19 神社の裏手
アラタがきぐるみ様に初めて遭遇した歩行者専用通路でも同様に調査を行った後、さらに楓の運転する車で移動すること20分ほど。
郊外に広がる田園地帯のど真ん中に、最後の目的地はあった。
「おお」
車から降りるなり、アラタはそれを見上げて感嘆の声を漏らす。
田んぼに囲まれた中にぽつんと生い茂る、林──いや、森。面積はそれほど大きくないが、木々の密度が高く、奥は見通せない。アラタの正面、細い石畳が唯一の通り道だ。
周囲の田んぼには水が張られているので、森はまるで海か湖に浮かぶ離れ小島のように見える。
このような場所は、実は郊外全域に点在している。
古い耕作放棄地、開拓時代にあえて残された林、後継者がおらず廃屋になった家の敷地──理由は様々だが。
この場所は、
「この奥か?」
「ん。真ん中あたりにお社がある。その裏の井戸が出入口」
いわゆる『氏神様』──地元住民が奉る、小さな神社だ。
成実の家、木栗家の縁者が神主を務める少し大きな神社の兼務社、いわば支店のようなものである。神職は常駐しておらず、普段は無人──夜間の地底ゴキの見張り番を除いては。
下草を踏みしめて進む成実と楓に続いて、アラタも森の中へ足を踏み入れる。林冠に日射しが遮られ、体感温度がぐっと低くなった。
木々の間に半ば埋もれている色褪せた鳥居をくぐり、数分もしないうちに視界が拓けた。
石畳の先、広場の中央で、小ぢんまりとした木造の建物が木漏れ日を浴びている。造りはしっかりしているが、かなり古い。
建物の手前に賽銭箱が置かれていなければ、廃屋の物置と言われても信じてしまいそうなくらい小さく、簡素な見た目だ。
成実と楓はそのお社の前で軽く一礼した後、裏手へ向かった。
陰陽師とは神道とも繋がりが深いのだろうかと埒もないことを考えつつ、アラタも何となくお社に頭を下げ、2人の後を追う。
「これ」
アラタが追いついたところで、成実が半身だけ振り返り、奥の地面を指差した。
丁度、入口からはお社を挟んで反対側。お社と木立の間の空間に、石組みの井戸があった。
角の取れた石を円柱状に積んだ、昔ながらの形状。実際かなり古いものらしく、全体的に苔むしている。井戸ポンプなどは付いておらず、円柱の上端、蓋として使われているらしい金属の板が異彩を放っていた。それだけ妙に新しい。
「出入口は、この井戸の中」
「井戸の中?」
「井戸の内壁に穴が開いている。地底ゴキは、そこから這い上がってくる」
なかなかにアグレッシブである。元々地下生物の上、あの形状ならば、垂直の壁はおろか天井も普通に走れそうではあるが。
(普通のゴキブリでさえ、あの身体能力だもんな…)
自宅アパートで初めてそれに遭遇した日のことを思い出し、アラタは内心遠い目になる。
事前調査で、ゴキブリという名の生き物の存在自体は知っていた。
ホモサピエンスの多くに嫌われている不快害虫。攻撃力はないが、動きが素早く、どこからともなく家屋に浸入して繁殖する。生ごみなどに寄って来る。
アラタは日光さえ浴びていれば食事は不要なので、ゴキブリは自分とは無縁の存在だと思っていた。自宅アパートに、食材・食料と呼べるものは一切置いていないからだ。
だが──ヤツは現れた。しかもドアや窓からではなく、エアコンの中から、である。
恐らく、排水ホースあたりを伝って外から侵入したのだろう。
いつも通り元の姿に戻り日光浴をしていた時、カサリ…という微かな音に気付いて見上げると、エアコンの吹き出し口の隙間から、にょろりと細長い触角がはみ出ているのが見えた。
当時はそれがゴキブリだと分からず、何の生き物だと戸惑うばかり。その間にゴキブリは吹き出し口をすり抜け──そのまま滑って、アラタの上にぼとりと落ちた。
身体能力は高いはずなのに、何故そういう時に限ってドジっ子属性を発揮するのか、アラタは今もって解せない。
とにかく、アラタの身体の上に落ちたゴキブリはパニック状態で、背泳ぎのような格好でシャカシャカと動き回り、その感触にアラタもまたパニックに陥った。
相手は非力な昆虫だが、如何せん気持ちが悪い。思考が読めないので動きを予測できない。
軟体を必死に動かし何とかゴキブリを床に落としたアラタは、不法侵入者を叩き潰すべく身体の一部を硬化させ、改めてゴキブリに向き直ったのだが──
ゴキブリは、その直後、飛翔した。
何故か、アラタ目掛けて。
本来の姿に戻っていたので、悲鳴を上げてもホモサピエンスに認識できる音にならなかったのは不幸中の幸いだった。
──その後何とかゴキブリを退治したアラタが、エアコンのドレンホース先端に装着する害虫侵入防止グッズと殺虫剤を買いに走ったのは言うまでもない。
3億年以上前から地球上に生息する楕円形の節足動物は、地球外知的生命体の精神に見事トラウマを刻んだのである。
そんなゴキブリとのファーストコンタクトの思い出を振り払い、アラタは井戸を観察する。
「井戸の内側を這い上がって──ああ、蓋の隙間から外に出るのか」
井戸の石組みと金属の蓋との間に、数センチほどの隙間があった。石組みの天面は平坦ではないので、蓋が半ば浮く形になっているのだ。
が、蓋を持ち上げようとしてもびくともしない。ごついボルトで井戸本体に固定されている。
ゴキブリって、命の危機を感じると何で人間に向かって来るんですかね…




