05
あの日の謁見からしばらくの間、レオンは神殿に来なかった。なんということはない、レオンがやっているという商売の予定が立て込んでいるらしかった。
静かな日々が戻ってきた。レオンが来ずとも神殿を訪れる人は絶えず、リーリエも忙しく過ごした。
何も変わらない。普段通りの日々だ。祈りだって、毎度心を込めて、ひとつひとつを大切にした。神官たちが望むとおりに。
「リーリエ、最近疲れていないかい」
変化に気づいたのは、セドリックだった。激務の合間を縫って私室に訪れたセドリックは、開口一番そういった。
「いいえ、疲れていませんわ」
ただ、少しだけ、心を動かされる瞬間が減っただけ。
リーリエの答えを聞いて、じっとセドリックがリーリエを見つめる。
「……君自身が、本当にそう思っていることが、むしろ心配になる」
吐息交じりに呟いて、セドリックはリーリエの頭に手を置いた。絹糸のような髪を梳くように撫でられると、リーリエは小さく息をついた。
「このところ、よくお役目を果たしていると神官たちから聞いたよ。……どうだい、ご褒美に何か欲しいものやしたいことがあったら、お兄様が叶えてやろうか」
まるで、小さな子供に告げるような優しい声音だった。実際、リーリエが子供のころ、こうしてセドリックに何度も甘やかされたことがある。リーリエにはほしいものもしたいことも分からないから、いつも首を横に振るばかりだったけれど、こうしてセドリックに甘やかされるだけで、なんでも頑張れるような気になったものだった。
「ほしいもの……」
リーリエは、小さく繰り返した。今までは、何もなかった。ただ、今のリーリエにはひとつだけ、思い浮かぶことがある。
「……お兄様、私、海が見てみたいのです」
リーリエがそういうと、頭を滑る手が、一瞬止まった。
「海、かい?」
セドリックがわずかに唸った。リーリエが緊張で息を止める前に、頭上で笑う気配がした。
「よおし、分かったよ。ちょうど食堂に、新しい絵を置こうと思っていたんだ。海の絵にするよ。うんと大きいのを注文するから、楽しみにしておいで」
「はい、お兄さま。ありがとうございます」
リーリエが微笑むと、セドリックが満足そうにうなずいた。しかし、ふとセドリックの目がぐるりとリーリエの私室を見回した。
「……けれど、少し驚いたな。リーリエが海をみたいだなんて」
セドリックの視線が止まった先に、赤い薔薇があった。レオンから最後に貰った、プリザーブドフラワー。
「ええ。謁見に来た方から、話の折にとても綺麗だとお聞きしたのです」
「そう、謁見で」
リーリエはセドリックを見上げた。セドリックの紫の瞳の視線を追って、やがて薔薇にたどり着く。
「あっ、これは、いただいたものです。でも、私室がいっぱいになってしまうと困るので、これからは控えていただくよういいました」
どこか、言い訳めいた口調だった。
「そう、偉いね」
ふっとセドリックの雰囲気が柔らかくなった。怒ってないよ、と伝えるように、手が頬に降りてきた。
「これからも、聖女としての本分を全うしなさい。けれど、何かあったときは、遠慮なく僕に言うんだよ」
「はい、お兄さま」
セドリックの手を受け入れながら、リーリエは頷いた。
「僕は君の唯一の味方なのだから」
額に口づけを落として、セドリックは去っていった。




