08
「お兄さま、こんな時間にどうされたのですか」
眠たい目を擦って、リーリエは尋ねた。セドリックを見れば、口を引き結んでリーリエを観察していた。目が、いつもより冷たい気がした。
「リーリエ。今日、謁見があったね」
質問のようで、何かを確かめるための会話だった。リーリエは小さく頷いた。
「その時、何を言った?」
リーリエの心臓が跳ねた。間違ったことは言っていない。そのはずだ。冷たくなった手を握り込むようにして、リーリエは震え声を絞り出す。
「家族を亡くして、悲しんでいる方がいらしたので、祈りと、説法を……」
「……神官から、何を話したかはもう聞いている」
セドリックは腕を組み、人差し指で自身の肘を叩いた。とんとんと指が上下に振れる度、目に見えぬ圧が増すような気がした。
「自分は貴方の悲しみに寄り添うためにいる、と言ったそうだね」
「……間違ったことは、言っておりません」
「いいや。君は一人の民に寄り添うためにここにいるのでは無い」
セドリックの声には少しのブレも無い。穏やかで、震えてもいない。けれど、リーリエはセドリックが酷く腹を立てていることに気付いた。リーリエが今まで見たことが無いほどの憤りを持って、リーリエに言葉をぶつけている。
「君は聖女だ。神殿に仕えるただの神官とは違う。君はこの神殿で最も尊ばれるべき人であり、平和の使者だ」
セドリックの指が、リーリエの顎を優しく掴んだ。
「今までの君は、こんなことは言わなかったはずだ。こんな、聖女らしからぬことは」
「お兄さま、やめてください……」
リーリエが身を捩ると、簡単に手は解けた。セドリックは、何も言わなかった。ただ、その目はリーリエから離れ、今度は部屋の中を探るように動いた。
探している。リーリエの変化の理由を。
「……そういえば、以前贈り物を貰ったと話していたね」
セドリックはそう言いながら、棚へと歩み寄る。その上に飾ってある、プリザーブドフラワーの赤い薔薇を手に取った。レオンから、以前貰ったものだ。絶句したリーリエを気にもせず、セドリックはうっすらと笑みを浮かべた。
「これは、誰から貰ったんだったかな、リーリエ」
「…………、お兄さま、それは」
リーリエはセドリックの傍まで寄って、言い募ろうとした。
「答えなさい。僕の質問にはすぐ答えるように、いつも言っているよね」
リーリエは僅かに顔を歪めたが、結局直ぐに口を開いた。
「…………レオン様です。エルハルト家の方……」
「ふぅん」
セドリックが暫く黙り込む。何を言うのか、リーリエはじっと、息を潜めて待った。
「彼はそういえば、何度も来ていたね。次の謁見も、確かすぐ予定が入っている」
セドリックの手の中で、プリザーブドフラワが揺れた。手が白くなるほど、彼はそれを握り締めていた。
「……レオン殿は、自由奔放な方だと聞く。彼の周りにはいつも沢山の人がいるとか。もちろん、女性もね」
「レオン様は、お兄さまが思うような方では……」
「悪い人だ、と言ってるわけじゃない。けれど、リーリエ、彼は神殿の人間じゃない。君の謁見に訪れるのは、彼の人生の中のほんの一瞬の出来事に過ぎない」
ふとセドリックがリーリエを振り向いた。肩にもう片方の手を置く。
「──君と彼では、生きる世界が違う」
リーリエは思わず一歩、左足を後ろに引いた。それはリーリエにとって当然知っていたはずの事実なのに、何故か体から力が抜けた。
「分かっています……!」
声がなにより雄弁に本心を語っていた。子供が拗ねたようなみっともない声音だった。知っていると分かっているの間には、飛び越えられない壁がある。
「いいや、君は分かっていない。分かっていないから、今日あんな言葉が出たんだろう」
リーリエは、何も返せなかった。今日の謁見、少しだけ歩み寄れた喜び、その全てをセドリックは歓迎していない。
「この花は君には必要の無いものだ。……少し、反省しなさい。自分が聖女であるということを、今一度顧みること」
セドリックはそう告げて、部屋から出ていった。残されたリーリエは、その場にしゃがみこんでただ、何も無くなった棚の上を見つめていた。




