第53話:ドブ板営業の果て、あるいは「それなー」の記憶
俺がソイの実家の金を使い込んで逃げたという汚名(噂)は、この商人の街の市場にすでに広く行き届いていた。
商売人にとって「情報」は命の次に重い。コンプライアンス違反を犯した人間のログなど秒速で共有されて当然だ。だが、あれからすでに1年以上が経過している。かつてのような激しい糾弾の熱は、幸いにも少しは落ち着いているようだった。
今回手帳に控えた商店は、高級魔宝石店やブランド装飾品店といったきらびやかな場所ばかりで、前世で泥臭いワンオペ雑務を押し付けられまくっていた俺にはあまりなじみのない場所が多かった。
だが、そんな中に数軒混じっていた、かつて備品発注などで通いつめたポーション屋などのなじみの店に顔を出した際、店主から「レンさん、心配していたんだぞ……」と、思いがけず温かい声をかけられた。世界への信頼メモリがマイナス固定の俺の胸の奥が、ほんの少しだけ、居心地悪そうに揺れるのを感じた。
正式な監査手続きである、会計のじいさんから毟り取ってきた豪商名義の『請求調査依頼証明書』の効果は、まさに絶大だった。
店側の規約の壁を完全にハックするその令状を窓口へ叩きつけると、各店舗の責任者たちは1年前の古い取引ログを大人しく開示し始めた。
大商人用の「黒い手形」なんて代物、この広い街であってもそうそう使える人間は多くない。おまけに同じ日・次の日に一斉に買い漁るという超過密スケジュールだ。一軒一軒しらみ潰しにあたるドブ板営業の果てに、俺はついに、実際にそれを使った人間の明確な『特徴』を掴み取った。
「使われたのは確かにその黒い手形です。ただ、使ったのはレンさん、あなたではない。……中年の女性でした。身ぎれいにされてはいましたが、お歳(老い)は隠しようがなく、その割に、無理をして若者の言葉を使おうとする……なんとも印象に残るお方でしたよ」
中年の、無理をして若者言葉を使う女性。
店の人間が語ったその特徴に、俺の脳内メモリが猛烈に引っかかった。
俺を森の奥で襲ってきた集団に、そんな女性はいなかった。では、どこで──。
思考のログを過去へと急速に逆回転させた瞬間、ある最悪な「経費テロ」の記憶がフラッシュバックした。
まだ俺が追放される前のある日。ケイジの奴は、俺の知り合いでもなんでもない『自分の知り合いの女性』を勝ために連れてきて一緒に飲んで盛り上がっていたくせに、いざ会計の時間になると、
『いやぁ〜、ここはレンさんが先輩の貫禄で全部奢ってくれますよ!』
とニタニタ笑いながら、その高額な支払いを当然のように俺の財布に押し付けやがったのだ。
あの時、ケイジが連れてきた女。
思い出した。確かに、あの時の女の特徴が、今、店主の口から告げられた実行犯の波形と完璧に一致する。
名前は、確かホーリーだったか。
歳の割に無理して若者言葉を使う痛い女。こちらの言うことに中身もなく「それなー!」と同意してみせたり、意味不明な自己顕示欲の強い自慢話を延々と垂れ流していたため、当時の俺はワンオペの疲労もあって話半分にしか聞いていなかったが、いまはっきりと思い出した。
(……なるほどな。最初からバレる前提で黒い手形を使い、あの時俺に支払いを押し付けたホーリーという女に、同じ日、次の日のうちに一斉に高級品へ換金させたわけか)
あいつらが1年前に完成させた、書類偽装と横領のハック手順(仕様)の「実行犯」を、俺は手帳のログの上で完全に看破した。
だが、ホーリーという名前が分かったところで、肝心のケイジがこの街に潜んでいない以上、彼女の現在の正確な居場所までは分からない。大都市の迷宮で個人を特定するのは困難を極める。
しかし──俺の雑務経験の引き出しが、当時の女の言葉をもう一つ引っ張り出してきた。
『将来はケイジさんとプライベートクランを作るのが目標〜』
意味不明な自己顕示欲に塗れたあの雑談。本気でクラン設立に動いているのだとすれば、実績のない新設クランを軌道に乗せるため、この街の既存クランで「有望な実力者」を片っ端からスカウトして回っている可能性が極めて高かった。
「スカウトの足取りを追うなら、あそこか……」
俺は、かつてこの商人の街で少しだけお世話になったことのある、古い付き合いのクランの顔役たちを思い浮かべた。あいつらなら、街のクラン界隈における最新の引き抜きや不審なスカウトのログ(噂)を確実に握っているはずだ。
俺はカバンの中の星型チャームをそっと指先で確認し、やせ我慢の瞳を冷たく細めた。
ホーリーの行方を追うルートは定まった。あいつらが「それなー」と笑いながら使い込んだ大金の代償を、1銭、残らず耳を揃えて支払わせるため、俺はかつてのなじみのクランの門を叩くべく、再び欲望渦巻く街の雑踏へと歩みを進めるのだった。
(第53話




