16 死体が消えた理由
アラタは最初に確認した地点にもう一度しゃがみ込む。そっとアスファルトの表面に手をつき、
「よーく見てろよ──」
直後、その手のひらからアスファルトに、ぶわっと薄緑色の液体が広がった。
アラタの前方、1メートル四方に一気に拡散した粘性のない液体は、アスファルトを濡らし、透明になって速やかに蒸発していく。
が──その一部が真っ赤に染まった。
「赤くなった…!?」
「これは…」
成実と楓が顔色を変える。
路面に残る赤い痕跡は、まるで事故現場の血痕のようだ。アラタは苦い顔で立ち上がり、首を横に振る。
「ある種族が触れた場所に残る特殊な成分を可視化した。まあアレだ、この国の警察が現場検証で利用する、ルミノール反応みたいなもんだと思えばいい」
ヴェルデ族としての知覚に引っ掛かっていたその痕跡を、人間の目にも見えるようにした。昨日の現場では気のせいかと思っていたのだが、今日ははっきりと分かる。
アラタたちヴェルデ族は、体内で任意の化学物質を作り出すことができる。
無論、その化学物質の構造を知っていること、材料が体内に揃っていること、生成に要するエネルギーを体内エネルギーで賄えることなどの制約はあるが、なかなかに便利な能力である。
とはいえ今は、それを自慢する気にもなれない。アラタは苦々しい表情のまま、説明を続けた。
「これは、ホーシャ族──昨日説明した『話の通じない種族』の中でも、とびっきりタチの悪い連中の痕跡だ。恐らく、昨夜倒したっていう地底ゴキ4匹は、全てホーシャ族に眷属化されていたんだろう」
眷属は、死亡するとホーシャ族の体組織に変質し、主の元へ帰っていく。主はそれを取り込んで自分の身体の一部とするとともに、眷属の記憶も手に入れる。
眷属は知覚の一部を主と共有しているから、生きていても、死んでも、主に情報が渡るというわけだ。
「ホーシャ族…あの紫色の紐の集合体みたいなやつ?」
「ああ、それだ」
「そいつだったら、前に倒したけど…」
「今回は別個体かも知れないし、前に倒したのが実は眷属が主に擬態したもので、主は無事だったのかも知れない。どのみち、相手にきぐるみ様の情報が渡っているのはほぼ確実だ」
ヴェルデ族とその友好種族の間で『侵略的知的生命体』として知られるホーシャ族は、成実の言う通り、紫色の紐の集合体のような姿をしている。
ただしそれは、『本来の姿を見せていた場合』の話だ。
ホーシャ族は半寄生生物で、通常は何らかの生物の身体の一部を間借りする形で生活している。寄生対象の種族は限定されておらず、他星の知的生命体にも寄生する。
恐ろしいのは、ホーシャ族に寄生された側には、ほぼ自覚がない、という点だ。
自分の身体にホーシャ族が入り込んでいることを認識しないまま、日常生活を送り続ける。無意識のうちにホーシャ族の分までエネルギーを摂取し、時折ホーシャ族に意識を乗っ取られて、眷属を増やしながら。
そうして十分力を蓄えると、ホーシャ族は最終的に宿主の身体を喰らい尽くし、眷属も取り込んで、複数体に分裂して新たな寄生先を探す。
そういう生き物だから、で片付けてしまうにはあまりに危険な種族である。
一応、寄生していると宿主の言語は操れるので、コミュニケーション自体はできる。だが、思考が根本から異なるため理性的な会話は成立しない。学習能力は高いので、きぐるみ様の情報が相手に渡ってしまっているであろうという事実は、正直かなり痛い。
アラタの説明に、成実と楓は顔を見合わせる。流石に少々、顔色が悪い。──と、アラタは思ったのだが。
「まあなるようにしかならない」
「そうですね」
「軽すぎだろ」
ホモサピエンス2人は思いのほか肝が据わっていた。
「いいから、他の3ヶ所も染色して。痕跡から行動が追えるかも知れない」
「まあいいけどよ…」
ぶつぶつ言いながら、アラタは残り3ヶ所にも体内で生成した液体を撒く。予想通り、その全てに赤く染まる箇所が現れた。成実の求めに応じて、さらに染まる場所を追っていくと、
「…穴?」
ホーシャ族の体組織の痕跡は、道の端、塀との間に生じたわずかな隙間に続いていた。
4ヶ所全ての痕跡が、その隙間に吸い込まれるように集まっている。
赤く染まる化学物質はホーシャ族の体組織から分泌されるもので、眷属が死んでホーシャ族の体組織に変質してからでなければ現れない。
つまりこれは、地底ゴキ4体はホーシャ族に眷属化されていて、死んだことでホーシャ族の体組織となり、地面を這ってこの隙間から逃亡した、ということを示している。
アラタはしゃがみ込んで、その隙間を覗き込む。ホモサピエンスと同じ肉眼では中は真っ暗、ヴェルデ族の知覚でも、狭くて深い穴、ということしか分からない。
鼻先を、一段冷えた風が掠めた。どうやらこの穴、どこかに繋がっているらしい。




