【第26話】「悪魔セーレの権能と、不条理なる膠着」
下層通路でのあの「恋の王様」との死闘――、明けた翌日。
公営の訓練用ダンジョンにおける「私闘の禁止」という絶対のコンプライアンス(規約)を破った俺に下されたギルドの沙汰は、【3日間の初級ダンジョン出入り禁止】という処分だった。
本来であれば公営施設での公の私闘は一発永久BAN処分すらあり得る重罪だ。だが今回は、俺の泥臭いやせ我慢とカズキさんの有能な連携のおかげで、街を裏から蝕みつつあった邪神教団の侵食計画と、その悪質な悪魔契約の手口を現行犯で押さえ、カウフマンさんから最初の決定的な証拠(証言)を引き出すことに成功した。その功績が考慮され、罰は驚くほどに軽減されたのだ。
「3日間の出禁、か……。まあ、日課の1ポイント固定経験値稼ぎ(レベル上げ)ができないのは痛いが、あの理不尽な状況を考えれば、これ以上ないほど安い減給で済んだ方だな」
俺は下宿の部屋のベッドに腰掛け、折れた初心者剣の代わりに机の上に置いた【黒ずんだボロい剣】を見つめた。
この自由な3日間、俺がやるべきことはただ一つ。情報収集、および次なる本格的なカウンター作戦へ向けた、魔剣の悪魔プーエルとの作戦会議だ。
「プーエル。お前の知恵を貸してくれ。あのカウフマンさんがハメられていた、あの外見を都会風のイケメンに変身させる呪いのシステム……お前には心当たりがあるんだろ?」
俺の脳内メモリの問いかけに応じるように、ボロ剣の奥底から、禍々しくも極めて協力的なプーエルの声が、はっきりと精神へと響き渡った。
『契約自体は……本来なら言えんが今回は特別だ、レン。魔界の契約のシステムにおいて、対象のグラフィックを最高級の美男子へと魔改造し、外見を自由に変身させる権能……。そんなチャラついたハメ技を好むのは、ソロモン72柱の一角、序列70位の悪魔【セーレ】、あるいはその直系の配下の仕業に違いないわ』
プーエルは、魔界の組織図と、あの武器屋が行っている悪魔を用いた具体的な契約による、極めて悪質な勧誘方法について冷徹にリークし始めた。
『あの教団の勧誘システムは実に狡猾だ。まず、失恋や老いの未練といった【人間の心の隙間(弱み)】がある奴を執念深くロックオンする。カウフマンの奴は、アイがカズキと親密そうに歩いている姿を見て心が完全に折れ、店員にカスハラ気味にうざ絡みした。あやつらはその隙を見逃さず、ただ「教団に入信すること」がイケメンになれる特別な方法だと唆したのだ。だがその裏で、悪魔セーレの権能を媒介とした【絶対契約】を裏で完璧に成立させてハメているのだよ』
「入信を隠れ蓑にした、悪魔の契約によるハメ込みマルチか……」
『そうだ。契約が成立した瞬間、対価としてなけなしの「倫理観」をすべて毟り取り、願いであるイケメンの容姿(一時的なブースト)を叶えさせる。そして入信した後は、「秘密を暴露したり教義に逆らえば心臓が締め付けられる」という極悪なペナルティで、生活のすべてを雁字搦めにしていくのだ。だが、あやつらのハメ技はルールに厳格。カウフマンはカズキたちの前で教団の秘密を吐き出し、完全に絶対契約を裏切った。しばらくしたら、あの偽りのグラフィックは強制解除され、元のあの最高にキモおぞましい脳筋戦士の姿へと、無様に強制返品されるはずだ』
これで、あの「明日からA級」を謳う黒いのぼりのイケメン武器屋が、明確に悪魔セーレの権能を悪用した邪神教団のフロント企業であることが完全に確定した。
俺は3日間の出禁期間を利用し、今回の決闘の全貌、およびカウフマンさんから引き出した邪神教団のあくどいシステムの証言のすべてを公式な報告書として作成し、ギルドの最高幹部窓口へと正式に提出した。
証人は、ダンジョンの公営監視者である実直なタダシ、安全管理のプロである高名なカズキさん。そして、おじさんのキモすぎる独白をカズキさんの目の前ですべて聞かされ、完璧な猫かぶりのグラフィックを白くフリーズさせていた管理者のアイちゃんの計3名。
公営職員とギルドの管理者がこれだけ揃っていれば、一網打尽にできる――そう確信していた。
――だが、ギルドから返ってきた言葉は、冷徹な現実そのものだった。
「レン殿。提出された報告書を読み、街を裏から侵食するカルト教団の存在については、非常に強い危機感を持つことができた。……だが、いかんせん『証拠が弱い』のだ」
幹部職員は、苦渋に満ちた表情で書類を机に戻した。
「所詮、あのカウフマンという男の件は、本人の外見が変わり、周囲に大迷惑なプレイスタイルを撒き散らしたというだけの話だ。カウフマン自身が勝気に契約の激痛に苦しみ、アイ管理官が激しい嫌悪感にフリーズしたという事実を除けば、この街に明確な実害や死者(直接の被害)が出ているわけではないのだよ」
「実害が、ない……」
「さらに言えば、政治的判断としても非常に危険だ。地方領主(貴族)を動かすにしても、あの狡猾な教団の手口を考えれば、すでに他の有力な貴族たちの懐にまで、深く入り込んでいる可能性が極めて高い。……もう少し、警備団が即座に強制捜査へと動けるような、決定的な『事件』でも起きれば別なのだが……。非常に申し訳ないが、現状はしばらく様子を見るしかないのが、今の現状だ」
ギルドの職員の言うことは、至極もっともな正論だった。確固たる実害の証拠がないまま、貴族が絡むカルトのフロント企業へ不用意に突撃すれば、こちらが返り討ちに遭ってBANされる。前世の組織の論理を経験してきた俺には、そのリアルな壁がよく分かった。
『おいレン! 何でお前たちの世界の組織というのは、いつもこうも腰が重いのだッ!! 今すぐあの店を叩き潰して、私をハメた奴らに復讐させろッ!!』
脳内メモリの奥底から、早く教団を潰したくてたまらないプーエルが猛烈な不満を頭の中に訴えかけてくるが、俺はそれを冷徹なやせ我慢でなだめた。
(……いや、プーエル。ギルドの職員の言うこともっともだ。現状は様子を見るしかねえ。泳がせて、奴らがボロを出す瞬間を待つのが、一番確実なリスク管理だ)
カルト教団の巧妙な侵食。
アイちゃんの週末のカズキさんとの指導名目のデート。
しばらくしたら強制返品されて元に戻るカウフマンさんの不条理。
そして、未だに全貌が掴めない武器屋の闇。
ダンジョンが休業しているこの2週間の期間、俺たちは圧倒的な膠着状態の中にいた。ギルドの言う通り、じっと潜んで、様子を見るしかないのだと、そう思っていた。
しかしながら、すぐにその懸念は解消される。
様子を見る猶予など、俺たちには1秒たりとも残されてはいなかったのだ。
潜んで待つことすら許されぬまま――すぐにあの初級ダンジョンで、歴史に刻まれるほどの、あの事件が起きるのである。
(第26話




