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運命に干渉


       *

        

 時刻は午後八時。

 どうやら長かった賀田川と英輔のデートも、ようやく終わりが近いらしい。

 二人は繁華街から離れ、静かな住宅街を歩いている。たしか賀田川の家はこの近くだ。英輔が送っていくのだろう。

 俺たちはというと、かなり距離を置いて二人を尾行中である。

 人ごみならともかく、こう人気が無くて静まり返っていると気付かれやすい。見失わない程度に、しかし気付かれない程度の距離を保って後を追う。

 ふと空を仰ぐと、鎌のような形をした三日月が浮いている。星はあまり見えない。

「なあ荒井。そろそろこの尾行のわけを聞かせてくれてもいいんじゃないのか」

 俺は前を歩く二人に気付かれないよう小声で囁いた。

「尾行中はお静かに」

「ぐっ……」

 とりあえず分かったこと。

 やはりデートではなく尾行だったようだ。

 いや、随分前から気付いてたけどさ!

 ああ……俺の休日が……。

 時間が……時間が失われていく。

 こぼれていく。

 こぼれた時間は取り戻せない。

 なんて不毛な時間の使い方だ。

 読みたい小説はあるしゲームだって山積みなんだぞ。これだけの時間があれば英単語だっていくつも覚えられたはずだ。そろそろ第二外国語としてスペイン語かフランス語にも手を出そうと思っている。海外へだっていつかは行きたいからな。

 時間なんていくらあっても足りないんだ。

 それなのに……。

 あーあ。なーにやってんだろ俺。

 後悔の念が脳内で渦巻いていたまさにそのとき、細い路地から一人の人間が姿を現した。人気が全くなかったところへ唐突に現れたもんだから、俺はぎょっとした。

 そいつは賀田川と英輔の後ろを歩き始める。

 そして俺と荒井はそいつの後ろを歩く。

 ……たぶん男だと思う。

 男だと断言できないのは、そいつが暗い場所で真っ黒いロングコートに真っ黒い帽子を被っているせいだ。まるで容姿が判別できん。背はかなり高い。百八十センチぐらいありそうだ。男は後方の俺たちには気付いていないようだ。

 不気味なヤツだな。

 暗い夜道で全身真っ黒のコーディネートのせいだろうか。……違う。足音だ。こいつはどういうわけか足音をほとんど殺して移動している。まるで尾行しているかのように。

 そして俺たちもまたできるだけ足音を立てないように歩みを進めている。今聞こえてくるのは、賀田川が履くサンダルの踵が立てるカツカツという尖った音だけだ。英輔の足音はその音にほとんど消されている。

 カツカツ――

 何かが。

 カツカツ――

 起こるような。

 カツカツ――

 そんな、空気だよな。

 カツカツ――

 ――――――!

 突如、黒ロングコートのヤツがコートをバッと広げる。まるでコウモリが飛び立つかのように見える。

 と、同時に俺の横で風が舞った、のではなく、荒井が駆け出していた。右手にハンドガンを持って。

 ……あ?

 ハンドガン!?

 ゲームではよくお目にかかるが現実ではなかなかお目にかかれない代物を、荒井はリレーでバトンを持つのがルールであるのと同じように、今この瞬間にハンドガンを持つことがルールであるかのように持って駆けている。

「荒井!」

 俺も駆け出す。

 駆け出すしかない。あいつ、なんで銃なんか持ってんだよ!

 俺が荒井を呼んだのと荒井が引き金を引いたのはほとんど同時だった。

 シュポッ――  

 銃にしてはやけにしょぼい銃声が鳴り、黒ロングコートが「ぐあっ」と短い悲鳴を上げる。その声は男のものだった。

 黒ロングコートはこちらを振り向く。

 両手にはナイフが握られている。手だけではない。そのコートの内側には無数のポケットが縫い付けられ、無数のナイフが仕込まれている。

 銃弾がどこに命中したのか分からないが、男はどこからも血を流すことなく立っている。

 荒井は何の躊躇もなくそのまま男に向かって突進する。叫びながら。絶叫しながら。

「死なせやしなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい!」

「何だてめえは!?」

 男は驚愕の表情を浮かべる。

 ようやく背後で起こっている騒動に気付いた賀田川と英輔がこちらを振り向く。

「ブチョー!?」

「それにツヅクさんも!?」

 二人は突進してくる荒井に驚き、両手にナイフを持った男に戦慄する。

「クソッ、気付かれたか」

 男は荒井の突進をかわしつつそう言って、背後に向かってジャンプし、すぐ近くの民家の塀に降り立つ。

 な、何て身のこなしが軽いんだよ……人間業じゃねえぞ。

 三日月を背景に立つ黒ロングコートの姿は、まるで死神のようだ。

 電柱の明かりが男の顔に当たる。帽子を目深に被っているせいであまり顔は見えないが、かなり整った顔立ちをしていそうではある。ただ左目が明かりを反射してキラリと光るのは、はっきりと分かった。

