第58話:泥を啜った社畜の逆襲(5)〜上書きの女と、奪還のウエストバッグ〜
なんだかんだで二日が経ち、俺は馴染みの武具店の暖簾をくぐった。
「おう、レン! 待ちかねたぞ、完璧に仕上げておいたからな!」
親父が差し出してきた防具一式を身に纏ってみる。さすが商人の街の一流職人が手がけただけのことはある。最初から俺の身体のラインを計測して作られたかのように、ミリ単位でぴったりとした素晴らしい出来栄えだった。
これだけの高密度軽量鎧であれば、想定される対人戦での不意の斬撃や、魔法の余波にもある程度は生身で耐えられるだろう。つまり、固有スキル『不屈の正義』の仕様である「生身で3回被弾して解析する」ための時間を、より安全に稼げるということだ。
さらに、新調した黒漆塗りの立派な鞘へ、腰の魔剣をゆっくりと滑り込ませる。
驚くほどしっくりと剣身が馴染んだ。引っかかりが一切なく、これなら少しくらいなら居合の真似事だって十分にこなせる。
腰の奥から、深く満足したような念話が響いた。
(ふむ……! 窮屈さも冷え込みも一切ねぇ。極上の寝床じゃねえか。合格、いや大合格だ、レン!)
「気に入ってくれたなら何よりだ。親方、最高の仕事をしてくれて感謝します」
俺は親方に深く礼を言い、全ての準備を整えた。お世話になった関係者への挨拶を全て済ませ、いよいよ街の出口へと差し掛かった、その時だった。
見開かれた門の脇に、見慣れた少女の姿を見つけた。――エリーだ。
彼女は、ギルドでケイジの横領容疑やホーリーの自白ログを確認しているうちに、俺が今日この街を出ることに当たりをつけ、ここで待ち伏せしていたのだろう。
「旅立ちですか、レンさん」
「ああ。エリー、わざわざ見送りか?」
軽く挨拶を交わし、俺は気になっていたことを尋ねた。「ソイの具合はどうだ?」
「だいぶ落ち着いてきましたよ。一時はどうなることかと思いましたけど。……でも、心配はいりません。女は強いのよ。過去の記憶なんて、新しい現実で綺麗に上書きできる生き物だから。今度は、私がソイちゃんを上書きしてみせるわ」
ソイへの執着を、いつも通りの静かなトーンで語るエリー。
彼女は決して嘘をつかない。ただ自分の心にどこまでも合理的で、正直に生きているだけだ。その結果として歪んだ百合の独占欲が綺麗に完成しているのだから、ある意味では一番質が悪い。だが、これならあの元お嬢様が路頭に迷う心配だけはないな、と俺は思った。
俺はもう一つ、頭の隅に引っかかっていた話を振ってみた。
「そう言えば、街の裏路地でウシオらしき男がゴミ箱をあさっているのを見かけたんだが」
エリーは表情一つ変えず、淡々と言い放った。
「私は彼に『私のためにお金を使って』なんて、一度もお願いしていませんわ。彼が勝手に私を助けたいと思い、勝手に行動した。彼だって妻子を持つ立派な大人なんですもの、自分の行動は自分で決めたはずでしょう。それならそれで、仕方のないことですわ」
その口調には、冷酷な悪意すら混ざっていない。彼女自身、男をハメるためのトラップを仕掛けているという自覚など毛頭ないのだ。ただ「事実」を並べ、相手が勝手に都合よく誤解して自滅していくのを、自己責任としてドライに切り捨てているだけ。
ぐうの音も出ないほどの圧倒的な正論。これには元社畜の俺も、何も言い返せなかった。
その時、エリーの視線が、俺の腰元に留まった。彼女の瞳がふっと優しく揺れ、嬉しそうな微笑みが浮かぶ。
「ふふ、そのウエストバッグ……まだ持っていてくれたのね。この前、街道で再会したときは身につけていなかったから、もうてっきり捨ててしまったのだと思っていましたわ」
彼女は、自分が昔、治療費の代わりに押し付けた【自分のボロボロのお古のバッグ】を、俺が未だに大切にホールドしているのだと盛大に勘違いしていた。
「いや、勘違いするな。これはお前のお古じゃない」
俺は腰のバッグをポンと叩き、エリーの目をまっすぐに見据えた。
「ケイジの一味に毟り取られて、裏商店街に流されていた『元・俺の特製ウエストバッグ』だよ。売れ残っていたのを、さっききっちり金を出して買い戻したんだ」
エリーが少しだけ驚いたように目を見開く。
俺は彼女たちを深く恨んでいるわけではない。その理不尽な巻き込み性質には最大級の警戒を払っているが、彼女たちもまたケイジに食い物にされた被害者だという同情はある。だからこそ、俺が向ける本当の牙の矛先を、明確に示すように言葉を続けた。
「俺はこれから、あの都会でケイジの一味に理不尽に奪われたものを、公式に、合法的に、『全部』取り返しに行く。これはそのための第一歩だ」
エリーはしばし沈黙した後、なるほど、と納得したように小さく笑った。彼女にとって俺のこの執念すらも、一つの合理的な生存戦略として映ったのかもしれた。
「そうですか。……ええ、あなたなら本当に全部やってのけそうですね。行ってらっしゃい、レンさん」
エリーに見送られながら、俺は商人の街の巨大な門を堂々と踏み出した。
最新の鎧の感触を確かめ、買い戻した思い出のバッグの紐を締め直す。視線の先、遥か彼方には、真の宿敵ケイジが巣食う「オータム男爵領」へと続く主要街道がまっすぐに伸びていた。
泥水を啜った元社畜の完全なる逆襲劇。その第二幕へ向けて、俺は一歩一歩、確実な足取りで進み始めた。
58話 完




