【第17話】「理不尽なる往復と、老兵の未練」
あの都会のガチ勢どもの陰謀(ババ抜き)をすり抜け、お婆さんの愛のポーション代を無事に完済した俺は、ようやく家から徒歩3分の我が『初級ダンジョン』へと戻ってくることができた。
数日ぶりに足を踏み入れた訓練用ダンジョンの通路は、相変わらず成金ビキニマダム一団の【ワルブルギスの夜】のお喋りで姦しく騒がしかった。
だが、そのマダムたちのど真ん中、特注の巨大ビキニアーマーを身にまとった激太り狂戦士のヤグヒさんは、マダムたちに混ざってもの凄く「しおらしく」内股でモジモジと佇んでいるだけだった。たまに俺と目が合うと、ヤグヒさんは巨体を揺らしながら、恥ずかしそうに小さく手を振ってくる。今のところは非常に平和な日常だった。
――そう、あの「新たなる怪異」が現れるまでは。
「フッ……! ハッ……! シェイッ!! そんなのかんけーねぇ!!」
通路の曲がり角を曲がった瞬間、俺の網膜に、凄まじい風切り音と共に正気度を削りにくる不条理な光景が飛び込んできた。
そこにいたのは、小島よしおがそのまま歳をとったような、少しだけ体の緩んだ初老の冒険者だった。
その初老の男は、初心者通路の一区画を完全に力ずくで占拠すると、片手だけに持った身の丈ほどもある大ぶりの剣を、まるで大きく水を掻くような異常な軌道で激しく振り回しながら、通路の端から端へと猛スピードで往復していた。
ブンッ!! ブンッッ!!!
「そんなのかんけーねぇ! そんなのかんけーねぇ! 誰がいても我が道にそんなのかんけーねぇ!」
男の口からは、すでに何かが完全におかしくなっているとしか思えない狂気的な叫びが連呼されていた。周囲に他の初心者冒険者や子供がいようと、男の脳内メモリには「誰がいても我が道にそんなの関係ねぇ」の精神しか搭載されていないらしく、大ぶりの刃を振り回して爆走してくる。周囲の人間は通路に近づくことすらできず、壁際に避難して怯えていた。
しかも、その男は通路の片側に着くと大剣を床に突き立て、肩で息をしながら、しばらくそこで何やら時間をかけて居座っている。そして、再び狂ったように片手の大ぶりの剣を大きく振り回して、対岸へと往復し始めるのだ。
「おい、普通に一太刀でペシッと倒せば消滅するスライム相手に、なんで通路を丸ごと占拠して、あんな無駄に体力を消費する片手大ぶりの往復を披露してんだよ……」
俺の魂に刻まれた【不屈の正義】が、青白い熱い炎となって静かに燃え上がった。ここは公営の訓練施設だ。こんな危険なスタンドプレーを働く地雷プレイヤーがいれば、当然、ギルドの監視員が規約に基づいて即座に処分にしなければならない。
だが、今日に限って、管理カウンターにいる監視員は――あのアイちゃんただ一人だった。
(カズキ君、本当にガードが固いわね……。でも、前回の事件のドサクサで取り付けた『指導』という名目のマンツーマンの約束だけは完璧。……さあ、今週末のその指導で、あの堅物をどうやって私の型に嵌めて、完全に私の骨抜き(キープ)にしてやろうかしら……)
管理カウンターの奥。アイちゃんの脳内メモリは、今週末の指導でいかにカズキ先輩を完全に絡めとるかという『邪悪なたくらみ』の演算で100%埋まっており、目の前の通路占拠の暴挙など、文字通りどうでもいいらしい。
カウンターの端では、そんなアイちゃんの、仕事をサボって恐ろしい邪悪な表情で爪を見つめている姿を、あの【脳筋戦士・コイキングおじさん】が真っ正面から見つめていた。
おじさんにとって、小島よしお似の初老の暴挙などどうでもよかった。基本、目に入ってすらおらず、似たもの同士の地雷が何をしていようが興味はない。
それよりも、誰かをハメる冷徹な策略を練っているアイちゃんのその邪悪な表情を見て、おじさんは、
「(……う、うおおおッ!! アイちゃんが、どこまでも気だるげにアンニュイな表情で佇んでいる……!! なんという圧倒的な女王の品格……! ああ、あの冷徹な蔑みの視線、それもまた堪らなくいいなぁ……!!)」
と、最悪なマゾ脳内でアンニュイと勘違いして全ボルトで大興奮(興奮)しており、頬を紅潮させて精神世界へダイブしていた。
安全管理の職員は不在。管理者は邪悪な企みで業務放棄。ヤジ馬の筆頭はマゾの勘違いで大興奮。
治安維持が完全に機能していないこの魔境で、あの少し体の緩んだ初老の暴挙を合法的に止めるべく、俺は静かに、男が剣を振り回すその占拠された区画へと足を踏み入れた。
「邪魔だ雑魚がぁッ! そんなのかんけーねぇ!!」
男がこちらに気づき、片手の大ぶりの剣を容赦なく俺の肉体へと叩き込んできた。
ドグシャァァァッ!!!
(……っ、重い……!! なんだこの威力は……!!)
それは、年齢を重ねて体が緩んでいるとはいえ、過去の卓越したプレイスキルの重みがそのまま乗った、凄まじい一撃だった。
生身の骨格が悲鳴を上げる。だが、あの和尚との死闘を潜り抜け、確実に一回り強くなった俺自身の基礎ステータス(フィジカルと精神のスタミナ)なら、根性で耐え切ることができた。
俺は男の驚異的な往復の直撃を、真っ正面から、泥臭いやせ我慢でガチッと受け止め続けた。
2回、3回――。
【不屈の正義カウント:3/3 ── 相手の得意な往復、完全解析完了……ッ!】
ピキィィィン!!!
