第60話:泥を啜った社畜の逆襲(7)〜狭路の罠と、烏合の衆の自滅ハック〜
手詰まりのまま数日間を過ごすのは、前世のブラック企業で納期直前にワンオペ作業がストップした時並みのストレスだった。だが、俺はただ無為に宿屋に引きこもっていたわけではない。
雲の上の権力に隠れたケイジを引きずり下ろすため、俺はあえて次の手を打った。街の中で、不自然なほど目立つようにあちこちを嗅ぎ回る――つまり、逆張りの「おとり営業」を仕掛けたのだ。ホーリーのトクリュウ組織を商人の街で合法的につぶした俺がこの男爵領に入り込めば、少数の可能性とはいえ、向こうから何らかのアクションを起こしてくるはずだと踏んだ。
その読みは、数日後に早くも的中した。
(――張り付いたな。後ろに3人)
尾行に気づいていないフリを装いながら、商店の硝子窓の反射を利用して追跡者のプロファイリングを行う。小柄な体躯に腰の双剣、そして大盾を持つ図体の大きい男。セキアのクラン『鉄華の灯』を抜けた例の二人だ。そしてもう一人、顔の隠れた盗賊風の男が追従している。
俺は足早に歩を進め、あらかじめ目星をつけていた、街の入り組んだ「狭い路地裏」へと彼らを巧みにおびき寄せた。
左右を高い石壁に挟まれた、すれ違うのがやっとの閉鎖空間。そこで俺はスッと足を止め、唐突に振り返った。
「待ち伏せを仕掛けたつもりか? ケイジの手下ども」
俺の問いかけに、路地へ踏み込んできた三人が一瞬だけ足を止める。だが、中央に立つ双剣の男が、若作りした下品な笑みを浮かべて鼻で笑った。
「おいおい、お前がレンで間違いなさそうだな? ――おい、気にするな! こいつのスキルは分かってる。簡単な相手だよ!」
俺を完璧に雑魚扱いした叫びと共に、双剣の男が腰の刃を抜き放った。
「シィィィッ!」
鋭い呼気とともに、双剣の男の刃が青白い光の尾を引く。超高速の滅多切りスキルが、猛烈な風切り音を伴って俺の胸元へと襲いかかった。
凄まじい火花が飛び散り、路地裏の石壁を赤く照らす。しかし、二日前に新調したばかりの『軽量高密度軽鎧』の圧倒的な防御力により、衝撃波のほとんどがパキパキと音を立てて弾かれた。俺の肉体への実質的なダメージはゼロだ。
「なっ……硬っ!? 弾かれた!?」
「悪いな。お前らのボスに毟り取られた分、こっちは装備を更新してるんだよ」
驚愕に目を見開く双剣の男に対し、俺はすかさず地道な特訓で鍛え上げた脚力で地を蹴った。
ドパァン!と地面の泥を爆ぜさせ、ゼロ距離まで一気に間合いを詰める。密着。これで双剣の長い得物の死角に入った。
その直後、後ろに控えていた盗賊風の男が、俺の背中を狙って放った遠距離の投射スキルが唸りを上げる。
ビュゥゥゥッ!!
――だが、インファイトの壁にされたのは、俺ではなく、俺が正面から力ずくでホールドした「双剣の男の背中」だった。
「がはぁっ!? お前、どこを狙って撃ってやがる!」
衝撃で双剣の男の口から鮮血が飛び散る。
「す、すまん! 壁が狭くて、レンの野郎が急に動きやがったから――」
思った通りの展開だ。
相手が『波状攻撃』を仕掛けてくると最初から分かっていれば、対処の仕様はいくらでもある。手の内をハックされているのはハイリスクだが、逆に「相手がこちらの弱点を突こうとする挙動」そのものが、俺にとっては次の行動を確定させる最大の予測因子(仕様)になる。
ここは狭い路地だ。距離を取られて3人に囲まれるリスクは最初から排除してある。
(それに、どうせ利益だけで繋がっているトクリュウの輩だ。前世の即席犯罪グループと同じで、まともな連携など取れるわけがないんだよ)
俺は相手の同士討ちを意図的に狙いながら、位置取りだけで一人一人をうまく対処していく。伊達にこの1年以上、初心者の街で泥水を啜りながら地道に経験を積んできたわけではない。数が3人いようとも、システム(連携)が崩壊した烏合の衆など、今の俺の基礎体力の敵ではなかった。
「おい、大盾! さっさと前に出てこいつを抑えろ!」
「わ、分かってる! どけっ、双剣!」
焦った重戦士の男が、巨大な大盾を構えて強引に割り込もうとする。
ズズズゥン!と巨体が迫った瞬間、パニックになった双剣の男が苦紛れに放った回転迎撃スキルが暴発した。
ガキィィッ! バキィィィン!!
「ぎゃああああっ!? 俺の足がっ、足があぁぁっ!」
大盾の防護から外れた重戦士の剥き出しの足元へと、身内の鋭い斬撃が最悪の形で直撃した。骨の砕ける嫌な音が路地に響き、重戦士の巨体が激しく転倒する。
「チッ、使えねえな! 撤退だ、引くぞ!」
戦況の完全な不利を瞬時に察した双剣の男は、重戦士を気にかける素振りすら見せず、即座に盗賊の男と共に路地の奥へと身を翻した。利益のみで組む組織の、あまりにも冷酷で鮮やかなトカゲの尻尾切りだ。
だが、足を深く負傷した重戦士の男だけは、うまく逃げられなかった。
「あ、悪ぃ……置いていかないでくれッ……!」
地面を這うようにして必死に手を伸ばす巨体。
俺はその背後に足音もなく近づくと、上から容赦なく組み伏せ、その太い腕をひねり上げて完全にホールドした。
「仲間が捕まったっていうのに、アイツら構わず逃げていきやがったな」
「く、糞が……! 待ちやがれ、俺を置いていくなッ……!」
遠ざかる双剣たちの足音を聞きながら、重戦士が絶望の声を目に涙を浮かべて絞り出す。
俺は捕らえた重戦士の腕の力を少しだけ緩め、その絶望に染まった顔を見下ろしながら、ぽつりと静かに呟いた。
「気の毒にな。……利用価値がなくなれば、一瞬で切り捨てられる。そういう組織なんだよ、お前たちがいる場所は」
その声には、冷酷な嘲笑ではなく、かつて都会でケイジの一味に全てを毟り取られて使い潰された、過去の自分を見つめるような淡い同情が混ざっていた。
手詰まりだった焦燥は消え去った。泥臭い社畜のドブ板営業が、ついに男爵領の絶対防御システムの内側に、確実な「バグの穴」を穿った瞬間だった。ここからは、シーダさんから学んだ「ハメ技」を応用した、尋問の時間が始まる。
60話 完




