10
その日の夜。リーリエは眠れないまま部屋にいた。こんや、へやで。どういう意味なのだろう。そのまま考えるなら、まさか────。
「……リーリエ」
考え事をしていたリーリエの耳に、レオンの声が唐突に響いた。
「きゃ!」
振り向けば、レオンがリーリエの私室の窓に足を掛け、室内に入ろうとしているところだった。
「……おどろかせたか? 窓まで開けてくれてたから、俺はてっきり、分かってたもんかと」
「それは……、万が一を考えて……。本当に窓からいらっしゃるなんて思わなかったです」
窓辺に駆け寄って、レオンに手を貸す。レオンは軽々と窓を越えて部屋に上がり込んだ。
「ははっ。だってさ、そうでもしないとリーリエとちゃんと話せないだろ」
リーリエに自由はない。いつだって、神官がリーリエの後ろについてまわり、リーリエの一挙一動を監視している。
リーリエは、思わず俯いた。
「そんな顔するなよ、つまり、俺もアンタともっと話したかった、ってことだから」
レオンは柔らかく笑いかけたあと、話を切り出した。
「……で、今日の話だけどさ。リーリエは、どう思った?」
改めて聞かれて、リーリエは考えた。セドリックの言葉の、何があんなに辛かったのか。外に出たいのか。
「神殿が嫌いだとか、逃げたいだとか思ってるわけじゃないんです。ただ……、私を否定されたのが、悲しかった」
「貴方と二人で見つけた私を、お兄さまやみんなが間違っているというのが、辛いです」
リーリエの告白を、レオンは黙って聞いてくれた。
「……そっか」
「聖女として相応しくないのは、事実なのでしょうけれどね」
レオンが反射的に口を開いたが、何も言わずに閉じた。やや、考えてから再び話し出す。
「じゃあさ……こういうのはどうだ。リーリエは今まで通り、聖女らしくする。でもその代わり、俺がここに来た時だけ、素のアンタでいる」
「ここに来た時だけ……」
「俺がヘマさえしなきゃ、ここで話したことは誰にもバレないだろ? だったら、誰かに怒られることも、否定されることも無いはずだ」
レオンは猫目を細めてリーリエを見ていた。まるで、悪魔の誘惑のようだとリーリエは思う。行けないことだと分かっていて、しかし抗えない。
「……はい」
逡巡の後、リーリエは結局頷いた。二人だけの、秘密。初めて貰った飴より、ずっと甘く感じるのはなぜなのだろう。リーリエの答えに、レオンが嬉しそうに頷いた。
「レオン様。……どうして、そこまでしてくださるのですか?」
リーリエは思わず聞いてしまった。
「神殿に忍び込むのも、危険でしょう。私は、何もあなたに渡していない。面白いからというのは、こうまでしていただく理由にはなりません」
リーリエがまっすぐとレオンを見つめると、レオンはややあって、首を竦めた。
「そうしたいから、じゃダメなのか?」
「理由が分からない好意は、怖いです。……いつなくなるか分からないもの」
リーリエの頭の中に、セドリックの言葉が残っていた。レオンとリーリエは生きる世界が違う。ならば二人をつなぐ何かが欲しい。
レオンが珍しくうつむいて、ぽつりと零した。
「…………俺さ。小さいころから、何でもできたんだよ」
「はい?」
「自慢じゃなくてさ。何やっても人よりできるし、努力もそんなにした覚えがない。やりたいなと思って、したいようにしてるうちに、うまくいってる」
リーリエは、レオンに何も言えなかった。それは、すごいことのように思えるのに、レオンの口ぶりは、少しも嬉しそうじゃなかった。
「なにをしてても、空しいんだ。ある程度やると、ああ、こんなもんかって思っちまう。いろいろと手を出してみても、誰といても」
「……そう、なのですか」
「でも、アンタは違った。なんでだろうな。アンタに何か渡して、喜ぶかどうか、考えるのが楽しい。何度やっても、飽きない。俺にも不思議だよ」
レオンは顔をあげて、リーリエを見つめた。金の瞳にいつもの軽薄さはまるで無い。苦し気に目を細めて、リーリエを見ている。リーリエは初めて、レオンの渇望の輪郭を知った。
「……私といると、空しくないのですか?」
「ああ。今のところは」
レオンがへらっと笑みを浮かべる。今のところは。永遠を約束する言葉ではない。それなのに、リーリエの心には先ほどまでの焦燥は無かった。初めに会った時人生に悩みなんか無い、といったレオンの心に、ようやく触れられた気がした。
「ごめんな、納得できるような理由じゃなくて」
「……いえ。レオン様、聞けて、嬉しかったです」
レオンが眉を寄せて笑ったから、リーリエはまた嬉しくなったのだ。




