1 アラタの日常
きぐるみ様に出会ったら、目を合わせてはいけないよ。
──敵だと思われてしまうから。
元霧市は、日本の片隅にある地方自治体である。
市街地にはそこそこのサイズのビルが立ち並び、賑やかな──以前はもっと賑やかだったと揶揄される商店街もある。公立の大学もあるので、若い世代もそれなりに住んでいる。
一方で、市街地から郊外へ向けて車で数十分も走れば、周囲はあっという間に田畑が広がる田舎へと姿を変える。
田園では、春先にはトラクターが、夏の終わりから秋にかけてはコンバインが動き回る。それをサギやカラスといった鳥たちが追いかけ、飛び出てきたカエルや虫をついばむ光景は、季節の風物詩だ。
そんな、都会とも田舎とも言い切れない、『地方にしてはそれなりに栄えている方』くらいの自治体、それが元霧市である。
春の終わり、アラタはその元霧市郊外の農道を軽自動車で走っていた。
ここ数日降り続いていた雨は午前中に上がり、夕方の今は路面もすっかり乾いている。
田植えが終わったばかりの田んぼには水がなみなみと張られ、夕日に赤く染まっていた。
植え付け直後は水深を深めにする必要がある。アラタのような宅配便の配達員には煩わしいことこの上なかった連日の雨も、稲にとってはこの上ない恵みだったことだろう。
「うへぇ」
トラクターが路面に撒き散らしたらしい泥を思い切りタイヤで踏んでしまい、アラタは思わず顔を顰めた。
この車は宅配業者の所有だから、汚れたら綺麗にして返却しなければならない。明文化されてはいないが、アラタが仕事をしている営業所にはそういう不文律がある。
(季節の風物詩とはいえ、泥落としは面倒なんだよなあ…)
内心で愚痴りつつ、ウィンカーを出して民家の敷地に入る。
宅配物の宛名を確認してから、アラタは車を降りた。
「お届け物でーす!」
玄関の呼び鈴を鳴らしながら声を上げる。が、誰も出てこない。
平日の真っ昼間なのだから、当然といえば当然だ。アラタは仕方なく荷物を抱えたまま、建物を回り込んで裏手に向かう。
少し離れた畑の中、しゃがみ込んで何やら作業している男性の姿があった。
「田中さん、お届け物です!」
「ん? ……おお!」
声はしっかり届いたようだ。男性──田中が立ち上がり、アラタを見てにかっと笑う。
「配達の兄ちゃんか! いつもご苦労さん!」
麦わら帽子を外し、汗ばむ額を首にかけたタオルで拭きながら歩み寄って来た田中は、荷物を受け取るために手を差し出し──その手が泥まみれになっているのを見てすぐ引っ込めた。
「すまん、玄関の中まで持って行ってくれるか? 手ェ洗ってくるから」
「分かりました」
外の流し台へ向かう田中と別れ、玄関に戻る。これもいつものことだ。
鍵は最初から開いているので、戸を開け、上がり框に荷物を置く。
「ありがとよ」
遅れて入って来た家主が、慣れた様子で送り状にサインする。それを剝がして受け取ったら、配達完了だ。
「ご利用ありがとうございます」
定型文の礼を述べると、頷いた田中が不意にニヤリと笑った。
「で、この間の話、考えてくれたか?」
「この間の話?」
「ウチで農作業を手伝ってくれねぇかって話だよ」
忘れたのか? と笑って問われ、アラタの目が泳ぐ。
忘れてはいないのだ。はぐらかしたかっただけで。
「若いし、体力もありそうだし、配達なんて仕事を続ける根性もある。農業も合うと思うんだがなぁ」
田中家は代々続く農家だが、子どもたちは既に都市部で就職し、家庭を持っているので、家業を継いでくれる者がいない。
何度も配達に来ているうちに、アラタはそんなプライベートな事情も聞かされていた。過剰なくらいに。
「や、俺、農業未経験ですし」
「誰だって最初は未経験だろ!」
やんわり断っても、この勢いである。
田中は笑い飛ばした後、大体だな、と続けた。
「卯月新田、なんて名前で農業向きじゃないなんて、そんなことあるわけないだろ!」
「いや、名前は関係ないですって」
