【第39話】「馬鹿うしへの変貌と、残念な飼育」
主要街道の深い森の延焼を、俺とウシオさんの2人がかりでなんとか食い止め、俺の新しい相棒(魔剣プーエル)へ商人の街での特注高級鞘という痛すぎる追加経費を約束させられた、その日の夜。
俺たちの臨時パーティーは、中継点の村を素通りした先の開けた荒れ地で、野営の準備を進めていた。
だが、そこで俺の脳内メモリの危険アラートが、パチパチと燃える焚き火の前で再び最悪なログを検知した。
「エリーちゃん、火の粉が飛ぶと危ないから、もっとこちらへ来るといい。さあ、今夜は私が腕を振るって、美味い食事の準備を完璧にこなしてあげるからね!」
いつも以上に鼻の穴を膨らませ、ガチガチに張り切って動き回っているウシオさん。
男のその頼りなさそうな口から放たれた言葉を聞いた瞬間、俺の網膜は拒絶を込めてピキッと硬直した。いつの間にかあいつ、エリーへの呼び方が「エリー殿」から、まさかの【エリーちゃん】へと急激にクラスチェンジしていやがったのだ。
それだけではない。ウシオさんは、俺がこの遠征のために買い出しておいた数日分の携帯食料の袋を勝手に開けると、頼まれてもいないのに、貴重な【干し肉】をバンバンと火の上に並べ始め、豪勢な食事の支度を始めやがった。
さらに、あいつはエリーちゃんの前でいい格好をしたいあまり、調子に乗って俺の懐事情まで大声で暴露し始めたのだ。
「いやぁエリーちゃん! 実は今回の旅はね、レン殿が『今は少し懐に余裕がある』と言って、移動資材や中級ポーションの費用をすべて自腹で持ってくれているんだよ! ありがたい話だよねぇ。さあ、この干し肉も私が家庭的に美味しくスープにしてあげたからね、私はこう見えて料理もできる男なんだよ!」
(……おい、ペラペラと余計な裏事情を喋ってんじゃねえよ、この馬鹿うしがァッ!! そもそも今回は警護の経費じゃ落ちねえんだぞ。俺の財布はお前の経費じゃねえんだぞ……トホホ……)
早くも身銭を切らされる未来の絶望に俺がやせ我慢の奥歯を噛み締めている間に、干し肉のスープが煮立ち、火を囲みながら最悪な雑談が始まってしまった。
案の定、ソイが肉を骨ごと下品に齧りながら、頭の悪い脳みそで思いついた他人の悪口を、普段通りの『素』のままで、本気でノーダメージ(罪悪感ゼロ)のまま大声で垂れ流し始めた。
「えぇ〜? ちょっとねぇ〜、うしはエリーちゃんのこと好きなのぉ〜!? だったら付き合っちゃいなよぉ〜! ギャハハ!」
語尾を伸ばした、これ以上なく下品なマウンティング恋バナ。
ソイという女は、はっきり言って壊滅的な馬鹿の公害エリートなのだが、タチの悪いことに、こういう他人の生々しい下心や男女の機微に対する【勘】だけは、異常なまでに鋭かった。
ウシオさんは顔を真っ赤にして照れくさそうにし、完全にまんざらでもないデレデレとした表情を浮かべている。
対するエリーは、上品にしおらしくうつむいていたが、その知的で理知的な表情の奥の波形は1ミリも変わっていなかった。見る人が見れば「純粋に照れている可憐な地味系清楚」に見えるのだろうが、過去にコイツに本気で転がされそうになった俺の目は騙せない。
これは次の財布としてウシオさんをハメ殺すための冷徹な計算でもあるのだが、同時に、実はエリーはソイを異性として好いているという歪んだ内情があった。だからこそ、ソイに言われてデレデレしているウシオさんを見つめるエリーの瞳の奥には、冷徹な計算に加えて、激しい【口惜しさと呆れ】がドロドロと混ざり合っていた。怖いから絶対に関わらんとこう、と俺は冷徹に目をそらして完全無視を決め込んだ。
ソイは対面のウシオさんを「こいつ超〜チョロいわぁ〜」と本気で舐め腐ったのか、その後は「うしなら、もぉ〜って鳴けよぉ〜! ほら, もぉ〜はぁ〜?」などと、好き勝手におじさんをただのおもちゃにして笑い転げ始めた。ウシオさんはそれでも嬉しそうに鼻の下を伸ばしている。本当に見ていて鬱になる光景だった。
その時だった。夜闇に包まれた遠くの草原の奥から、遠吠えのようなオオカミの不気味な鳴き声が、風に乗って聞こえてきた。
それを聞いたソイが、手に持った超絶に豪華な杖をぶん回し、ウシオさんに向けて最悪な命令をブチかました。
「あーっ! わんちゃんだぁ〜! 私、わんちゃんテイムしたぁ〜い! そしたらこれからの旅にも絶対に役立つしぃ〜、ねー、エリーちゃんもそう思うよねぇ〜?」
「ええ、そういう話も聞きますね。道中も心強いかもしれませんわ」
エリーが知的で清楚な、だが意図的に断定を避けたニュアンスの相槌を打った瞬間、ウシオおじさんの下心に、これ以上ないほどのブーストが点火された。
「任せておきなさい、エリーちゃん! このウシオ、そのわんちゃんとかいう魔物を、今すぐこの手で完璧に捕らえてきてみせよう!」
おじさんは武器を手に取ると、夜の闇の中へとはりきって突進していった。
(おいおいおい!! まずい状況だぞこれ!! あんなおっさんの下心の空回りで、もしパーティーから死亡者なんか出してみろ。ギルドの公式な規約に反して、俺にどれだけ激重なペナルティが科されるか分かったもんじゃねえぞ……ッ!!)
