23 田中家にて
きぐるみ様の夜間巡回に付き合うようになっても、配達の仕事のシフトはいつも通りやって来る。
担当地域分の荷物を軽の商用車に積み込み、昼過ぎ、アラタは元霧市の郊外へ向かった。
田植えが終わり、根付いた稲は勢い良く成長している。ついこの間まではたっぷりと張られた水が陽光を反射していたが、今では稲の葉が生い茂り、水面はほとんど見えない。
毎年のことながら、作物の生長速度には驚かされる。アラタは内心感嘆しつつ、農道から民家の敷地に入った。
荷物を抱えて車を降りると、丁度家から出てきた男性と目が合う。
「田中さん! お届け物です!」
「おう、おつかれさん。良いタイミングだな」
長袖長ズボンに麦わら帽子、首にタオルを巻いたいつものスタイルで、田中は相好を崩す。これから午後の農作業に出るところだったらしく、手は汚れていない。
玄関先で荷物の引き渡しを終えると、「ちょっと待ってろ」と田中は一旦奥へ引っ込んだ。
開け放った玄関から室内へ向けて、涼しい風がゆったりと流れる。
田中の家はいかにも田舎の農家といった趣の古い木造で、玄関から一歩中に入ると薄暗い。昔は囲炉裏があったという座敷には一枚板の天板の大きな座卓が置かれていて、その奥は襖で仕切られた仏間がある。
今はその襖が全開になっていて、黒塗りの仏壇が見えていた。花瓶には季節の花。線香立ては綺麗に整えられているが、今朝も線香を焚いたのだろう、ほのかに残り香が漂っていた。
仏壇の横には小さな棚があり、穏やかに微笑む若い女性の写真が飾られていた。セピア色に変色した、随分と古い写真だ。
「美人だろ?」
白い大きなビニール袋を手に戻って来た田中が、アラタの視線の先を見て口の端を上げる。
「ウチの家内だ。ばーさんになってからの写真が遺影になるなんて冗談じゃない、一番綺麗に撮れてる若い頃の写真を使えって聞かなくてな。お陰で、遺影を作るのに家中のアルバムをひっくり返す羽目になった」
文句があるような口調だが、その顔は穏やかで、どこか遠いものを見る目をしていた。
その表情は知っている。喪失を受け止め、受け入れ、けれど一生背負い続ける、そんな顔だ。
「…ガンで亡くなったんでしたっけ」
以前聞いた話を思い出しアラタが呟くと、ああ、と田中が頷く。
「もう10年になるか。あっという間だな」
子どもは独立して、別の地方に家を建てて住んでいる。だから妻を亡くして以降、田中はここで一人暮らしだ。子どもは「こっちに来て一緒に暮らそう」と言ってくれているそうだが、農地を任せられる人間が現れるまではこの場所を離れるわけにはいかないと、田中は拒否しているらしい。
それも理由の一つだろうが、慣れ親しんだ土地を離れるのにも抵抗があるのだろう、とアラタは思う。
ホモサピエンスは、その気になれば文字通り身一つで生きていけるヴェルデ族とは違うのだ。
「ま、俺もそう長くはないだろうけどな」
「田中さん…」
むしろどこか楽しそうに呟く田中に、何と反応して良いのか分からない。アラタが言葉に詰まっていると、田中は不意にニヤリと笑った。
「──つーわけで、ウチの農地を継ぐ気はないか?」
「結局そこに行き着くんですか。継ぎませんよ俺は」
しんみりした空気が一瞬で崩れた。半眼になるアラタに、田中はカラカラと笑い声を上げる。
「なに、冗談だ! ──まああわよくばとは考えてるが」
「考えないでください」
「いや、だってなあ。木栗家のお嬢さんと一緒に歩いてるのを見たら、ここに骨を埋める気がありそうだと思うだろう?」
どうやら、先日神社で出くわした時のことを言っているらしい。
「あれはバイトですよ、バイト」
「バイトでも何でも出会いには違いないだろ。俺も家内とは農業組合の手伝いで出会ったしなあ」
そういう繋がりも大事だぞ、と田中はしたり顔で頷いている。アラタは溜息をついた。
「何で木栗家のお嬢さんと歩いてたからってそういう判断になるんですか」
「そりゃあ、木栗家は地元の名士だからな」
名士。大地主とか昔からある家とか、そういうニュアンスだったか。やはり、地元では有名な家というのは間違いないらしい。
田中の表情で、アラタはそう判断する。
「あの家に気に入られれば将来安泰だぞ。あそこが運営してる警備会社も評判良いしな」
「そうなんですか」
地底ゴキを見張る木栗家とその分家のスタッフは、表向き、その警備会社の社員ということになっている。それは成実から聞いていた。
変な所にいても不審に思われないよう、一般企業や公共施設だけでなく、一般家庭からも警備の依頼を受け付けているらしい。本来の目的のカモフラージュのための会社だが、存外市民にも受け入れられているようだ。
「お前さんも、配達の契約社員じゃなくてちゃんとした定職に就いたらどうだ? それこそ、木栗家の警備会社とか」
「そうするとここに荷物を配達するのが俺じゃなくなりますけど、良いんですか?」
今まさに、きぐるみ様に振り回されて同じような状況になっている──とは口に出さずに軽口で返すと、田中はあっと声を上げた。
「そりゃ困るな。農地を任せる相手がいなくなっちまう」
「だから任されませんって」
言質を取られてなるものか。アラタがすかさず突っ込む。
田中が笑った。
「頑固だなぁ! ──ああこれな、持ってけ」
差し出されたビニール袋の中身は、キャベツ3玉と、大量のさやえんどうだった。
しかし、アラタは基本的に食事を必要としない。流れで受け取ったものの、どうしたものかと考えあぐねていると、田中はそれを見透かしたように続ける。
「採れ過ぎちまったんでな、近所にも配り歩いてるんだが。食い切れそうになかったら勤務先にでも配ってくれ」
「分かりました、ありがとうございます」
ここで断っても田中が困るだろう。ありがたくいただくことにして、アラタは頭を下げる。
そうして車に戻り、次の配達先へ向かう道すがら、アラタはふと気付いた。
「……神社で会った時、あいつ、田中さんにちゃんと『木栗成実』って名乗ってたか…?」
何故田中は、成実のことを『木栗家のお嬢さん』と認識していたのだろうか。
「名士の家だから、みんな顔を知ってる…とか?」
地元の有名人だ、そういう可能性もあるが。
どうにも違和感が拭えず、アラタは首を傾げる。
助手席のキャベツが、農道を走る車の振動で小刻みに揺れていた。




