20 猫を被る
「ここまでがっつり固定するのか…」
これでは中の様子が確認できない。過剰ではないか。アラタが首を傾げると、成実が沈んだ声で応じる。
「昔、ここで水死体が上がったことがあったから」
「え」
思わぬ言葉に顔を上げると、成実も楓も、深刻な表情になっていた。
「神社の清掃に来ていた地元の住民が、井戸水を汲もうとして落ちたのだそうです」
ここの井戸は掘り抜き型で、穴の径が大きく水量もかなり多い。直径1メートル超、深さ10メートルほどの穴に、常時、水深5メートルほどの清水が溜まっている。ホモサピエンスが井戸に落ちたら、どう頑張っても足はつかない。
40年以上前の話だ。当時この地域では携帯電話も普及しておらず、一人で作業していたその住民は、助けを求めることもできなかった。
その事故が起きて以降、この井戸は蓋をされ、使用禁止になった。埋めなかったのは地底ゴキの出入口を潰すわけにはいかなかったからで、木栗家が裏から手を回した結果だ。
井戸が使えなくなった代わりに水道管が配備され、今はお社の東側にひっそりと小さな流し台が設置されている。
「そりゃ、蓋もするか」
「ん。安全は大事」
アラタの呟きに、成実が深々と頷いた。
納得したところで、改めて井戸周辺にアラタの生成した反応薬を撒く。
商店街の裏通りの地底ゴキの出入口にホーシャ族の体組織の痕跡があったため、こちらでは何も出ないだろうとアラタたちは予想していた──が。
「…反応、出たな」
井戸本体と蓋の隙間が、赤く染まった。
ただしこちらも、出入口と想定される部分が染まっただけで、その周囲には痕跡がない。商店街と同じパターンに、アラタは眉をひそめる。これは一体どういうことか。
「ここにも来てたってこと?」
「本体を探していたのでしょうか?」
「体組織化した元眷属は、本能的に本体の位置が分かるはずなんだが…」
体組織が本体を探して彷徨うというシチュエーションは、ホーシャ族の特性上、考えにくい。だが、状況的にそれ以外の可能性が思いつかない。
3人で首を捻っているうちに、赤く染まっていた痕跡はゆっくりと色を失っていく。発色する時間はそれほど長くないのだ。
「…とりあえず、もう少しこの近辺を調べてみるか?」
「そうだね」
「はい」
溜息をつきつつ立ち上がったところで、
──カタリ。
お社の方から、微かな音がした。
アラタたちは一斉に振り返る。見た限りでは、異変はない。だが今の音は、明らかにお社の方からしていた。木の枝が自然に落ちたとか、野生動物が草をかき分けているとか、そういう類の音ではなく、戸が動いたような音だった。
地元住民が管理している氏神様とはいえ、普段は無人。お社も施錠されている。一体誰が──
「…お? なんだ、配達の兄ちゃんか」
「へ」
お社の壁に手をついてひょっこり顔を出したのは、アラタの見知った顔だった。アラタはぽかんと口を開ける。
「た、田中さん?」
アラタの配達担当エリアに住む、農家の田中。お得意様の一人である。
「何でこんな所に」
「そりゃお前、ここの神社はウチの町内の氏神様だからな。持ち回りで掃除してんだ」
そう胸を張る田中の手には、火ばさみとゴミ袋が握られている。袋の中にはまだ何も入っていないから、これから作業に取り掛かるところだったのだろう。
そういえば、彼の家はここからそれほど離れていない。アラタが納得していると、田中は首を傾げた。
「で、お前さんたちは何をしてるんだ?」
「あ」
私服姿の配達員に仏頂面の若い女性にスーツ姿の女性。不審者はむしろこちらの方だ。アラタは助けを求めるように振り返り──「えっ」と声を上げそうになった。
「大学の研究室のフィールドワーク──現地調査です」
さらりとそう返す成実の上腕には、『元霧大学』と書かれた腕章が巻かれている。どうやら、アラタの陰に隠れてこっそり装着したらしい。
「学生さんか」
「はい。こっちは研究室の助手さんで、こっちは力仕事要員のバイトです」
「せめて手伝いと言え」
楓の紹介はいかにもそれっぽかったのに、アラタの方を指し示した途端、急に説明がぞんざいになった。アラタが抗議すると、
「手伝いって名目にすると報酬がゼロになるんだけど」
「どうも、バイトです」
アラタの変わり身は速かった。ビシッと姿勢を正す姿に、田中がからからと笑う。
「仲が良いな! しっかし、こんな所に学生さんの興味を惹くモンがあるかねぇ?」
「研究テーマが『人と関わる元霧市周辺の植生』なので」
成実はすらすらと答える。植生調査なら、植物が生えているあらゆる場所が調査対象になる。周囲を木々で囲まれた古い神社は、理想的な調査地だ。
「よかったら教えてください。この神社って、どれくらい昔からあるんですか?」
「ああ、そうだな、確か──」
成実の質問に、田中がどこか楽しそうに応じている。アラタは少々面食らいつつその様子を見守った。
アラタに対する不愛想で淡々とした物言いからは想像できない、流暢な喋りと的確な質問、そして無表情に近いが柔らかな物腰。
猫を被るとはこのことか。普段から猫の着ぐるみを着て街を徘徊しているだけのことはある。
「──って感じだな。歴史にも興味があるなら、元霧市の郷土史を読んでみると良い。この辺の開拓の話も載ってるはずだ」
「分かりました、ありがとうございます」
2人が和やかに会話を終える。丁寧に頭を下げた成実は、くるりとこちらに振り返った。
「じゃ、次はあっちの方を調べてみますか」
「はい」
「おう」
「頑張れよー」
ごく自然にその場を離れるアラタたちに、田中も軽く手を振って背を向ける。
それをちらりと確認して、アラタはこっそり安堵の溜息をついた。色々と心臓に悪い。いや、心臓という名の臓器はヴェルデ族の身体には無いが、気分的に。