俺は労働災害防止のリスク管理から本気で頭を抱え、自分も武器を持って後を追うことにした。
そしてそのついでに、横にいたエリーをソイに聞こえない裏へと呼び出し、低い声で問い詰めた。
「おい、エリー。誰かこのパーティで、本当に魔物を従えるような『テイムスキル』なんて持っているのか?」
するとエリーは、知的で落ち着いた雰囲気を崩さないまま、静かに微笑んで応えた。
「あら、レンさんだってソイちゃんの屋敷でみたでしょ。テイム、『飼育(監禁)』ってだけで、スキルなんて誰も言ってないわよ」
エリーのその冷徹な言葉を聞いた瞬間、俺の脳内メモリの中で、すべてのピースが完璧に、綺麗にはまった。
そういえば以前、期間契約であのソイの護衛任務をしていた頃、彼女の実家の豪商の屋敷の裏庭に、頑強な鉄の檻に入れられた凶悪なモンスターたちが獰猛に暴れていた光景を目にしていた。当時は「こういう珍しい魔物の商売もやってるんだな」と勝手に納得していたが、何のことはない、ただのソイの我が儘で、周囲の男たちに力づくで捕らえさせて檻に放り込んでいただけという、あまりにも生々しいクソお嬢様の公害の内情に、俺は心の底から呆れ果てた。
これ以上付き合っていられないが、パーティーから死者を出してギルドの規約違反になるわけにはいかない。
俺は足音を消して、そっとウシオおじさんの様子を見るために夜の草原へとあとをつけた。
草むらの奥で、ウシオさんが血だらけになりながら、必死に組み伏せてロープで縛り上げようとしていた相手は――幸いなことに、群れからはぐれた中型の【はぐれハイイーナ(犬系の魔物、分かりやすく言えばハイエナの成犬前)】だった。
相手がはぐれだったのは、ウシオさんにとってこれ以上ないほどの幸運だった。もしこれが群れだったなら、今頃おじさんは彼らの格好の餌(肉塊)になっていただろう。一応は獰猛な魔物であるため、ウシオさんは満身創痍になりながらも、エリーへの下心のスタミナだけでなんとかそれをロープでガチガチに縛り上げ、観念させて大人しくさせることに成功していた。
(……まぁ、死にやしねえな。大丈夫そうだわ)
俺は冷徹にそれを見届けると、余計な手出しはせず、無言のまま先に焚き火の席へと戻ることにした。
戻ってしばらくすると、案の定、ウシオさんが全身血まみれの傷だらけになりながらも、「やったぞ、エリーちゃん!!」と、誇らしげな大笑顔で、縛り上げたハイイーナをずるずると引きずって戻ってきた。
(……あいつ、完全に馬鹿だね。奥さんと子供にあんな姿を見せられるのかね。エリーのただの『犬』に成り下がりやがって。あの自称・良い夫を見て、街で待ってる本物の奥さんと子供に、俺は心から同情したわ……)
俺の中で、あいつへの呼称が【馬鹿うし】として完全に固定された瞬間だった。ただただ呆れ果てた目でその成れの果てを眺めていた、まさにその時だった。
血の滲むようなおじさんの努力の結晶を一瞥したソイが、語尾を伸ばして最悪な一言を切り捨てた。
「えぇ〜? そいつ、あんまり可愛くなぁ〜い! 私が思ってたわんちゃんと全然違うからぁ〜、もうそんなの逃がしていいよぉ〜!」
「な……っ!!!?」
脳内メモリを完全に消し飛ばされ、顎が外れるほどの衝撃でその場にガタガタと愕然としてフリーズするウシオさん。
そこへ、傷心のおじさんに向けて、エリーがこれ以上なく知的で健気なトーンで完璧なフォローを直撃させた。
「その犬は、残念ながらテイムには向きませんわね。……でも、私のためにここまで頑張ってくださったのですね、ウシオさん。本当に凄いですわ。――さあ、すぐにその傷を、私のヒールで治療しましょう」
「う、うおおおッ! エリーちゃん……ッ! ワシは、ワシはエリーちゃんのために、これほど頑強に戦ったのだよ……ッ!!」
エリーの極上の地味清楚ヒールを浴びながら、自分がどれだけ草原で勇敢に戦ったかを誇り、デレデレと悦び震えているウシオおじさん。完全にエリーの手のひらで綺麗に転がされ、思考のメモリをハッキングされてやがる。
今夜も冷えるなぁ……。
ギルドに正式に申請している、この臨時のパーティー契約のあまりにも重い不条理を背中に背負いながら、俺は深い溜息と共に、やりきれない思いのまま毛布にくるまった。
それにしても、あんな大人の見栄の下らない下心と、クソお嬢様のわがままな茶番に無駄に付き合わされ、血だらけにされて最後は「可愛くないから」と秒速で放流された、あのはぐれハイイーナには……流石に心から同情するわ……。
明日も早いので、寝よう。
俺は相棒のプーエルを抱えたまま、終わらない街道の旅路へ向けて、どうぞ静かに目を閉じるのだった――。
(第39話・完




