32 アラタの賭け
高速回転する刃が音もなくアラタの右肩に走り、腕を肩口から切断する。
跳ね飛んだ右腕は、地面に落ちる頃には緑色の粘体と化していた──内側にホーシャ族の本体を取り込んだままで。
脱出することもできず、ただ内部でもがくホーシャ族を眺め、アラタはニヤリと笑った。
「欲張ったのが、仇になったな」
すっぱり切られた肩口を左手で押さえ、気の遠くなるような激痛に耐えながら、何とか意識を集中する。
見た目はただの粘性物質でも、ちゃんと神経に相当するものは通っているし痛覚もある。もっと言えば、切断された後もしばらくの間は感覚が繋がったままだし遠隔制御も利く。
つまりアラタは今、切断された切り口2ヶ所分の痛みと、ホーシャ族に体組織を細切れにされる痛みのトリプルアタックを受けているのだが──常人、いや普通のヴェルデ族でも音を上げるであろう状況の中、彼はさらに行動した。
ホーシャ族を取り込んでいる元右腕の中に、ある化学物質を直接合成する。
途端、ホーシャ族がビクンと震え、さらに激しく暴れ始めた。
「ぐっ…!」
「アラタ!」
よろける身体を、成実──きぐるみ様が支える。
すまんと呻いたアラタはさらに集中し、なおもその物質、ホーシャ族にとっての猛毒を作り続けた。さらに、元右腕の表層もホーシャ族が逃げられないよう強化する。
徐々にホーシャ族の動きは鈍くなり──数分後、紐状の物体は完全に動きを止めた。紐の先端は黒ずんで、見るからに『死体』といった様相になっている。
「うわ!」
「何だ!?」
「地底ゴキが…!」
周囲でスタッフたちが声を上げた。地上に出ていた地底ゴキたちが、次々と泡を吹いて倒れ始めたのだ。毒餌を食べたゴキブリのように仰向けになり、ピクピクと痙攣している。
「…眷属化が解けたな」
アラタはぼそりと呟いた。
ホーシャ族の本体が死ぬと、眷属化されていた生き物は基本、元に戻る。だが侵食度合いが高く、神経組織まで侵されていた場合は、死亡する。
「逃がさないで!」
「は、はい!」
生き残っていた地底ゴキのうち、半数程度は泡を吹いてそのまま死んだが、残り半分はすぐに復帰し、何事もなかったようにてんでばらばらに逃走を始めた。きぐるみ様の指示が飛び、スタッフたちが弾かれたように後を追う。
何とも締まらないが──まさかここまで上手く行くとは、とアラタは苦笑した。
ホーシャ族は、自分にとって有利な、より強力な寄生先候補が現れた場合、そちらへ寄生先を変更することがある。
アラタたちヴェルデ族は、少なくともホモサピエンスより寄生先として魅力的なはず。ならばそのヴェルデ族が、無防備な状態、例えば身動きが取れなくなっていたら、どさくさに紛れて狙ってくるのではないか。
そんな推測を元に、アラタは今回の作戦を組み立てた。
ホーシャ族がアラタの体内に侵入してきたらこっちのもの。ホモサピエンスと異なり、ヴェルデ族の体組織はある程度自在に変質させることができるので、コアに到達する前に切り離して隔離してしまえば、後は処理し放題。
コアの位置を誤認させることができればその位置を直接狙ってくるだろうから、アラタに取って一番ダメージが少ない位置へ誘導できる。
つまり、コアの位置を『右腕』と申告したのはホーシャ族に対する罠。実際のアラタのコアは、全く別の位置にある。
この作戦における唯一の懸念事項は、体内にホーシャ族が広がり過ぎると切断しても除去し切れない可能性がある、ということだったが──成実は見事に役割を果たしてくれた。
「自分で切り離すと時間が掛かり過ぎるから、一発できっちり切断してくれ」とアラタが頼んだ時は泣きそうな顔をしていたが。流石はきぐるみ様だ。
スタッフたちが地底ゴキを処理し終え、三々五々、死体の回収に入っている。
その中で、楓に付き添われて一人のスタッフがやって来た。先ほどまでホーシャ族に寄生されていた若いスタッフだ。
「成実様、その…」
「謝罪は不要。予防なんて多分無理。後で覚えている限りのことを報告書にして提出して」
「は、はい!」
このスタッフがホーシャ族に寄生されていることに気付いたのは成実だ。
眷属化されていたのが地底ゴキだったこと。ホーシャ族の体組織に変質した眷属の移動の痕跡が、地底ゴキの出入口に見られる一方、その周囲には広がっていなかったこと。
そして、どれだけ調査しても市民や中型以上の動物の中に寄生宿主が見付からなかったこと。
それはつまり、地底ゴキと直接関わりがあって、かつ、地底ゴキの出入口付近をうろついていても不審に思われない、調査対象外の立場の者──『調査する側』、木栗家の身内に寄生宿主がいるということではないか、と当たりをつけた。
アラタが推測したのと同じ結論に、自力で到達したのだ。
そうして、成実と楓は密かにスタッフたちの調査を行い、お互いも寄生されていないことを確認し、答えを出した。
アラタに相談を持ちかけたのは、人間、それも身内を『処理』したくなくて、一縷の望みに賭けたからだ。
「アラタ、ありがとう」
楓に促されて事後処理に向かうスタッフを見送り、成実が呟いた。
「お陰で、大事な仲間を喪わずに済んだ」
無表情な猫の着ぐるみの向こうで、成実が確かに笑っている。アラタはそう感じた。
自然と、頬が緩む。
「ああ、良かった──」
な、と続けようとして、声が途切れた。ずるりと上体が滑り、体表が感覚を失う。
「アラタ!?」
上の方から声がした。
どうやら擬態が解けてしまったらしい。何も見えない。激しい痛みも、どこか遠くなっている。
体組織を失い過ぎた。
「すまん、休む」
体表を震わせ、何とか肉声らしき音を出す。
「切り落とした方の体組織は、好きに処分してくれ。自分で切り離すのと違って、もう元には戻らない」
「え…!?」
成実が驚く声が聞こえる。ああしまったな、とアラタはぼんやり考えた。そこは説明していなかったか。
「こっちの、俺の身体は…どっか日当たりの良いところに置いといてくれ…そのうち回復する…から……」
日光に当たってさえいれば、徐々に回復する。
一番大事なことを何とか伝え終えて、アラタは意識を手放した。
こいつらに、俺と同じ思いをさせずに済んで良かった──と。
深く深く、安堵しながら。




