【第20話】「深紅の咆哮と、魔剣の囁き」
ヤグヒさんが下層で大暴れした爪痕により、無限湧きのはずの魔物が一時的に絶滅しかけた我が『初級魔力層』は、モンスターの生態系回復のために2週間の臨時休業へと追い込まれた。
日課のレベル上げの場を奪われ、さらに前回の死闘で初心者用の剣まで真っ二つに折れてしまった俺は、新しく街にできた胡散臭い武器屋のゴミ箱エリアから、ブラック企業仕込みの値切り交渉術で一振りの【黒ずんだボロい剣】を格安でぶんどってきた。
俺はギルドの窓口へ足を運び、手に入れたこの新しい剣の性能を試すべく、一つの依頼を受託した。
選んだのは、この田舎町ならではの極めて簡単な遠征任務――【はぐれゴブリン討伐】。受託ランクはD級だ。
剣の柄の隙間にこびりついた「よくわからない不気味な肉塊のようなパーツ」は相変わらず不気味だったが、手になじむ感覚だけは本物だった。俺は一度準備を整えるため、いつも泊まっている下宿へと戻ることにした。
「宿屋」と呼んではいるが、実態はダンジョンからほど近い場所にある、人の良い中年夫婦が経営しているのどかな下宿だ。俺はここに、もう随分と長くお世話になっている。
「あ、レンお兄ちゃん! おかえりなさい!」
下宿の扉を開けると、夫婦の幼い娘が、トコトコと嬉しそうに駆け寄ってきた。
「これね、この前家族で旅行に行ったときのお土産! はい、あげる!」
少女から手渡されたのは、小さな星型のアクセサリーだった。
「ありがとう。大事にするよ」
俺は笑顔でそれを受け取り、装備の端へと固く結びつけた。だが、その小さな星型チャームを見つめながら、俺の脳内メモリはこれまでの不条理な経験則から、冷徹なアラートを鳴らし響かせていた。
(……この子、小さい割にもの凄くしっかりしてるんだよな。もし今回の任務で、このお土産を無くしたり壊したりしてみろ。あの石像の爺さんのポーションの時以上に、本気で大号泣されるに違いねえ……。絶対に無くさねえようにしねえと)
無くしたら大号泣されるという、最悪の呪いのフラグ。
俺は在庫のポーションを厳重にポーチへと整えると、少女のフラグをへし折るべく、討伐対象のゴブリンが潜む草原の裏の林へと向かった。
キィィィンッ!!!
林の奥、襲いかかってきたはぐれゴブリンに対し、新しく手に入れたボロい剣を振るう。
あの都会のイケメン店員が売っていたハリボテの高級偽装備とは違い、鈍い音を立てながらも、ゴブリンの肉体を一太刀で確実に、手際よく切り裂いて消滅させていく。
(……よし、切れ味は十分だ。これならダンジョンの休業中も、外で地道にレベル上げを――)
魔剣の確かな手応えを掴み、任務を無事に終えた、まさにその瞬間だった。
グルオォォォォォォーーーーーッッッ!!!
突如の林を木っ端微塵に割り裂くような、凄まじい質量を伴った深紅の咆哮が、俺の鼓膜を激しく震わせた。
振り返った瞬間、俺の全身の毛穴が恐怖で逆立った。
林の奥から姿を現したのは、はぐれゴブリンなど比ではない、圧倒的な巨躯を誇る大熊の魔物――【グリズリー】。
奴が放つ固有の爪攻撃スキル【ワイルドクロウ】は、まともに喰らえば肉体が真っ二つにへし折られるという、凶悪極まりない破壊の嵐。本来ならB級の魔物であり、D級であれば前衛・後衛を完璧に整えた熟練のパーティー4人が、命がけで挑まなければならない最悪のボスモンスターだ。
(クソッ……! なんでこんな田舎のD級エリアに、B級のバケモノがはぐれてやがんだよ……!)
逃げ切れる状況では到底ない。背後を見せれば一瞬で背中から攻撃されて肉塊に変えられる。
完全に退路を断たれた本物の死線。
グオォォォォッ!!
地響きと共に、グリズリーがその巨大な剛腕を振り上げ、必殺の【ワイルドクロウ】を狂ったように放ってきた。空気が爆縮するほどの凄まじい風圧が俺の顔面を襲う。
盾など持っていない俺は、新しく手に入れたボロい剣の刀身を両手で必死に支え、泥臭いやせ我慢のスタミナのすべてを肉体へと爆発させて真っ正面からそれを受け止めた。
ドグシャァァァッ!!
「が、あああああッ!!!!」
激しい打撃の衝撃が全身の骨を軋ませ、俺の身体は林の地面から激しく後ろへと吹っ飛ばされた。
レベルアップして向上した俺の基礎ステータスがなければ、今の最初の1発だけで肉体が真っ二つにへし折られて即死していただろう。命がけで、なんとか受け切った。
だが、B級魔物の暴威はそれだけでは終わらない。
奴はすぐさま体勢を立て直すと、間癖入れずに、さらに威力を増した2発目の【ワイルドクロウ】を俺の脳面に叩き込んできた。
ドグシャァァァッ!!!!!
「が、はっ……、ふ、ぶ……っ!!」
今度は直撃の軌道をかわせず、俺の身体は再び激しく吹っ飛ばされ、地面を何度もバウンドしながら叩きつけられた。
爪の破壊力が生身の肉体を内側から激しくすり潰し、口から大量の鮮血が噴き出した。
俺は震える手でポケットから回復ポーションを引き抜き、一気に口へと煽って細胞を強制的に繋ぎ止めたが、肉体のダメージはあまりにも深すぎた。全身の骨格が悲鳴を上げ、生命力のパラメーターは完全に瀕死の絶望圏内へと叩き落とされ、立っていることすらままならない。
(ポーションで無理やり繋いだけど……もうダメだ、次の直撃を喰らったら、確実に死んで肉塊になる……っ)
初心者用の剣は折れ、今持っているのは出所の分からないボロ剣。
膝をつき、目の前に迫るグリズリーの巨大な影を見上げ、完全なる限界を迎えた、まさにその時だった。
『――力が、欲しいか?』
「……え?」
脳内メモリを直接かき乱すような、冷徹で、だがハッキリとした不気味な「声」が、握りしめているボロ剣の奥底から、俺の精神へと直接響き渡った。
第19話の、あの聞き取れない掠れた低い声ではない。
今度は、明確に俺の実力と魂の格を品定めするような、魔剣の完全なる覚醒の囁きだった。
少女から貰った小さな星型アクセサリーが、血に濡れた装備の端で静かに揺れている。
死線の中で、魔剣の最悪な誘いに直面したレンは――。
(第20話




