21 成実の表の顔
「…その腕章、偽物か?」
神社の林を抜けて車に戻ったところで、アラタはようやく口を開いた。良くできてるな──と続けようとしたアラタを半ば遮る形で、助手席の成実が首を横に振る。
「本物」
「へ」
「私、元霧大学の学生だから」
「は?」
「本当ですよ」
車を発進させながら、楓が苦笑する。
「成実様は現役の大学生です。研究テーマも、本当です」
元霧大学社会学部の現役学生。それが表向きの成実の肩書だという。
「学生…?」
アラタは呆然と呻いた。夜間にきぐるみ様として活動しているという印象が強すぎて、昼間に別のことをしているとは考えていなかったのだ。
「どうせ老け顔ですよ」
成実がぼそりと呟く。バックミラー越しに見える顔は、どう見ても仏頂面だ。アラタは慌てて首を横に振る。
「いや、見た目の話じゃなくてだな。つーか老けてないだろお前。全然」
艶やかな黒髪に赤みを帯びた黒い瞳。20歳前後にしてはいささか表情に乏しい──落ち着き過ぎているきらいはあるが、肌も滑らかで若々しい。どこに老け顔の要素があるのか、アラタには分からなかった。
楓も前を向いたまま、深く頷く。
「そうですよ成実様。小学生の頃の悪ガキどもの減らず口なんて、引きずらなくて良いんです」
「小学生って…10年近く前だろ。そんな頃の話気にしてるのか」
「宇宙人には分からないよ」
ぶすくれたまま、成実は助手席の窓から外を見ている。本人にとっては、なかなかに根の深い問題らしい。
アラタは苦笑いした。種族が違うと言われれば、反論の余地はない。
「まあそうだな。けど、俺が驚いたのは外見年齢の問題じゃなくて、『いつ休んでるのか分からなかったから』だぞ」
「え」
「だってお前、昼間は大学の授業、夜はきぐるみ様、だろ? 連日それだと疲れないか?」
アラタは週4日、午後から夜にかけてが勤務時間だ。午前中は日の光を浴びるためアパートに引きこもり、絶対に仕事は入れないし私用の外出もあまりしない。
ホモサピエンスは、日に3回食事を摂り、夜には十分な睡眠が必要。その前提で考えると、成実の生活スタイルはきちんと休養できていないように思える。
アラタが指摘すると、成実はウッと言葉に詰まった。目を逸らしたまま、ごにょごにょと呟く。
「…大学の授業は朝から晩まであるわけじゃないし、夜の見回りも毎日あるわけじゃないし…」
とても気まずそうな言い訳の後、
「それに、私は若いから大丈夫! 疲れない!」
「それな、疲れてないんじゃなくて感覚が麻痺してるだけだと思うぞ」
「ですね」
「ヴッ」
キリッとした顔での主張に、アラタと楓の突っ込みが秒で入った。
踏まれたカエルのような呻きを漏らし、成実が動きを止める。数瞬の後、
「ま、麻痺してなんかない。本当に平気」
「無茶してる奴はみんなそう言うんだ」
アラタは訳知り顔で腕組みして、成実の反論を一蹴した。
「無茶を重ねてるとな、そのストレスに耐えるために『その状態が普通』って身体が勘違いを始めるんだよ。──ああいや、勘違いっつーか、こう、自分自身を洗脳する感じか」
「自分を洗脳…」
「けど、それで疲労そのものがなくなるわけじゃない。自分でも気付かないうちに蓄積していって──ある日突然、限界が来る。どの種族だろうと同じだ」
元気だと思っていた相手が、唐突に動けなくなる。その光景を目の当たりにしたのは一度や二度ではない。
外見をいくらでも取り繕えるヴェルデ族の場合、本当に倒れる直前にならないと周囲が気付けないことが多く、疲労は感染症と同レベルの『厄介なもの』と位置付けられている。
「自分の身体を過信するな。倒れてから後悔しても遅いんだからな」
「…」
実感のこもったアラタの忠告に対して、成実は沈黙で応じた。聞いているのかいないのか──アラタが眉をひそめたところで、成実様、と楓が苦笑交じりに口を開く。
「一族のみなさまからも言われておりますし、これを機に、シフトを見直してはいかがですか?」
「言われてたのかよ」
「ええ。学生の本分は学問であろう、と」
非常にお堅い言い方だが、内容は至極もっともである。陰陽術その他を駆使して着ぐるみ姿で草刈り機を振り回す非常識な一族、という認識を、アラタは少々改める。
中には、常識的な者もいるらしい。
「私は学生の前に、木栗一族本家の人間なんだけど」
成実は大層不満そうだ。
本家、という単語はアラタにはいまいちピンとこない。
意味は何となく分かる。親と子、血の繋がりによって構成される『家』という概念。
長男、あるいは長子が家長となり、第二子以降が作った家は『分家』と呼ばれ、連綿と子孫に引き継がれる──とか何とかいう、古い考え方だ。
親という概念すらほぼないヴェルデ族にとっては、完全に未知の領域である。
血の繋がりによって『家』『一族』という括りが成立するなら、二十代くらい溯ればここら一体の人間全員『同じ一族』になってしまうのでは、という突っ込みを入れたくなる。
実際には、厳密な線引きが存在するらしいが。
「本家っつーのはよく分からんが、それはこれからもずっとそうなんだろ? 学生でいられるのは今だけなんだから、学業を優先するのは間違ってないと思うぞ」
「…理屈は分かるけど」
成実がバックミラー越しに、じろりとアラタを睨んだ。
「『学生の本分は学問であろう』って言ってる本人が、酔っ払うと『学生時代は遊び呆けて危うく留年するところだった』って自分の黒歴史を武勇伝みたいに語るオッサンだったら、その忠告、素直に聞ける?」
「あー…無理だな」
それは秒で「どの口が言うか」と突っ込む案件である。説得力が欠片もない。
楓が困ったように眉を下げた。
「あれは、自分を反面教師にしろというお話で…」
「本当にそう思う?」
「…多分、きっと、そうかと」
なかなかに苦しい推測である。目を泳がせる楓をじっと見詰めた後、成実は溜息をついた。
「──言いたいことは分かった。楓、後でリーダー級の招集を。シフトを組み替える」
「分かりました」
農道を走る車内に、楓の少し明るい声が響いた。
──ちなみに、後日。
「何でごくごく自然に俺が『きぐるみ様御一行』のシフトに組み込まれてるんだよ!?」
「学業に力を注げって言ったのはあんたでしょ。協力するのは当然」
「しかもお前と行動する前提かよ!?」
「あんたの行動を見張るのも兼ねてるから」
「え」
「まだ完全に無害認定されたわけじゃないの。お分かり?」
「うっぐう…」
アラタにシフトを告げる成実の目は、ほんのり嬉しそうに細められていたのだが──アラタが気付くことはなかった。




