【第33話】「君は綺麗さと、猿の面の足音」
地方の有力貴族から正式に届けられた、目も眩むような高額な特別報酬。
前世のブラック企業ではどれだけ命を削って手柄を立てても1円の手当すら出なかったが、この世界では泥臭い苦労が正当なマネーとして報われたため、俺の財布は珍しくホカホカと温かかった。
(……さて。この大金の使い道だが、どうするかね)
過酷な拷問を受けて精神的に大きなダメージを負った、あの真面目な監視員のタダシを誘って慰労も込めて豪勢に外食でもするか。あるいは、前回の神隠し事件で不気味な小ワープ移動をフル稼働させて大貢献してくれたあの石像の爺さんのために、以前に拝借してしまった最高級回復ポーションの予備でも買って差し戻し、お婆さんの安心を増やしてやるべきか。
俺は下宿の部屋でそんな思案を巡らせながら、いつもの初級ダンジョンへと足を運んだ。
あのカウフマンさんの偽イケメンマルチ事件を発端とする、一連の最悪な神隠し騒動が幕を閉じてから、およそ1週間。
表面上はだいぶ平和を取り戻しつつあるダンジョンだが、前回の事件の爪痕は、職員たちの心に予想以上に深く生々しい傷跡を残していた。カズキさんは人生初の不手際のショックから未だに本調子ではなく、タダシだって精神的なダメージから完全には回復しきっておらず、ロビーの空気はどこか重苦しく沈んでいた。意外と前回の事件のダメージが、この場所に重く残っているのだ。
そんな中で、教団との契約対価として「なけなしの倫理観」に加えて【羞恥心】まで完全に毟り取られてしまったあのカウフマンさんだけは、完全にブレーキのブ壊れた真の変態として大暴走を継続していた。
おじさんは元のキモおぞましい姿のまま、受付のアイちゃんのすぐ傍の通路で、無駄にド派手な【攻撃スキル】を撒き散らして暴れ回ったかと思えば、技の終わりに「ジャキィィィンッ!」といちいちキレッキレの不気味な『決めポーズ』をドヤ顔でかましていた。最高にうざいグラフィックだった。
カズキさんを一気に型に嵌めて骨抜きにする大チャンスなのに、すぐ隣でおじさんが大技の決めポーズを連発して凝視し続けているため、キモすぎて一歩も動けないアイちゃん。
もどかしさと日頃のストレスが完全に限界突破に達したあの狡猾ビッチは、ついに最悪な八つ当たりの暴挙に出た。アイちゃんは、管理カウンターの奥にいた【新人の少しイケメンな男性職員】の腕を強引に掴むと、そのままロビーの薄暗い物置エリアの暗がりへと力づくで連れ込んでいったのだ。
しばらくして、暗がりから2人が出てきた。
その新人職員の首筋には、バチコーンと鮮烈に赤く腫れ上がった、あまりにも生々しい『キスマーク』が刻みつけられていた。新人職員は顔を真っ赤にしてガタガタと震えている。
俺がその信じられない光景を見ながら、冷徹な目を向けていた、まさにその時だった。
女王様が自分の目の前で他の若い男を暗がりに連れ込み、キスマークをつけて浮気をしたという最悪なビジュアルテロを真っ正面から直撃したカウフマンさん。おじさんはショックのあまりガタガタと震えながらガックリと両膝を床につき、教団の規約に逆らってアイちゃんを信仰した呪いのシステムによって「う、ぐふっ、心臓が……激しく締め付けられる……ッ!」と血の泡を吐いてのたうち回り始めた。
だが、あいつはその心臓の激痛を1ミリも教団の呪いとは思っていなかった。すべてを純粋なアイちゃんへの愛の痛みと思い込んだまま、這いつくばっておぞましい脳筋ビブラートを響かせ、アイちゃんに向けて狂信的に大声で歌い出しやがったのだ。
「ぐ、おぉぉ……! 『君は綺麗だ……ッッッ!!!❤ 辛いけど否めない、でも離れがたいのさぁぁぁーーーッッッ!!!❤』」
心臓を締め付けられる呪いの激痛に悶絶しながら、どこかで聞いたことのある前世の有名な失恋ポップスのフレーズを、ただただ狂信的にアイちゃんへ捧げて大熱唱している地獄の狂気。
(何やってんだあの人。職場を何だと思ってやがる。おっさん……世界線違ぇよ!!! なんで異世界の初級ダンジョンの通路で、倫理観の死滅したおじさんの狂った失恋の歌をフルコーラスで聴かされなきゃならねえんだよ!!! 世界線が全部バグってんだろ!!)
