第4話 大切なもの
放課後の教室には、午後の柔らかな光が差し込んでいた。授業を終えた生徒たちは、次々と帰り支度を始めていた。
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
教室のあちこちから、そんな声が聞こえる。その中で、一人の少女が友人たちに囲まれていた。
2年A組――国府光。陽斗たちと同じクラスの女子生徒だ。
「光。明日の宿題、もう終わった? 」
「数学でしょ? もう終わったよ」
「そう。分からないところあるんだけど、明日の朝、教えてくれない? 」
「うん、いいよ」
「やった! いつもありがとね」
「でも、私も全部分かってるわけじゃないからね」
「またまたー。光なら大丈夫でしょ」
「もう、期待しすぎ」
光は笑った。
誰に対しても分け隔てなく接するその姿に、自然と人が集まってくる。クラスの中でも人気があり、男女を問わず多くの友人がいた。
その少し離れたところで、親友の影山エリカが、鞄に教科書をしまいながらその様子を見ていた。
「エリカ」
光が振り返る。
「ん? 」
「もう帰る? 」
「うん、帰ろうかな」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「うん」
二人は教室を出た。
◇
廊下を歩きながら、光は何気なく肩の鞄に手をやった。指先が取っ手をなぞる。
――何かが、足りない。
「……あれ? 」
足が止まる。
「どうしたの? 」
光は鞄を体の前に回し、何度も取っ手のあたりを撫でた。
「……ない」
「何が? 」
「お守り」
声が、少しだけ掠れた。
「ほら、いつもここにつけてたやつ」
取っ手を指差す手が、かすかに震えている。
エリカが覗き込む。
「……本当だ」
「どこいったんだろ……」
光は何度も鞄をひっくり返し、内ポケットの中まで探った。
――見つからない。
あの小さなお守りがないだけで、鞄がやけに軽く感じられた。
「いつからなのかな? 」
エリカが尋ねる。
「……分かんない。今朝はあった気がするけど」
「教室かな?」
「そうかも」
光の顔から、笑顔が消えていた。
二人は、来た道を駆け戻った。
◇
教室の中。
光は机の下を覗き込み、椅子を一脚ずつ動かして確認した。教室の後ろ、窓際、荷物棚の中。腕を差し込んでみても、指先に触れるのは埃だけだった。
「ない……」
光はしゃがみ込み、リノリウムの床に頬がつきそうなほど顔を近づける。冷たい床の感触だけが手のひらに伝わってきた。
「他のところも見てみよう」
エリカが言った。
「うん」
二人は廊下へ出て、階段を駆け下りる。昇降口、靴箱、その隙間。しゃがんで靴箱の奥を覗き込んでも、埃がかすかに積もっているだけで、お守りはどこにもなかった。
「……どうしよう」
光の声が沈む。
「大丈夫だよ。きっとどこかにあるって」
エリカが励ます。
「でも……」
「もう少し探そう」
「うん」
光はもう一度、来た道を目で辿った。ついさっきまで何気なく歩いていた廊下が、急によそよそしく見えた。
二人は再び校舎へ戻る。その途中で――。
「あれ? 」
廊下の向こうから、陽斗と藍が歩いてきた。
「どうしたんだ? まだ帰ってなかったのか? 」
事情を話すと、陽斗は頷いた。
「じゃあ、俺たちも探すよ」
「え? ……いいの? 」
「大切なものなんだろ? 」
「……うん」
藍も言う。
「遠慮しないで。困ったときはお互い様よ」
「ありがとう」
四人は、一緒に校舎の中を探し始めた。
◇
「そういえば、どんなお守りなの? 」
藍が尋ねる。
「小さいキツネのお守り」
光は答える。
「キツネ? 」
「うん。おばあちゃんが作ってくれたの」
「そうなんだ」
「私が小さい頃にね」
「おばあちゃん、手先が器用で。こういうの作るのが得意だったんだ」
「いいね。おばあちゃん、今も元気なの? 」
光の表情が少し曇った。
「……ううん」
「……」
「去年、亡くなったの」
「そっか……」
「だから、私にとってはすごく大切なの」
光はキツネのお守りがついていた場所をそっと撫でた。
「あのお守りを見ると、おばあちゃんのこと思い出すんだ」
「……じゃあ、絶対見つけようぜ」
と陽斗。
「うん。ありがとう」
光は少し微笑んだ。
◇
四人は手分けして、校舎のあちこちを探し始めた。陽斗は階段を担当した。一段ずつ目を凝らしながら下りる。
「……ここにもないな」
呟きながら、踊り場まで下りる。窓から差し込む西日が、床にオレンジ色の長方形を描いていた。その長方形の中を目でなぞるが、何もない。続いて影の部分にも目をやるが、結局何も見つからなかった。
一方、藍は廊下を一つずつ確認していた。下駄箱の近くにいたクラスメイトにも尋ねてみたが、首を振られるだけだった。
女子トイレでは、光とエリカが個室を一つずつ確認していた。
「こっち開けるね」
エリカが扉を押し開け、中を覗き込む。光は隣の個室にしゃがみ込み、便器の裏や配管の隙間に目を凝らした。
「ないね……」
「うん」
二人は洗面台の下、ゴミ箱の裏も確認する。石鹸の匂いがかすかに漂う中、光は床に膝をつき、手を隙間に伸ばした。指先に触れるのは、ひんやりとしたタイルの感触だけだった。
「……ここにも、ない」
声が小さく掠れる。
「光、大丈夫? 」
エリカが声をかける。
「うん……」
光は立ち上がり、もう一度個室の並びを見渡した。さっきまで気にも留めなかった校舎の隅々が、急に途方もなく広く感じられた。
◇
四人はいったん廊下で合流し、互いに顔を見合わせた。
「変だな……こんなに探してるのに」
陽斗が腕を組む。
「どこか他に思い当たるところはない? 」
藍が尋ねる。
「うーん……」
光は眉を寄せ、記憶を辿った。
「……あ」
光が顔を上げる。
「もしかしたら、教室かも」
「教室? さっき、調べたって言ってなかったか? 」
陽斗が首を傾げる。
「うん。でも、荷物棚の奥まではちゃんと見てなかった気がする」
「……確かに」
とエリカ。
「戻ってみよう」
四人は階段を上り、来た道を引き返した。
夕方の廊下は、人影もまばらになっていた。窓の外では、西日がさらに赤みを増している。四人の足音だけが、静かな廊下に響いた。




