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契約社員ときぐるみ様~人外魔境に遭遇した時の対処法~  作者: 晩夏ノ空


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2/19

2 不審者


 その日最後の配達を終え、営業所に戻って来る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 使っていた軽自動車の下回りを軽く洗って泥を落とし、他に問題がないか、ぐるりと一周して確認する。月明かりと構内の常夜灯だけでは確認するのには少々心許ないが、これといって目立った汚れや傷はないように見えた。


 事務所に入り、残業している正社員に挨拶して、今日の処理件数を確認する。

 アラタはこの配達業者の契約社員だ。週に4日、午後から夜間の配達業務を請け負っている。それほど給料は高くないが、配達の時間指定さえ守ればある程度融通が利くのが良いところだ。


「──よし、お疲れさん。次回は明後日か?」

「はい、また午後イチからですね」


 次の出勤予定を確認して車の鍵を返却し、軽く事務処理を済ませれば、今日の業務は完了だ。


「お疲れさまでした!」


 人影まばらな事務所に頭を下げ、アラタは営業所を出た。


 自宅アパートまではそれほど遠くないので、通勤は徒歩である。郊外に位置する営業所から街の中心部方面へ、大通りを歩く。

 空は綺麗に晴れていたが、満月の輪郭は曖昧にぼやけていた。

 田んぼにたっぷり張られた水が日中蒸発し、夜には放射冷却で急速に冷やされるので、この時期はもやが掛かりやすいのだ。

 見上げると、満月の前を煙のような濃淡がゆっくり横切っていくのが見えた。


「…おっと」


 そのままボーっと歩いていたら、曲がるべき所を通り過ぎていた。

 アラタは一瞬引き返そうとして、思い直す。確かすぐ先に、同じ方向へ向かう細い路地があったはずだ。車は進入禁止だが、徒歩なら普通に通れる。


 たまには違う道を使うのも乙なもの──鼻歌交じりに左に折れたところで、



「……は?」



 ずんぐりむっくりした『何か』が、細い道の中央に鎮座(ちんざ)していた。


 おかしい、ここは通路のはずなのに。誰だここに粗大ごみを捨てた奴は。

 ぽかんと開いたアラタの口から、間抜けな声が漏れる。それが聞こえたのか、『何か』が動いた。


 幸か不幸か、それは粗大ごみではなかった。しかしそれでは何なのかというと、名状し難いことこの上ない。


(いやマジ何だこれ)


 曲がり角にぽつんと佇む街灯と満月の光に照らされた、全体としては二足歩行らしき丸みを帯びたボディ。その頭部には、三角形の物体が2つ、ついている。

 身長──身長と言っていいのか不明だが、頭部らしきものの頂点から地面までの長さは、アラタと同程度。ただし、横幅はアラタの倍以上ある。圧迫感を覚えるのも納得のボリュームだ。


 それが、ゆっくり、アラタの方を向いた。

 そう分かったのは、頭らしきものに顔っぽいものがついていたからだ。

 一抱え以上ありそうな巨大な頭部に、これまた大きな目が一対。真ん丸な瞳孔の中央に、それぞれぽつんと、赤い光が見える。

 全体のディティールは、そう──


「き、着ぐるみ…?」


 それにしては、目の中央の赤い光が妙に生々しい。かといって、生身にも見えない。そもそも、こんな生き物がいてたまるかという話だが。


 ずんぐりむっくりした何かは、草刈り機を構えていた。アラタが昼間見たのと同じ、両手で保持して長い柄の先端の刃で草を刈る型だ。

 ただし普通は地面に対して水平になるよう付いているはずの刃は、地面に対して垂直に、縦方向に付いている。本来あるはずのカバーもない。


 円形の刃が月明かりを反射して、高速回転しているのが見えた。なのに、特有のエンジン音も、モーター音もしない。チィィィィ…というわずかな摩擦音だけが、漏れ聞こえている。

 昼間も聞いた、耳に馴染んだあのエンジン音が聞こえない。それだけでここまで恐ろしくなるものなのかと、アラタは半ば呆然としながら考える。


 赤く目を光らせた謎の物体は、のっそりとアラタを見詰め、軽く首を傾げている。

 一歩踏み出す、その動きに合わせて、足と胴体の一部がまだら模様にぬらりと光った。何か、普通の液体ではないもので濡れているらしい。しかも不均一に。


 それが一体何なのか、欠片も理解したくない。アラタが心の底からそう思っていると、そいつはゆっくり頭部を下げ──



 ──ダン!


