割れた窓を指差した。「通り魔に、連れてかれて、そこから……」
俺は割れた窓に駆け寄り外を窺ったが、荒井と通り魔の姿はなかった。やつの跳躍力なら、ここから飛び上がっても不思議じゃないか。なんてやつだ……。
振り返って、部室を見渡す。
これが、俺たちの部室かよ……。
でもなぜこの場所が分かったんだ? あいつにはそんな機会は――
その時、俺の頭の中で小さな疑惑だったものが確信へと変わった。ぼやけていた被写体に、ピントが合ったかのように。
――俺が、あいつに自分の名前を教えたからか。それだけじゃない。俺が写真部の部員であることもあいつは知っている。
なるほど。俺の名前と写真部、しかもヤツと初めて会った時俺は制服姿だった。そこから辿れば遅かれ早かれこの学校に、この部室棟に、そしてこの写真部の部室に行き当たるわけか。
……くそ……それにしたってどうしてヤツは部室なんかに――。
そうか。
あいつの狙いはLSX70だった。そしてそれを所有していたのは荒井だ。だったらこの有様は分からなくもない。荒井を狙ってのことならこの作戦は大胆ではあるが奇策としてはかなり有効だろう。いくら荒井だって、まさか通り魔が部室に乗り込んでくるとは思わなかっただろうから。
いや待てよ……。
そこまで考えて、俺はハッとした。
気付いた。
気付いてしまった。
荒井がなぜあそこまで自信があったのかを。
なぜあれだけ俺の護衛をすると言っていたのに、俺から離れていたのかを。
俺は。
俺はなんて。
なんて馬鹿なんだ。
俺から離れることが、護衛だったんだ。
「あの野郎! 許さねえぞ!」
部室を飛び出し走り出すと、すぐにモコと行き会った。
俺の形相がよほど鬼気迫っていたのだろう。モコは俺の顔を見るなり目を丸くした。
「せ、先輩! どうしたのですか!?」
「急用だ! 賀田川を頼むぞ! それと先生たちにバレねえように誤魔化してくれ!」
「ちょっと待てください! いったい何を――」
モコの言葉を最後まで聞かずに、俺は再び駆け出した。
こうやって走っている間に階段から滑って転んで死ぬかも、なんてことは考えない。
校舎を出て駅前商店街のほうへ向かう。道を走っているときにひき逃げにあって死ぬなんてことも考えない。
それは、あり得ないんだ。
俺が死ぬ原因は、そんなんじゃない。
これから向かう先で、死ぬんだ。
「片目野郎が! 分かってんだよ、てめえの居場所は!」




