変です。
「先輩、それ今日中に全て現像する気ですか?」
「おうよ。フィルム現像だけじゃないぞ。ちゃんとプリントもしてみせる」
「徹夜する気なのですか」
「徹夜、なるほどな。モコもたまにはいいこと言うぜ。そのアイデアもらいだ」
「あげません。それに学校に宿泊するには事前に学校側に申請し許可をもらなければならないのです。それも審査は厳しいですよ。学園祭などの行事でもない限り、そうやたらとほいほいお泊りできるものではないのです」
「はーん」
本日十本目のフィルム現像を終えて、俺は肩を軽く揉んだ。さすがにちょっと疲れてきた。でもまだ半分も終わっていない。現像を待っているフィルムが机の上にずらっとスタンバっている。
暗室に、というか学校に来ること自体四日ぶりだった。
学校を休んでいる間、俺は前々から行きたいと思っていた北海道は宗谷岬を目指して旅に出かけた。本当はもっと時間をかけてじっくりと東京から鈍行でちまちま行ってフェリーで北海道に上陸したかったのだが、そんな悠長なことをするだけの時間が俺には無かった。
そんなわけで飛行機で札幌まで行き、そこから宗谷岬に向かった。
北海道は景色がとにかく大きかった。きれいでもあったけど、大きいという印象のほうが強かった。どこまでも突き抜けていて、その広大さに自分の存在が飲み込まれてしまいそうだった。シャッターを切りまくったのは言うまでも無い。
宗谷岬に着いた時には不覚にも感動してしまった。日本最北端の岬というだけあって、そこから見える海を見ていると、感慨深い何かを感じずにはいられない。
ちょっと向こうにはロシアがあんのかぁ……。
行きたかったな、世界。
その四日間で膨大な量の写真を撮り、今まさにその現像作業中なのだ。
朝から授業サボってずっとやっているのだが、まだまだ時間がかかりそうだ。それにしてももう放課後かよ。
時間が経つのが早いな……。
「……先輩」
「んだよ」
「先輩、変です」
「そうかな」
「変態です」
「それはちげーだろ」
ちげーと思いたい。
「真面目な話ですね、先輩の最近の行動は、どうにも理解できませぬ。学校を四日間サボって写真を撮る旅に出たり、今のように何かに取り憑かれたかのごとく現像したりと。奇怪と言ってもいいぐらいです。先輩はなんだかんだ適当な言動が目立つ方ではありますが、実はその行動パターンは非常に慎重でいらっしゃいました。学校をサボるなんてそんな無謀なことを先輩がなさるわけがないのです」
……こいつ、よく人のこと見てるんだな。
人間観察は趣味だと言ってたけど、あながちボケだけじゃなさそうだ。
「どうしてですか? なぜそんなムチャクチャをなさるのですか?」
モコは俺の顔を覗き込むようにして言った。
なんだよ、この有無を言わさぬみたいな感じは……。俺は少したじろぎ、真面目に答えるかボケるかを一瞬の間考えた。
よし、真面目に答えよう。よく分からんけどモコもマジみたいだしな。
「それはな、俺が今を生きているからだ」
「今を生きる、ですか?」
モコがちょこんと首を傾げた。
そういえば今日のモコは何かおかしい。いつもなら話しながらも現像作業の手は休めないのに、今はその手を完全に止めている。変なのはモコのほうだぜ。
「そうさ。今を生きる。大事なことだぞ。ま、お子ちゃまには分かるまい」
「…………」
モコは黙ったまま似合わない思案顔を浮かべていた。どうせオヤツに何食おうかなと考えているのだろう。
*
「あっ、センパイだー!」
「お久しぶりっす」
モコが暗室を出ると言うので休憩がてら俺も一緒に出ると、部室にいた賀田川と英輔の賑やかな声に出迎えられた。
なんだか照れくさい。
「よう」
「ツヅクさん、ずっとどこ行ってたんすか? 部活どころか学校まで休んで」
英輔が訊いた。
「ずっとって……たった四日間じゃねえかよ。北海道をぐるぐる回ってたんだ。宗谷岬にも行ったぜ」
「マジすか! 最北端じゃないすかー」
「へへへ、まあな」
「センパイセンパイっ、お土産は無いんですかー」
賀田川が英輔を後ろから羽交い絞めにするかのように抱きつきながら言った。英輔は普通に苦しそうだ。
「あ……いけね」
しまった。すっかり忘れていた。
つうかそもそもお土産なんて考えてもいなかったな……。
「ありゃりゃ、そのリアクションはもしや、お土産買ってませんね~?」
「すまん」
「もう、しょうがないですねぇセンパイは。じゃあもしまた今度どっか行くことがあったら、今度こそお土産頼みますよぉ。わたし、海外行ったことないから外国土産がいいですっ」
「ははは、行く機会があれば買ってくるよ」
行く機会は、無いだろうけど。
いや……どうにかなるか?
