12 昨夜の現場
一応服は着替え、貰ったばかりの真新しいスニーカーを履いて、歩いて目的地へ向かう。
アラタの職場への通勤ルート沿い、普段は使わない細い路地が、昨夜の例の現場だ。アパートからは徒歩数分も掛からない。
昨日通るはずだったルートを逆に辿り、その路地に入ろうとしたところで、頭上に変なものが掛かっているのに気付いた。
枯草──恐らく稲わらを撚って作った細い紐が、路地の入口の頭上に渡され、そこに長方形の紙が3枚ぶら下がっている。微風に揺れる紙には、不思議な紋様と、アラタの知らない文字のようなものが書かれていた。
「人避けの結界。普通の人間は、ここを通るのを何となく避けるようになる。…あんたにはあんまり効果がないみたいだけど」
成実の口ぶりから、常設されているもののようだと当たりをつける。
それで納得した。アラタは昨日、普通の人間なら無意識に避けて通るはずの結界の中に足を踏み入れていたのだ。警戒されるのも当然だった。
「次から宇宙人避けの結界も張っといてくれ」
「そんなのあるわけない」
にべもなく言い放った後、不意に成実の目がきらりと輝いてアラタを見上げる。
「…もしかして、あんたの種族にはあるの?」
「あるわけないなあ、そんなの」
肩を竦める。
そんな間抜けなやり取りをしつつ路地へ入ると、作業用のつなぎを着た男性が3名、作業をしていた。
細い路地の横には、用水路が流れている。3人は、路面や柵、水路脇の雑草の中などを熱心に見詰め、漁り、時折立ち上がって手帳に何やら走り書きしていた。一見するとゴミ拾いや除草作業の作業員のようにも見えるが、明らかに空気が違う。
思わず足を止めるアラタに構わず、成実は手近な一人に歩み寄る。
「見つかった?」
途端、その一人──若い男が弾かれたように立ち上がった。
「成実様、お疲れさまです! …その、まだ発見には至らず…」
「そう」
それほど落胆した様子もなく、むしろ当然という顔で成実が頷く。
アラタが首を傾げていると、成実は奥へと進み、アラタを手招いた。
「ここ。昨日あんたが腰抜かしてたとこだけど」
「おい、言い方」
「分かる?」
突っ込みはさらりと受け流される。仕方なく指し示された場所を注視して──アラタは首を傾げた。
「何もないが」
向かって右側は用水路、左側は塀。用水路側には柵があり、コンクリートの隙間から雑草が生えている。午前の明るい日差しのお陰で、昨夜のおどろおどろしい雰囲気は欠片もない。
そう、全く、欠片も。
それらしい痕跡が、ない。
昨夜の状況を改めて思い浮かべながら、アラタは周囲を見渡す。
あの時、きぐるみ様はアラタの真横にいた地底ゴキを踏みつけ、草刈り機もどきでその首を刎ねた。体液が地面に飛び散り、その一部がアラタのスニーカーに掛かった。
「あの体液って、一晩で綺麗に蒸発するもんなのか?」
「普通は地面に固着して、ガムの吐き跡みたいになる」
「…表現はアレだが、つまりここまで綺麗になるってことはないんだな?」
「そう。それに、死体そのものもなくなってる。昨夜から探してるのに見つからない」
昨夜、きぐるみ様がここで処理した地底ゴキは3体。
きぐるみ様が現場を去った後、木栗家擁する現場処理班がいつものように地底ゴキの死体の回収と清掃のため路地に入った。
2体は順調に回収したものの、残り1体、アラタの真横できぐるみ様が踏みつけた個体の死体が、飛び散った体液も含めて丸ごと消えていた。
説明した後、成実は目を細めてアラタを見上げた。
「…心当たりは?」
「俺が容疑者なのかよ!?」
完全にジト目、思い切り疑われている。んなわけあるかと叫んだが、
「だって、その気になれば何でも食べられるんでしょ?」
昨夜ヴェルデ族の生態について丁寧に答えたのがあだになった。成実の言葉に、関係者らしき男性3名までアラタに猜疑の目を向けてくる。
アラタは顔を引きつらせた後、深々と溜息をついた。
「食べられるかどうかと食べたいかどうかは別問題だ。そもそも俺は、日光さえ浴びていれば何かを食べる必要なんかない。得体の知れないゴキ…もどきを食うくらいだったらそこら辺の草でも食ってた方がマシだ」
「草、食べるんだ」
「ものの例えだ、本当に食うわけじゃないぞ」
アラタがジト目で見遣ると、成実は肩を竦めて目を逸らす。
それでようやくアラタも、どうやらからかわれていただけらしいと理解した。淡々とし過ぎていて分かりにくい。
「──とにかく、死体が消えてるんだとしても犯人は俺じゃない。昨夜はここからそのまま連行されたし、今朝解放された後はアパートの中でひたすら日光浴してただけだ。外出すらしてない」
ゴキブリもどきの死体を食べる理由もなければ暇もない。アラタは丁寧に説明して周囲を示した。
「人避けの結界はあると言っても、人以外は普通に入って来るんじゃないか? 虫とか、獣とか」
路地自体は殺風景だが、柵で隔てられた横には用水路があり、用水路の両脇にはそれなりに草も生えている。生き物はいくらでも棲みついているだろう。
そういうものが死体を回収していったとして、体液まで綺麗に舐め取っていくかは分からないが。
あるいは、
「もう一つ考えられるとしたら──そもそも死んでなかった、とかな」
「…地底ゴキは、首を落とせば死ぬんだけど」