否定しながらも、アラタは思わず乾いた笑みを浮かべる。
卯月新田。いかにも農家生まれ農家育ちのような名前だが、全く、欠片も、そんなことはない。
この地域の配達を担当するようになってから田中をはじめとする農家の方々に名が知れ渡り、半数以上に同じような反応をされているので、いささかげんなりもしている。
農家の後継者不足が叫ばれる昨今、気持ちは分からないでもないが、他業種で働いていて転職の意思もない者を勧誘するのは勘弁してほしい。切実に。それがアラタの本音だ。
内心溜息をつきながら、アラタは腕時計に視線を落とし、あっと声を上げた。
「すんません、時間指定の荷物があるんで!」
嘘も方便。アラタが身を翻すと、田中はのんびりと手を振った。
「ああ、ご苦労さん。──もうすぐ日暮れだから、『きぐるみ様』に出くわさないように気をつけてな」
後半、声のトーンが真面目なものに変わる。
アラタはその言葉を半ば聞き流して、車に乗り込んだ。
きぐるみ様──いつの頃からかこの元霧市で流布している、ある種の怪談というか、都市伝説のような存在だ。
曰く、暗闇で光る目を持つ、人間と同じくらいの大きさの着ぐるみ──の、ようなもの。
頭に2本の角があり、車と並走できるくらい素早い。
チェーンソーのようなものを持っていて、それを振り回していることもある。
出没時間はほぼ夜中だが、日没後すぐ目撃されることもある。
画像や動画はない、というか、撮れない。撮っても写らない、らしい。
完全にホラー映画のような存在だが、この街ではその存在は自然に受け入れられ、まことしやかに囁かれている。深夜までふらふら出歩いていたら、きぐるみ様に襲われても文句は言えないぞ、と。
実際にはそんなものに襲われたなどという話は寡聞にして聞かない。噂が独り歩きしているだけだろう。
とはいえ、田中のようなれっきとした成人──をとうに過ぎた相手に真面目な顔で言われると、背中にひんやりとしたものを感じるのも確かだ。アラタはその感覚を誤魔化すように、運転席側の窓を全開にした。
田んぼに反射する夕日が眩しい。どこからか、発酵中の堆肥の強烈な臭いがする。
道はアスファルトで舗装されているが、元々の地面が田んぼの軟弱地盤な上、トラクターなどの重量級の農耕機械や大型トラックが行き交うせいでガタガタだ。補修工事が入るといいが。
そんなことを考えつつ、のんびりと車を走らせる。
道路の脇、田んぼのあぜ道の草刈りをしている男性がいた。エンジン式の金属刃タイプ、肩掛けベルトと両手で保持して操作する方式の草刈り機で、器用に地際から草を刈っている。
不機嫌な猛獣を思わせるエンジンの唸りが、近付いていくと不意に小さくなった。男性が、アラタを見て手を挙げている。
「よう配達の兄ちゃん! ウチの手伝いをする気になったか?」
配達の用事かと思って車を止めたら、いつもの勧誘だった。田中のご近所さんだ。
アラタは車を降りるのをやめ、全開の窓から笑顔で応じる。
「俺が配達の仕事クビになったら考えますよ。優先順位20番目くらいで」
「そりゃ望み薄だな!」
少々嫌味っぽかったかと一瞬反省したが、男性は気を悪くした風もなく豪快に笑い飛ばす。
「いつも田んぼとか畑の方まで来てくれて助かってるからよ! 配達の兄ちゃんには仕事を長く続けてもらわんと!」
農家の手伝いをしてくれと言う一方で、配達の仕事は続けてほしい。矛盾しているように見えるが、どちらも本心だろう。
アラタは曖昧に笑い、頑張りますよと応じてから車を発進させた。
というわけで始まりました、久々の男性主人公、三人称視点。
そして長編としては初の現代日本舞台、ローファンタジーです。
まあちょっとSFチックな要素も入っているんですが、地上が舞台なのでね。ローファンタジーです(二度目)
お話自体はそれほど長くありません。ざっと8万字程度。
ちょっと更新頻度高めに、終わりまでサクサク進みますので、よろしければお付き合いくださいませ。