俺は残された時間で海外旅行に行けるか考えてみた。だがどう考えてもそれは無理があることが分かってうんざりしただけだった。
金は無い。稼ぐ時間も無い。
海外と言ってもどこの国なら行けそうなのか分からない。調べる時間も無い。
時間が無い。つまり行く時間も無い。
無い。時間が、無い。
「何考えてんのよ」
「え――」
背中に冷ややかな声が刺さった。
振り返ると、その声と同じくらい冷ややかな表情を浮かべた荒井がドアの前に立っていた。腕組をして俺のほうを睨んでいる。
荒井の威圧感に気圧されるように、賀田川と英輔は後退した。モコですら引いている。
これは相当機嫌が悪いみたいだ。
……俺のせいか。
つうか、いつの間に入ってきたんだよコイツは……。
「何考えてんのよって言ってんのよ!」
荒井の怒声が飛ぶ。
「ひっ」
「ぶ、部長!?」
賀田川と英輔が悲鳴にも似た叫びを上げる。
「あんたねえ、そんなことしてる場合じゃないのよ。北海道? 宗谷岬? 馬鹿じゃないの。今何を考えなきゃいけないか分かってるでしょ?」
そんなことしてる場合じゃないなら、どんなことをしている場合なんだ。
俺は馬鹿なことをしてるのか。
……違う。違うと思う。
もし的を射た言い方があるとするならば、馬鹿なことをしている場合、だと思う。
残された時間はもうあと僅かなんだ。やりたいことをやれるだけやるのが正しいに決まっている。
「……もうゴールがどこにあるのか分かってんだ。とくにこれといって考えることなんか何もねえ。今を精一杯生きるだけだ」
「今を精一杯生きる? 今のあんたが?」
荒井は鼻で笑うように言った。「きれいな言葉使って誤魔化さないでよ。ただ諦めてるだけじゃない!」
「諦めてんじゃねえ。もう決まってることなんだよ。だから俺はその決められた範囲の中で諦めずにやりたいことやってんだ。今はそれが一番なんだよ!」
俺も荒井に負けじと声を上げた。
怒鳴るつもりなんて無かったけど、そうしないわけにはいかなかった。
後輩たちが驚いているが、構うもんか。
「今は良くても、これから先が――」
「先なんかもうほとんど無いだろ。お前だってそれぐらい分かってるはずじゃねえかよ。今を生きるのが大事なんだ。それに……先が……終わりが見えないより見えたほうがいいんだよ。俺の場合は」
「あんたが何言ってんのか分かんないよ!」
「別に分かって欲しくねえよ」
「馬鹿!」
荒井は力任せにボールを投げるように怒鳴り声を上げると、部室のドアを乱暴に開けて走って出て行った。
残された俺と後輩三人の間には、大地震で崩壊した自分の住む町を見ているような、どうしようもない雰囲気が重く垂れ込めた。