 ……目が放つ光とは思えない。どこか作り物めいている。

 あれは――

「あれは……レンズか?」

 左目の位置には、細くて短い筒状の――いやどうみても一眼レフのレンズにしか見えない代物が付いていた。

 俺が言うと、男は「へー」と関心したように呟き、おもむろにレンズを外す。一眼レフのレンズを取り外すかのような自然な動作だ。

 レンズの下には、何もない。

 ただ深い闇が佇んでいるだけ。

「な……」

「片目が無いことに驚いているのかい? だが驚いているのはこちらも同じなんだぜ――おっと」

 シュポッ――

 またもしょぼい銃声――荒井が男に向かって発砲したのだ。だが男は顔を少し傾けただけで簡単に銃弾を避ける。

「あーもう! なんで避けんのよ!」

 荒井は怒鳴る。

「そりゃ撃たれたら避けるって。もっとも当たったところでBB弾なんかで死にはしないと思うけどな。けけけ」

 ……エアガンだったか。銃声がしょぼいと思ったよ。そういや荒井にはもう一つ趣味があったんだったな。すっかり忘れてた。

 荒井のもう一つの趣味、それはサバイバルゲームである。

 迷彩服着てエアガンやらで似非銃撃戦を楽しむ、お子ちゃまには不向きな大人のお遊びだ。荒井はサバゲーにも俺を巻き込もうとしたが、そのあまりの危険度の高さに俺は全力で逃げるほか無かった。

 写真だけやってりゃいいものを、荒井ときたら同じぐらいの熱量でサバゲーにのめり込んでいるのだ。今だって――

「ふんっ、分かってないわね。このベレッタはあたしがフルチューンした特別製よ? さっきあんたの首筋に当たったとこだって、実は致命的な傷になっているかもしれないわ。無理しなくていいのよ。実はもう死にそうなんでしょ?」

 などと言っている。

 死ぬかよ、と俺は心の中で突っ込む。いいとこ赤く痕が残るぐらいじゃないのか。

「ああそうだな。死にそうだぜ。笑い死にしそうだぜ。けけけっ」

「何よそれ!」

 いや、言われた通りだろ。

「――にしても、まさか運命に干渉するとはな。いったいどういうことなんだか、ぜひともその理由を教えてほしいんだけど。けけけっ」

「あ?」

 と俺。

「運命に干渉? 馬鹿じゃないの? それよりそろそろ死にそうなんでしょ?」

 と荒井。

「……何も知らずに運命に干渉したっつうのか? いやそれはねえだろ。てめえらには絶対に何らかの――ん、そろそろ引き際かな。んじゃまー、俺はこの辺で。けけけ」

 男は一礼すると、またも異様な身のこなしで今度は民家の屋根まで飛び上がり、さらに屋根から屋根へと跳躍しながら去っていく。

「何やってんのツヅク! 追うのよ!」

「無茶言うなよ……」

 荒井の無茶振りに呆れつつ……なんだろ、俺は喜んでいる。

 どうして……ああ、そうか。このノリは一年の頃の荒井なんだ。だから、か。

 俺はナイフを持った怪人みたいな男と対峙していたというのに、どこか楽しんでいた。この展開に、恐怖なんて欠片も抱かなかった。

 どうにでもなる。

 何とでもなる。

 いや俺たちの勝ちだな、と馬鹿なことまで思っていたほどだ。

 荒井が……一年の頃の荒井がいたから、そう思えたんだ。

 ――と、いきなりクラクションを鳴らされ俺はハッとする。一台のタクシーがこちらに向かってきた。俺たちは住宅地とはいえ道路の真ん中に突っ立っていたのだ。それは邪魔だろう。

 端へ避けてタクシーをやり過ごす。

「あのー、ツヅクさん」

 英輔が気まずそうに話しかけてくる。

「僕と聡里には何が何だかサッパリなんすけど……」

「俺だってサッパリだ」

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