episode.05
翌朝、リゼはアシュレイに連れられ監視局の地下区画へ降りていた。
石造りの長い廊下を進むたび、空気が少しずつ冷たくなっていく。
やがて辿り着いた扉には、『中央結界解析室』そう刻まれていた。
アシュレイが扉を開く。
途端、中にいた数人の魔術師たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
空気が止まる。紙を捲る音すら消えた。
「……あれが魔女?」
誰かが小さく呟く。
「本当に連れてきたんですね」
「エルシアの純血の?」
隠す気のない視線だった。
好奇心、警戒、僅かな嫌悪。その全てが混ざっている。
リゼは表情を変えなかった。その視線には慣れている。
エルシアの魔女は、外では恐れられる存在だ。むしろこの程度なら静かな方だった。
だが、隣に立つアシュレイの空気が僅かに冷えたのを、リゼは感じた。
「無駄話をする暇があるなら手を動かせ」
低い声が室内へ落ちる。それだけで空気が張り詰めた。
誰も何も言わなくなり、リゼは小さく瞬きをした。アシュレイはそのまま机の一つへ書類を置く。
「中央結界の術式資料だ」
机の上には大量の魔法陣図面が積み上がっていた。
複雑に重なり合った術式。王都を覆う超大型結界。
数ヶ月解析が進んでいないと聞いていた。リゼは静かに紙へ視線を落とす。
そして数分後。
「……感情制御式が重複しています」
リゼの独り言に室内が静まり返る。一人の術師が眉を寄せた。
「重複だと?」
リゼは資料へ指先を滑らせる。
「魔法は感情の影響を受けます。怒りや悲しみが強ければ、それだけ魔力も乱れやすい」
それは魔術師なら誰でも知っている基本だった。感情暴走も、その延長にある。
「重複している分、結界は人間が持つ感情と強く反発しています。」
別の術師が息を呑む。リゼは静かに続けた。
「長期間反発し続ければ、異常が起こってもおかしくないと思います」
沈黙が落ちる。
誰かが小さく呟いた。
「……そんな事、今まで誰も…」
その先を、誰も口にしなかった。
疑う事すら許されない。白の魔女のが作り上げた結界は、この国にとって絶対だった。
人々の感情を鎮め、暴走を防ぎ、長い間王都を守り続けてきた加護。
それが歪み始めているなど、考えた者はいない。
室内には重苦しい沈黙が落ちる。
だがリゼだけは静かに資料を見つめていた。
「……何ですか?」
「いや」
ふと視線に気づいたリゼが顔を上げると、アシュレイは短く答える。
「改めて、お前が規格外だと確認しただけだ」
褒めているのか分からない言い方だった。
昼を過ぎても解析は続いた。リゼはほとんど休まず資料へ向かい続ける。
紙へ文字を書き込み、術式を書き換え、何度も魔力計算を繰り返す。
集中している時のリゼは異様だった。感情が完全に消える。
ただ術式だけを追い続ける機械のようだった。
「……リゼ」
不意に低い声が落ちる。
顔を上げると、机へ温かな茶器が置かれていた。
「少し休め」
アシュレイだった。
「まだ終わっていません」
「倒れられる方が面倒だ」
いつもの淡々とした口調。だが茶からは湯気が立っている。淹れたばかりなのだろう。
リゼは僅かに黙り込んだ。
そんな二人を少し離れた場所から見ていたミレイアが、にやりと笑う。
「へえ」
わざとらしい声だった。
「アシュレイが異性に気を使うなんて珍しいんだけど」
「必要な管理だ」
淡々とした答えだったが、それでもミレイアはさらに面白そうに笑う。
「はいはい。そういうことにしとく」
意味が分からず、リゼは小さく首を傾げる。
「……………?」
「気になる?」
ミレイアは楽しそうに肩を竦めた。
「この人、自分が面倒見いいの気づいてないのよ」
アシュレイの眉間に皺が寄る。
「おい」
「やだ、怖い怖い」
だがそのやり取りに、解析室の空気が少しだけ緩んだ気がした。
夜。
解析室にはリゼだけが残っていた。窓の外では雪が降っている。誰の視線もない静かな空間は落ち着く。
紙へ視線を落としながら、リゼは小さく息を吐く。
その時、扉が開く音がした。
「まだいたのか」
アシュレイだった。
「……少し、気になる部分が」
「明日でもいい」
「忘れたくないので」
リゼが答えると、アシュレイは小さく息を吐いた。
そして当然のように隣へ立つと机へ視線を落とし、資料を手に取った。
「どこだ」
「この術式です。もっと簡易化出来ると思うのですが」
二人分の影が紙へ落ちる。静かな沈黙。
けれど不思議と苦ではない。
リゼはふと気づく。
誰かといる沈黙を、心地良いと思ったのは初めてだった。




