第52話:泥臭きローラー作戦の開幕、あるいは原本が語る不条理
ギルドでの緊迫した取り調べから一夜明けた。
俺は約束通り、下品なだみ声を張り上げていたソイの実家──商人の街でも有数の規模を誇る豪商の屋敷へと足を運んでいた。
ソイの案内で通されたのは、大量の帳簿が整然と並ぶ「会計係室」。そこで待っていたのは、俺を「実家の金を使い込んだ大泥棒」として冷ややかな目で見下ろしてくる、年老いた会計係のじいさんだった。
周囲の針のむしろのような視線を、俺は冷徹なやせ我慢の盾で弾きながら、単刀直入に要求した。
「俺が横領したとされる、当時の『請求書一覧』の原本を確認させてほしい」
じいさんは不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、公式なログである分厚い書類の束をテーブルに叩きつけた。
俺は前世のブラック企業で、ありとあらゆる理不尽な雑多仕事や書類処理を押し付けられ、ワンオペで処理させられてきた経験則をフル稼働させ、その数字の羅列に目を走らせた。
(……なるほどな。最初から『バレるの前提』でやってやがるな、このクソ野郎は)
原本を精査して、あいつの意図が完全に読めた。
そこに記載されていたのは、高級な魔宝石や希少な香辛料、あるいはブランド物の装飾品など、あからさまに『換金しやすい物品』の購入ばかりだった。しかも、日付はすべて【同じ日、およびその次の日】という極端な超過密スケジュール。
一箇所の店で大量に買い込めば、店側から不審に思われてその場で足がつく。それを避けるため、店側に不信感を持たせないように、商人の街にある複数の異なる店舗へ同じタイミングで一斉に分散させて買い漁ったのだ。
俺は黙々とペンを動かし、そのすべての『日付』『購入品目』『店の名前』を手帳へと正確に控えていく。
書類を精査しながら、俺は最も重要な舞台装置についてじいさんに質問を投げかけた。
「質問だ。大商人用の手形であるこの『黒い支払書』は、今、誰が扱っている?」
「現在は、僧侶のエリー様が厳重に管理されておるが……それがどうした」
じいさんは不審そうに眉をひそめる。俺は手帳のログをトントンと叩きながら、さらに踏み込んだ。
「じゃあ、かつてケイジが護衛任務に就いていた時期はどうだった。あいつが手形を扱っていた時の請求金額は、俺やエリーが管理している期間と比べて、どうだったんだ」
「それは……」
じいさんは一瞬言葉に詰まり、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「……確かに、今思えば、ケイジ様が護衛をされていた時期は、レンさんやエリー様が管理されている時よりも、明らかに全体の請求金額が突出して多かった。だが、それは『レンに裏切られたショックでソイお嬢様がいつもより暴走して荒れてしまい、機嫌を取るための出費や損害賠償が嵩んだ』と、ケイジ様から当時の報告を受けておる」
「報告書など、いくらでも後から偽装できる。あいつはソイの脳みそをハックして、自分の水増し請求の言い訳に利用したんだよ。──数字の異常値は嘘をつかない」
俺の冷え切った言葉に、会計のじいさんがハッとしたように目を見開く。
これ以上の情報は、この部屋の書類からは出てこない。外堀の半分は埋まった。
だが、ここでただ店を飛び出すほど、俺はアマチュアではない。
これから一軒、一軒、当時の店舗にあたるにあたって、各店が「顧客の個人情報や取引ログ」を、一介の冒険者にすぎない俺にホイホイ晒すとは到底思えなかった。店側には当然、守秘義務という規約の壁がある。
俺は手帳を閉じると、会計のじいさんを真っ正面から見据えた。
「じいさん。俺がこの複数の店へ赴き、当時の実態調査を行うための、お前の実家名義の『公式な調査証明書』を発行してくれ。それがないと、店側も顧客情報を開示しない。お前だって、アタシの実家の金を使い込んだ泥棒の、苦しい言い訳を木っ端微塵にぶっ潰したいんだろ?」
「……フン、よかろう。お前が潔白であれ泥棒であれ、真実を数字で証明するというのなら、これを持っていけ」
じいさんはしばらく俺の目を凝視していたが、やがて後ろ暗さのまったくない俺のやせ我慢の瞳に気圧されたのか、豪商の印章が押された正規の『請求調査依頼証明書』を厳重に発行し、俺に手渡した。
「確認させてもらった。感謝する」
俺は前世の雑務処理で培った礼儀正しさを崩さず、事務的だったじいさんに対して一礼し、お礼を言って会計係室を立ち去った。俺のそのあまりにも堂々とした態度と、法的手段(証明書)を真っ先に押さえる手際に、じいさんは小さく首を傾げていた。今頃、その胸の内に「本当にこの男が犯人なのか?」という小さな疑惑のノイズが響いているはずだ。
屋敷を出て、活気に溢れる商人の街の喧騒へと足を踏み入れる。
手帳に控えた、超過密スケジュールで分散された店名。そして、じいさんから譲り受けた、店側の規約の壁をこじ開けるための強力な武器(証明書)。
川へ叩き込まれてから、全快までに3ヶ月、街に戻るまでに4ヶ月を要し、そこからさらに初心者の街へ都落ちして泥臭い修行を積み重ねてきた──あれから、すでに【1年以上】もの歳月が経過している。少し昔のログにはなる。
だが、大商人用の「黒い手形」なんて代物、この広い街であっても、そうそう平気で使える人間など多くない。
これから俺がやるべきことは、魔法のチートでもなければ、派手な戦闘でもない。
じいさんの証明書を各店の窓口へ叩きつけ、当時の購入ログと、実際にその高級品を同じ日・次の日に一斉に買いにきた人物の『特徴』をしらみ潰しに調べていく──前世のドブ板営業さながらの、最高に泥臭いローラー作戦だ。
相手がハックしたシステムの中に必ず残したであろう『人間の足跡』を辿っていけば、絶対に笑顔の悪魔のしっぽを掴める。その確信だけが、俺のやせ我慢の瞳の奥で、静かに、苛烈に燃え盛っていた。
(第52話