「いっ!?」



 一足飛びにアラタの真横に突っ込んできて、半ば彼を突き飛ばす形で何かを思い切り踏みつけた。


 アラタは2、3歩よろめいて、そのまま尻餅をつく。目線が下がり、そいつの足元が目に入って、ギョッとして固まった。

 黒っぽいまだら模様の丸っこい足が、茶色っぽくて黒光りする虫──多分、虫を、踏み潰していた。


 多分と付くのは、どう見てもサイズ感がおかしいからだ。成人男性よりはるかに大きい足にしっかり踏み潰されているのに、その足からはみ出している。しかも、形状が分かる程度に、がっつりと。

 ふわふわした質感の足には似つかわしくない、金属めいた光沢のある短い鉤爪が、巨大な虫にめり込む。ギヂィと妙な音がして、もがく虫の動きが弱くなった。


 そこに、例の音がしない草刈り機の刃が振るわれる。地面ギリギリを器用に走った丸刃が、虫の頭をオサラバさせた。

 首が飛ぶと同時に体液が飛び散って、一部がアラタの靴にかかる。

 びしゃ、というよりねちゃあ…という質感だった。アラタの顔が引きつるのも致し方ないことだろう。


 虫の胴体が動きを止めると、ゆっくりと足が退いた。

 そしてあらわになったのは、何となく油じみた光沢のある茶色っぽい羽と、縦に長い楕円形のボディ。

 跳ね飛んで行った頭部を見遣れば、体長より長い触角が2本、この期に及んでなおピクピクと動いている。


 つまるところ、この虫は、一部地域で『アブラムシ』などと呼ばれる家庭内不快害虫、いわゆる『チャバネゴキブリ』と同じ姿をしていた。サイズ感さえ無視すれば、だが。


「な、なんで…」


 こんなサイズのゴキブリなんか知らない。確か海外には馬鹿でかい種類もいるらしいが、それでもここまで大きくなかったはずだ。

 訳が分からず、アラタが地面にへたり込んだまま呻いていると、突然、喉元に草刈り機が突きつけられた。


「!?」


 高速回転する丸刃のわずかな音と振動が、顎の下、喉のギリギリ手前にある。状況を理解してゆっくり視線を上げると、アラタを見下ろす、一対の赤い光。

 じり、と後退ったら、草刈り機もきっちりついてきた。無理だ、逃げられない。


 ──きぐるみ様と遭遇したら、目を合わせてはいけないよ。


 いつだったか、田中に教わったことが頭に浮かぶ。


 ──敵だと思われてしまうから。


 色々と手遅れだ。思い切り目が合ったし、訳が分からない巨大ゴキブリを殺すところを見てしまったし、というかやっぱりアレか、こいつが例の『きぐるみ様』なのか。

 確かに、頭に角のようなものは2本ある。チェーンソーではなく草刈り機だが、それっぽい凶器を振り回しているところも見た。車と並走できるかは知らないが、ゴキブリもどきを踏み潰す動作は滅茶苦茶素早かった。


 可能性を否定する材料が見つからない。

 アラタが顔を引きつらせながら赤い光をじっと見返していると、きぐるみ様(仮)が小首を傾げた。



「……宇宙人が、どうして人間のふりをしている?」


「っ!?」



 喋った。


 いや、それ以前に。

 アラタは内心で悲鳴を上げた。



(──なんで、()()()んだ…!?)






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