episode.32
「私、結婚するの!」
あの時のミレイアの声は、今でも耳の奥に残っている。
ミレイアがそう告げてから、およそ二ヶ月。
その“結婚”という言葉の意味を、リゼはまだ完全には掴みきれていなかった。
そして今日。
王都の礼拝堂では、その答えが形になろうとしていた。
「ミレイアさん!とっても素敵……!!」
リゼの隣で、目を輝かせているどこか儚げな少女の名は、セシリア・バレンティス。
そう、アシュレイの妹だ。
結界が安定した事が、眠り続けていた彼女にも良い影響を与えたらしく、目を覚ました。
礼拝堂の白い光の中で、セシリアは、ミレイアの姿を見上げたまま小さく息を吐いた。
「……本当に、いい式ですね」
しみじみと呟くセシリアの横で、リゼは曖昧に頷く。
「そうですね……」
だがリゼの言葉はどこか薄い。
それに気づいたのか、セシリアは少しだけ表情を和らげた。
「リゼさんは……こういうの、初めてですか?」
「結婚式、ですか?」
「そうです!」
リゼはゆっくり頷く。
「初めて、です」
セシリアは小さく微笑んだ後、視線を前へ戻した。ミレイアが誓いの言葉に向かう姿を見ながら、静かに言う。
「この国ではね、結婚って“生活の区切り”なんです」
その言葉に、リゼの指先がわずかに動いたが、セシリアは気にせず続ける。
「ただ一緒にいる、じゃなくて。“これから先を一緒に生きる”って、ちゃんと決めて神様に誓う事なんです」
リゼは視線を落とす。
「一緒に生きる……」
セシリアは頷いた。
「はい。だからこそ、みんなちゃんと結婚式をするんです」
周囲の拍手が一瞬だけ遠のいたように感じた。リゼの中で、ミレイアの言葉が重なっていく。
『これから一緒に生きるって決めたの』
その“決める”という言葉の重さが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
「では、誓いのキスを」
神父の静かな声が礼拝堂に落ちた瞬間、リゼは思わず顔を上げた。
「……キス?」
小さく零れた声に、自分でも驚く。
人前で、そんなことをするのか。エルシアでは、誰かに見せるための接触行為はほとんど意味を持たない。むしろ“個人の領域”として扱われるものだ。
だから今の言葉は、理解より先に違和感として落ちてきた。
隣のセシリアは、そんなリゼの反応に気づくと、少しだけ目を瞬かせたあと、当然のように頷いた。
「はい、誓いのキスです」
「……え?」
リゼは思わずセシリアを見返す。セシリアは不思議そうに首を傾げた。
「驚くところですか?」
「いえ、その……人前で、ですか?」
その言葉に、セシリアは一拍置いてから小さく笑った。
「そうですよ」
まるで“当然の誤解”を解くような柔らかい声だった。
「この国では、結婚は“二人だけの約束”じゃないんです」
リゼは瞬きをする。セシリアは前を見たまま続けた。
「ちゃんと、みんなの前で宣言するものなんです。“この人と生きていきます”って」
それを、ただ言葉にするだけではなく――形として見せる。
セシリアは憧れの眼差しを向けていた。
「素敵ですよね」
そんな中、ミレイアと相手が静かに身を寄せ、当然のように誓いのキスを交わす。
礼拝堂に拍手が広がる中で、リゼの視線だけがそこに固定されたまま動かなかった。
(……今のを……アシュレイ様と……?)
頭に浮かんだ瞬間、胸の奥が跳ねる。呼吸が少しだけ乱れた。
まるで見てはいけないものを見てしまったような、けれど確かに“想像できてしまった”という事実。
灰色の瞳。いつも真っ直ぐな視線。あの手に触れられた時の感覚。
そこに、今見た光景が重なってしまう。
「……っ」
リゼは思わず視線を逸らした。耳まで熱い。
(何を考えてるんだろう、私は……)
隣ではセシリアが、普通に拍手をしている。
「いい式ですね、本当に」
何の気負いもない声だった。
リゼの動揺など気づいていない、というより“気にしていない”。
その対比が余計にリゼの心を落ち着かなくさせる。
もう一度、ミレイアを見る。美しい笑顔を浮かべる彼女の表情は、さっきまでと同じようで、でもどこか少しだけ“変わった”ようにも見えた。
その姿が、また別の想像を引きずり出す。
アシュレイと、自分。
沈黙の中で交わされる視線。そして、さっき見たあの距離。
「……っ」
今度ははっきりと顔を背けた。
耳の熱が引かない。
セシリアはそんなリゼを横目で見て、ようやく異変に気付いたようで慌てていた。
「リゼさん!?
「……はい」
「顔が真っ赤ですよ!大丈夫ですか!?」
「……っ!!」
「具合が悪いですか?今、兄さんを………!」
少し離れた場所にいるアシュレイを呼ぼうとするセシリアを、リゼは慌てて止めた。
「大丈夫です」
「でも……!」
「今は本当に……無理………」
今アシュレイと顔を合わせたら、きっとさっきの光景を思い出してしまう――そんな予感だけで、リゼの胸は苦しいほど熱を帯びていた。




