episode.34
休日の昼下がり。
王都の大通りは買い物客で賑わっていた。
焼き菓子の甘い香り。露店から響く呼び込みの声。柔らかな陽射しに照らされた石畳を、リゼはどこか落ち着かない気持ちで歩いている。
その隣では、ミレイアが呆れたようにため息を吐いた。
「もう、何なの?ずっと辛気臭い顔して」
「辛気臭い……ですか?」
リゼは小さく視線を落とす。
自覚が無い訳ではない。ここ最近、ずっと考えてしまうのだ。
結婚の事。アシュレイの事。“これから先”の事。
ぼんやりしていると、隣からじとっとした視線を感じた。
「ほらまた何か考え込んでるわね」
「……そんなつもりは」
「あるわよ」
ミレイアは半ば強引にリゼの腕を引く。
「今日は休みなんだから、難しい顔禁止!」
「ですが……」
「ですがも無し!話しなら聞いてあげるわよ」
そう言ってミレイアは楽しそうに笑った。
結婚してから、彼女はどこか柔らかくなった気がする。
元々明るい性格ではあったが、今はそこへ穏やかさが加わったような、不思議な空気があった。
リゼはその横顔を見つめながら、小さく瞬きをする。
「……ミレイアさんは」
「ん?」
「結婚して、何か変わりましたか?」
その瞬間、ミレイアがきょとんと目を丸くした。
「何よ急に」
「いえ、その……」
リゼは少し迷った後、小さく続ける。
「結婚とは、“これから先を一緒に生きる”事だと聞きました」
セシリアの言葉を思い出す。
“神様に誓う”
“人生を共にする”
その響きは、今でもリゼの中でひどく重い。
「それは、何かが大きく変わってしまう事なんじゃないかと」
するとミレイアは数秒きょとんとしていたが、やがて吹き出した。
「何それ。そんな事を深刻な顔で考えてたの?」
「……変でしょうか」
「変というか………重い?」
ミレイアは笑いながらそう言った。だが、からかうような声音ではなく、どこか優しい響きだった。
「確かに結婚ってそういうものよ」
そう言いながら、ミレイアは露店で焼き菓子を二つ買い、その片方を当然のようにリゼへ押し付ける。
「でもね、結婚したからって急に何か変わる訳じゃないの」
リゼは受け取った焼き菓子を見下ろした。
ほんのり甘い匂いがするそれを、ミレイアは一口かじりながら続けた。
「朝起きて、顔合わせて、一緒にご飯食べる。くだらない話して、時々喧嘩もする。でもまた普通に隣に戻ってくる」
そう言って、ミレイアは柔らかく笑う。
「結局、結婚する前から一緒にいた人だもの」
リゼは静かにその言葉を聞いていた。
“ずっと一緒にいた人”。
その響きが胸へ静かに落ちてくる。
「だからね」
ミレイアは楽しそうに肩を竦めた。
「私としては、“これからもよろしく”って約束した感覚に近いかな」
人生を縛るものではなく、何かを奪うものでもなく。
ただ、“これから先も隣にいたい”と伝える為のもの。
そう考えた瞬間、リゼの胸の奥にあった重苦しさが、少しだけ軽くなった気がした。
リゼは手の中の焼き菓子へ視線を落とした。
“これからもよろしく”。
たったそれだけの言葉なのに、不思議なくらい胸へ残る。
結婚とは、もっと重く、取り返しのつかない契約のようなものだと思っていた。
誰かの人生を縛り、奪い、自分だけのものにしてしまう行為。
だから怖かった。
けれど、ミレイアの言葉はそんな悲観的なものではなかった。
隣に居たい相手と、“これから先もそう在りたい”と約束するもの。
そう考えると、“結婚”というものが少しだけ遠い存在ではなくなる。
「……ミレイアさんは、怖くなかったんですか?」
小さく問い掛けると、ミレイアは「んー?」と首を傾げた。
「何が?」
「その……誰かと人生を共にする事です」
その言葉に、ミレイアは少しだけ考えるように空を見上げる。
「怖くなかった訳じゃないわよ?」
予想外の答えに、リゼは瞬きをした。
ミレイアは苦笑する。
「だって他人だもの。喧嘩もするし、価値観だって違うし、ずっと一緒にいる保証なんて、本当はどこにもないわ」
穏やかな声だった。
けれど、その言葉は妙に現実的で、リゼは静かに耳を傾ける。
「でもね」
ミレイアはふっと笑った。
「それでも“この人と一緒にいたい”って思ったのよ」
その一言が、胸へ落ちる。
一緒にいたい。理由でも、義務でもなく。ただ、そう思ったから。
リゼの脳裏へ、自然と一人の姿が浮かぶ。
灰色の瞳。低く落ち着いた声。隣に立つ、大きな背中。
何かある度、気づけば視線で追ってしまう人。
「……っ」
胸が小さく跳ねた。
ミレイアはそんなリゼの反応を見逃さず、にやりと笑う。
「誰の事を考えてるかは、何となく分かるけど」
「ち、ちがいます……!」
「否定しても無駄!バレバレよ」
「っ………!」
リゼは誤魔化すように焼き菓子を口へ運ぶ。
甘い。
けれど今は、それ以上に胸の奥が落ち着かなかった。するとミレイアが、不意に少しだけ優しい顔をした。
「リゼ」
「……はい」
「ちゃんと、“自分がどうしたいか”で考えなさいよ」
その言葉に、リゼは小さく目を見開く。
ミレイアは穏やかに笑った。
「相手の為とか、縛りつけるとか、そういうのばっかり考えてるんでしょ?」
図星だった。リゼは思わず言葉に詰まると、そんな彼女へ、ミレイアは呆れたように肩を竦める。
「一緒にいたいと思えるような人に出会えるのって、案外奇跡よ」
王都の賑やかな喧騒が遠くで響いている。その音を聞きながら、リゼはゆっくりと息を吐いた。
“自分がどうしたいか”。
今まで、考えた事もなかった。けれどもし――。
“これから先も隣にいたい”と思う相手を選ぶのなら。
その姿は、驚くほど自然に胸へ浮かんできた。




