episode.36
エルシアへ向かう道中、リゼはずっと落ち着かなかった。
馬車の窓から流れる景色を見つめていても、頭の中では別の事ばかり考えてしまう。
隣にはアシュレイがいる。それだけで、未だに胸が妙に騒がしかった。
数日前、自分はとんでもない事を口走った。
“伴侶として迎える”。
思い出しただけで顔が熱くなる。
しかもアシュレイは、それをしっかり聞いていた上で何度も口にしてきたのだ。
これまでずっと優しい人だと思っていたのだが、何と言う性格の悪さだろう。
ちらりと隣を見ると、アシュレイはいつも通り静かな顔で書類へ目を通していた。
どうしてこの人は平然としていられるのか。リゼは一人で羞恥に苦しんでいるというのに。
「……リゼ」
「っ、はい!?」
突然名前を呼ばれ、肩が跳ねる。アシュレイは僅かに目を細めた。
「さっきから顔が赤いが、大丈夫か」
「だ、大丈夫です」
即答すると、アシュレイはどこか納得していないような顔をした。
「ならいいが」
「…………」
絶対に分かっていて言っている。リゼは恨めしい気持ちで視線を逸らした。
そんな彼女を見ながら、アシュレイは小さく口元を緩める。
その表情を見た瞬間、リゼはさらに落ち着かなくなった。
「……エルシアの者達は、外の人間を嫌うか?」
不意に落ちた問いに、リゼは瞬きをした。少し考え込む。
「嫌う、というより……警戒、でしょうか」
「なるほどな」
「そもそも、里自体が長く閉鎖的だったので」
エルシアは外界との交流が少ない。
それは長い年月、魔女達が感情を抑えながら生きてきた影響も大きい。
必要以上の関わりを避け、淡々とその血と魔法を守ってきた。
だから外から来る者は珍しい。
まして今回は――。
リゼは小さく視線を落とす。
「……アシュレイ様は、かなり目立つので…」
「そうか?」
「はい。……色々と」
顔も、雰囲気も、存在感も。
あまりにもエルシアの空気とは違う。
何より、リゼは今回の訪問について取り急ぎ文を出している。この訪問が何を意味するのか、分かる者は分かっているだろう。
そう口にするのは気恥ずかしくて、リゼは曖昧に誤魔化した。
するとアシュレイは静かにこちらを見る。
「……お前が、自分から俺をエルシアへ連れて行くと言い出すとは思わなかった」
その言葉に、リゼの胸が跳ねる。
「……私も、です」
小さく答えると、アシュレイは僅かに目を細めた。
「出会った頃のお前なら、必要以上に誰かを自分の領域へ入れようとはしなかっただろう」
否定できなかった。
エルシアは、リゼにとって最も深い場所だ。そこへ誰かを連れて行くなど、昔の自分なら考えもしなかった。
けれど今は違う。
「……アシュレイ様だから、です」
言った瞬間、恥ずかしくなったリゼは慌てて視線を逸らした。
だが隣からは、低く小さな笑い声が落ちてくる。
「そうか」
それだけなのに、妙に嬉しそうな声だった。
**********
エルシアへ到着したのは夕暮れ時だった。
深い森の奥。淡い霧に包まれた静かな里は、王都とはまるで空気が違う。
懐かしいはずの景色なのに、リゼは妙な緊張を覚えていた。
里へ入った瞬間、周囲の視線が一斉に集まる。
その大半は、アシュレイへ向けられていた。
当然だ。外の男を、それもリゼ自身が連れて来たのだから。
ざわめきが広がる中、出迎えてくれたのはリゼが姉のように慕う魔女、セレナだった。
「おかえり、リゼ」
「…………ただいま………姉さん」
小さく返した瞬間、セレナはふっと目を細めた。
長い銀髪を揺らしながら近づいて来るセレナの姿は、相変わらず静かで美しい。
けれどその紫の瞳は、すぐにリゼの隣へ向けられた。
「リゼが“自分から”外の人を連れて来る日が来るなんてね」
「姉さん……あの……」
「文を見た時は驚いたわ。“紹介したい人がいる”なんて書いてあるんだもの」
「ちょっ!!」
リゼが真っ赤になったまま固まっていると、セレナが楽しそうに笑った。
「……まあ、立ち話も何だし。里長も待ってるわ」
そう言って踵を返しかけた後、不意に立ち止まるとセレナは少しだけ振り返った。
「でも安心したわ」
リゼが何のことかと瞬きをする姿を見てセレナは柔らかく笑った。
「あなたがちゃんと、“隣にいたい相手”を見つけられたみたいで」
その言葉に、リゼの胸が静かに熱を帯びた。
セレナに案内され、二人は里の中央へ向かっていた。
夕暮れの霧に包まれた石畳を歩く度、あちこちから視線を感じる。そのほとんどがアシュレイへ向けられていた。
「本当に連れて来たのね」
「結構色男じゃない?」
「あの子、見る目あるわね」
囁き声が遠慮なく耳へ届いてくる。
リゼは居た堪れなくなり、思わず俯いた。
だが隣を歩くアシュレイは全く気にした様子がない。むしろ、落ち着いた足取りのまま静かに周囲を見渡していた。
その姿は妙に堂々としていて、逆にリゼの方がそわそわしてしまう。
「……アシュレイ様」
「何だ」
「その、視線とか……気になりませんか」
「別に」
即答だった。
「ここはお前が育った場所だろう」
その言葉に、リゼは小さく目を瞬く。アシュレイは前を向いたまま続けた。
「前に来た時はちゃんと見れなかったからな」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
エルシアはリゼにとって特別な場所だ。閉鎖的で、不器用で、感情表現も乏しい。世界が変わった所で、長年の習慣はそう簡単には変わらない。
けれど、自分を育ててくれた大切な故郷。
その場所を、アシュレイが知ろうとしてくれている。ただそれだけの事が、どうしようもなく嬉しかった。
ふと顔を上げると、霧の向こうに見慣れた建物が見えてきた。
里長の館だ。
リゼは小さく息を吸う。
――ここから先は、もう後戻りできない。
けれど不思議と、怖くはなかった。