俺の脳内ツッコミが最高圧で空回りした。
そんな日常が繰り広げられる中、俺の視界の先を、この初級エリアには明らかに不自然な、全身をガチチの鋼鉄で覆った「フルプレートアーマーの男」が通り抜けていくのが見えた。
(……チッ、こんな場所にフルプレートだと? 教団の新たな刺客か……!?)
俺は網膜の奥のレーダーを鋭く緊迫させ、ボロ剣の柄へと手をかけた。
だが、そのフルプレートの男が、先ほどから続いているカウフマンさんの大熱唱や、アイちゃんのキスマークの生々しい余波を、一切の精神的ノイズを受けることなく1ミリも無視して平然と通り抜けていく挙動を見て、俺は冷徹に納得した。
(ああ。あの人、このダンジョンの数々のうざい奇行や変態の視覚ノイズを完全にシャットアウトするために、わざわざあのフルプレートを被ってたのか。……ただの賢くて合理的な一般の冒険者かよ……)
一瞬の警戒が解け、俺は(自分も今日のノルマをこなさなければな)と頭のメモリを切り替えると、真面目にいつものスライム潰しのレベル上げに戻ることにした。
ザシュッ、ザシュッ。
ボロ剣を振るい、地道な固定経験値を稼ぐ日課の鍛錬を始めて、しばらくしたところだった。
俺は自身の背後の死角に、あの石像の爺さんとは明らかに質の違う、冷酷で不気味な不審者がずっと付きまとっていることに気づき、背筋に冷たい悪寒が走った。
俺の後ろを正確についてきているのは――「猿の面」を被った、異様な佇まいの謎の不審者だった。
最初は偶然かと思い、「先へどうぞ」と通路を譲って先に行くよう促してみたが、男は不気味なほどに黙ったまま、ピタリと足を止めて動こうとしない。気味が悪いので、俺はわざわざ複雑な遠回りの通路を選んで移動してみたが、その猿の面の男は、鏡のように正確に俺の後ろへと張り付き、無音の足音でストーキングを続けてくるのだ。
その瞬間、俺の脳内メモリに、ガットさんから高額な特別報酬を受け取った際の【冷徹な警告の言葉】が鮮明にフラッシュバックした。
『レンくん。今回、次男坊救出の主功として、君の名前は貴族側へは一切出していません。……ですが、あの邪神教団のバックには、中央の中枢にいるろくでもない男が関わっているとの話を掴みました。ギルドに提出された例の報告書のせいで、すでに君の名前は教団側に割れている可能性が高い。大丈夫だとは思うが、君の身の回りにはくれぐれも気をつけてください』
(……なるほどな。様子見を決め込んだギルドの不信のツケが、もう俺の背後に不気味な不審者として届きやがったか。今回の件で、また何か面倒なことに巻き込まれる可能性は十分にあり得るな)
ガットさんの警告、そして背後に迫る猿の面の不審者。
さっきのフルプレートの男ほど極端ではないが、俺も貴族からの高額な報酬(資金)がホカホカとある今のうちに、理不尽な不意打ちを完全に防ぎきれるだけの【ちゃんとした本物の防具】を新調するべきだと、固い決意を下した。
だが、こんな田舎町の寂れたギルド周辺では、まともな装備など買えるはずもない。
俺は、手に入れた新しい相棒(魔剣プーエル)の柄を強く握りしめた。
もし教団からの刺客が襲って来た場合に対応するために。
「商人の街か……。久しぶりに行くか」
俺は背後に張り付く猿の面の視線を冷徹に受け流し、力強く一歩前へと踏み出すのだった――。
(第33話




