episode.06
中央結界の解析が連日続いていたある日。
珍しく監察局全体へ半日の休暇が言い渡された。
「……休暇?」
リゼは書類を抱えたまま、小さく瞬きをする。向かいの席ではミレイアが呆れたように頬杖をついていた。
「何?その反応」
「休暇というのは、何をするものなんですか」
その瞬間、解析室が静まり返る。周囲の術師たちが思わず手を止めた。
ミレイアは数秒黙り込んだあと、深いため息を吐く。
「あんた、人生下手すぎない?」
「……?」
意味が分からず、リゼは僅かに首を傾げた。
「普通は買い物したり、遊びに行ったり、好きなことするのよ」
「好きなこと……」
考えてもこれといった事は特に浮かばない。
里では、空いた時間は修練か勉学に使っていた。何もしない時間などほとんど存在しなかった。
「ないの?」
「必要無かったので」
即答すると、ミレイアが何とも言えない顔をした。
「重いのよ、育ちが」
その時だった。奥の机で書類を読んでいたアシュレイが、小さく息を吐く。
「無理に習慣を変える必要はない」
だが、ミレイアは反論する。
「いいえ、だめよ。せっかく王都に来たんだから、“楽しい”くらい覚えて帰らないと」
ミレイアは立ち上がると、にやりと笑った。
「アシュレイ、王都の案内をするのもあんたの仕事だと思わない?」
アシュレイは露骨に眉を寄せる。
「なぜ俺が」
「他に適任いる?事実上、リゼはあんたの監視対象なんでしょう?」
「……」
「それとも、他の誰かに任せてもいいのかしら?それで何かあっても責任とれないけど」
ミレイアは面白そうに笑う。
「決まりね」
「勝手に決めるな」
「はいはい、そうと決まったら準備をしなくちゃね」
数十分後。結局リゼはアシュレイと並んで王都の中央通りを歩いていた。
雪は止み、薄く陽が差している。通りには人が溢れている。
商人の呼び込み。屋台から漂う甘い匂い。笑いながら行き交う人々。
リゼは静かに辺りを見回す。
「……騒がしいですね」
「以前も同じことを言っていたな」
「事実です」
アシュレイは小さく息を吐いた。
「俺も田舎の生まれだから気持ちは分かるが、そのうち慣れる」
そう言いながらも、人混みを避けるように少し前を歩いている。無意識なのだろう。
リゼが人にぶつからないよう位置を取っていることに、本人は気づいていない。
しばらく歩いていると、通りの一角で甘い香りが漂ってくる。見るとそこには小さな屋台があった。
いくつかの焼き菓子が並んでいて、リゼは無意識にそちらへ視線を向ける。
「食べるか?」
突然声をかけられ、リゼは僅かに目を見開いた。
「……いえ」
「遠慮しなくて良い。さっきから見ていただろ」
鋭いと思いつつ、リゼは小さく視線を逸らした。
アシュレイは何も言わず店主へ硬貨を渡す。そして紙袋をそのままリゼへ差し出した。
「口に合わなければ無理に食べなくていい」
「……ありがとうございます」
受け取った袋からは、温かな匂いがした。リゼは小さく礼を言い、一口齧る。
甘い。
外は少し硬く、中は驚くほど柔らかかった。エルシアでは食べたことのない味だった。
「……美味しいです」
ぽつりと漏らすと、アシュレイがこちらを見る。
「そうか」
短い返事。けれどどこか空気が柔らかかった。
その後も二人は王都を歩いた。
魔道具店、書店、広場……。
リゼは表情こそ変わらなかったが、視線だけは忙しなく周囲を追っているのをアシュレイは何も言わず見ていた。
「……意外でした」
「何がだ」
「こういう場所にも来るんですね」
アシュレイは少しだけ周囲を見回した。
「監察官も休暇くらいある」
「もっと、仕事しかしない方なのかと」
「お前の中の俺はどうなっているんだ」
何を考えているか分からない仕事人間…。リゼがそんな事を考えていると、アシュレイが沈黙を破る。
「……昔、妹を連れてよく来たから店の場所を知っているだけだ」
リゼは小さく目を見開く。家族の話を聞いたのは初めてだった。
「妹さんがいるんですね」
「ああ」
それ以上は語らない。だがその短い返答だけで、少しだけ彼の輪郭が見えた気がした。
気づけば空は薄暗くなっており、帰路につく人々で通りはさらに混み始める。
その時、人波に押され、リゼの身体が少しだけ横へ流れた。
次の瞬間。
手首を掴まれる。
「……はぐれるぞ」
アシュレイの低い声が落ちた。しっかりと掴まれた手首が熱い。
「すみません」
「謝る必要はない。だが気をつけろ」
そう言いながらも、アシュレイは手を離さなかった。人混みを抜けるまで、そのまま歩く。リゼは黙ったまま前を向いていた。
けれど胸の奥が、妙に落ち着かなかった。
監察局へ戻る頃には、空から再び雪が降り始めていた。
「疲れたか」
隣から声がする。リゼは少し考えた。
身体は疲れているはずだった。だが不思議と嫌ではない。むしろしっくりくるのは……満足感だろうか。
「……よく分かりません」
正直にそう答えると、アシュレイは小さく息を吐いた。
「そうか」
雪の降る王都を歩きながら、リゼはそっと焼き菓子の残った袋を握り締めた。
今日はいつもより少しだけ、時間が過ぎるのが早かった気がした。