俺の魂の奥底から、完全無効化のバリアが全身へと滾り出た。
男は顔面を白く染め、「なぜワシの渾身の剣が通じない……!?」と激しく動揺しながら、なおも5回、6回と、片手の大剣を狂ったように俺に向かって連発して叩き込んできた。
パキィン! パキィン! パキィィンッ!
だが、その重い剣撃のすべてが、俺の無効化バリアによってただの虚無へと弾き返されていく。
目の前で、何発撃ち込んでも全く平気な顔をして立ち尽くしている俺の底知れない正義を前に、男の顔から余裕が完全に消え失せ、ガタガタと激しく動揺し始めた。
「バ、バカな……あり得ん! ワシのパワーが、こんな田舎の雑魚に……っ!! ──ええい、これならどうだァッ!!」
男は焦りに狂った顔のまま、通路の片側へと大慌てで後退した。そして、床に置いてあった大量の【ドーピングポーション(強化薬)】の瓶を掴むと、一気に口へと流し込み始めた。
(……あ、なるほどな。あいつがさっきから片側で居座って時間をかけていたのは、衰えた肉体を強制的にブーストするために、往復のたびに毎回あのドーピングポーションを補充してガブ飲みしていたからか……!)
ハゲ和尚のSP枯渇とはまた違う、老兵の哀しきドーピング事情。
男は俺の完全無効化バリアを打ち破るためのパワーを強引に得るべく、焦りのあまり、安全許容量を遥かに超えた大量のドーピングポーションを狂ったように一気飲みした。薬物の大量過剰摂取によって、男の肉体強度は無理やり限界値を突破する。
「死ねぇぇぇッ!! これがワシの最大出力じゃァァッ!!」
狂乱した初老の男が、限界突破した薬物ブーストの魔力を乗せ、本日一番の、トドメの大ぶりの一撃を俺の顔面に放ってきた。
パキィィィィィンッ!!!!!
次の瞬間、通路の床を陥没させんばかりの強烈な打撃は、俺の全身を包む無効化バリアの前に真っ正面から【完璧に弾き返され】、ただの虚無へと霧散した。
「な……え……!? 攻撃が、利かない……!? これほどのパワーが、1ミリも通じない、だと……!?」
都会から落ち延びてきた初老の男が、自らの限界を超えた最大の一撃が全く通用しないという絶対的な理不尽を前に、驚愕でその場に凍りついた。
その瞬間だった。男の「ワシはまだ現役の強者だ、昔の栄光を見ろ!」という、初心者ダンジョンで辛うじて維持していた【中途半端なプライドが、根底から完全にへし折れた】。
「ワシの……ワシの栄光が……ワシの剣が、通じない……っ」
魂の拠り所だったプライドを粉砕され、男が完全に戦意を喪失した、まさにその刹那。
今まで強引に限界を超えて肉体を稼働させていた、大量のドーピングポーションの超高負荷な『反動』が、一気に初老の男のガタがきた身体へとフィードバックした。
「ぶ、はっ……!? あ、あああァァッ! 肉体が、骨がぁぁッ!!」
精神の支えを失った肉体は、暴走するエネルギーを制御しきれず、文字通り【肉体も骨格もガタガタにへし折れ】、男はそのまま通路の床へと無様に這いつくばり、完全に機能停止したのだった。
後日。
初級ダンジョンの受付で、真面目な新人衛兵のタダシにあの初老の男の正体について尋ねてみた。
「ああ、あの今回の騒ぎを起こした初老の男ですか。……実は彼、昔は中央のギルドでもそれなりに名のあった(そこそこ)剣士だったらしいのです」
タダシは、哀れみと呆れの混じった顔で、ギルドの過去の公式記録をめくりながら教えてくれた。
「しかし、年齢を重ねて体が緩んでしまい、昔のような大ぶりの剣を自分の実力で振るうことができなくなってしまった。その残酷な『現実(老い)』を受け入れられず、彼は都会を離れ、この誰も自分を知らない田舎の初心者ダンジョンへ落ち延びてきたのです。そして、毎回ドーピングポーションを過剰摂取して肉体を無理やり麻痺させながら、『ワシはまだ現役の強者だ、昔の栄光を見ろ!』と、周囲を巻き込んで過去の栄光に浸っていただけの、最高に大迷惑で見苦しいおじさんだったのですよ」
「……なるほどな。過去の栄光、か」
俺は、宿屋のキンキンに冷えた麦茶を喉に流し込みながら、ぽつりと呟いた。
どんなに昔の地位があろうとも、現実の衰えから目を背け、他人に迷惑をかけてまでイキり散らすような大人には、俺は絶対になりたくない。
出現するモンスターは簡単に潰れるスライムばかりの、家から徒歩3分の本当に小さな初心者ダンジョン。だけど、そんな場所であっても、自分の現実の肉体と泥臭く向き合い、一歩一歩やせ我慢のレベル上げを積み重ねていくことの重要性を、俺はまた一つ, 心から実感していた。
「レベル上げ……マジで大事だな」
俺は、隣で「レン殿、本当にレベル上げは大事です!」と熱く涙ぐむタダシの言葉を聞き流し、背後に昔話をノンストップで囁き続ける石像の爺さんを引き連れながら、より不条理度を増していく我が日課の通路へと、静かなる熱血(正義)を胸に、やせ我慢の足を再び力強く踏み出すのだった――。
(第17話 完




