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episode.31



結界修復から数日後。


王都には、少しずつ穏やかな空気が戻り始めていた。


以前なら些細な事で苛立っていた人々も、どこか肩の力が抜けている。通りには笑い声が増え、張り詰めていた空気も柔らかい。


監察局もようやく慌ただしさを落ち着かせ始めていた。


とはいえ、完全に平穏へ戻ったわけではない。結界の変化による影響調査や各地の報告確認で、局員達は未だ忙しそうに動き回っている。


その日の午後、報告書をまとめ終えたリゼが小さく息を吐いた時だった。


「少し付き合ってくれないかな?」


穏やかな声に顔を上げる。そこにはセレスが立っていた。


相変わらず静かな微笑を浮かべているが、どこか肩の力が抜けて見える。


「……どちらへ?」


不思議そうに瞬きをするリゼに、セレスは小さく笑った。


「君に見せたい場所があるんだ」


案内されたのは、王城のさらに奥。一般の人間は滅多に立ち入らない静かな庭園だった。


白い花が一面に咲いていて、風が吹くたび、淡い花弁が揺れて心が落ち着くような場所だ。


その中央には、小さな石碑があった。


リゼは近づき、そこへ刻まれた名前を見て、小さく目を見開いた。


『白の魔女  ルシエ』


静かな沈黙が落ちる。やがてリゼは、そっと口を開いた。


「……白の魔女様、ですか」


セレスは静かに頷く。その横顔は穏やかだった。けれど、どこか遠い記憶を見つめているみたいでもある。


「彼女は僕の妹なんだ」


その一言に、リゼは息を呑んだ。


思わずセレスを見る。


白の魔女。世界を覆う結界を作った存在。感情を閉ざすことで人々を守ろうとした魔女。


その人物が、セレスの妹だったなんて。


セレスは微笑みながら、ゆっくり墓標へ視線を落とした。


「ルシエは昔から、人の感情に敏感だった」


静かな声だった。


「嬉しさも、悲しさも、怒りも。誰かの感情へ触れるたび、自分の事みたいに喜び、そして傷ついていた」


風が白い花を揺らしていく。


「だからこそ、放っておけなかったんだろうね。争いも、憎しみも、苦しみも」


セレスは小さく笑った。


「優しすぎたんだ。あの子は」


その声音には、兄としての愛情が滲んでいた。


リゼは静かに墓石を見つめる。エルシアにいた頃、白の魔女は、冷たい存在だと思っていた。


感情を拒絶し、心を閉ざした魔女。


けれど今、セレスの口から語られるルシエは、誰より人を想っていたように聞こえる。


「……だから結界を」


セレスは頷いた。


「感情がなければ、人は傷つかない。ルシエは本気でそう信じていた」


それはきっと、世界を憎んだからではない。傷つく人々を見続けた末の願いだった。


「でも、本当はあんな世界を望んでいたわけじゃない」


セレスは空を見上げる。結界は以前より柔らかな光を宿している。


「ルシエは、人が笑っていられる世界を作りたかっただけなんだ」


その言葉に、リゼは胸の奥が小さく痛んだ。


するとセレスは、ふと思い出したみたいに続ける。


「ちなみに僕らはエルシア出身だよ」


リゼは驚いて顔を上げた。


「え……?」


エルシア。感情を抑え、冷静である事を重視する魔女の里であり、リゼの故郷。


セレスはそんなリゼの反応を見て、小さく笑った。


「昔のエルシアは、今とはかなり違ったんだ」


風が花弁を攫っていく。


「感情を閉ざす里じゃなかった。むしろ逆だよ。“心”を何より大切にする土地だった」


リゼは静かに目を見開く。


「灯火の魔女は、その象徴みたいな存在だった」


人の悲しみに寄り添い、痛みを癒し、感情を力へ変える魔女。それが“灯火の魔女”。


「ルシエと灯火の魔女が出会ったのも、エルシアだった」


その言葉に、リゼは小さく息を呑む。セレスは穏やかに続けた。


「二人は親友だったんだ」


白の魔女と、灯火の魔女。


今となっては正反対のように見える2人だが、当時は誰よりも互いを理解していた。


ルシエは、人の感情へ傷つきすぎるほど敏感だった。一方で灯火の魔女は、人の感情が持つ温かさを信じ続けていた。


だからこそ、二人は惹かれ合ったのかもしれない。


「だけど灯火の魔女(あの子)も優しい子だった。多くの感情と共鳴しすぎて、結局最後には心を壊して誰の声も届かなくなってしまった」


セレスが静かに言う。


「悲しみも苦しみも、あの子は全部1人で抱え込んでしまった」


風が白い花を揺らす。


「……ルシエは、それをずっと後悔していた」


助けられなかった。隣にいたのに。誰より大切だったのに。


「だから、結界を作ったんだ。感情さえ無ければ、誰も壊れないと思ってしまったから」


その言葉に、リゼは胸が熱くなるのを感じた。


感情は苦しい。怖い。時には人も自分も傷つける事がある。


けれど。


嬉しいも、愛しいも、温かいも。全部そこにあるから、人は誰かと繋がれる。


セレスはそんなリゼを見つめ、小さく目を細めた。


「だから僕は、君を見た時驚いたんだ」

「……私を?」

「君は、灯火の魔女によく似ている」


セレスは静かに続けた。


「感情を閉ざそうとしているのは、今のエルシアの教えだろう。それでも人を見捨てられない。傷つく事を恐れながら、誰かへ手を伸ばしてしまう」


風が吹くと、それに合わせて白い花が揺れる。


「灯火の魔女もそんな人だったよ」


リゼは静かに墓石を見つめた。


白の魔女が辿り着けなかった願い。灯火の魔女が最後まで信じ続けた想い。


それらは遠い昔の話ではなく、確かに今へ繋がっている。


すると不意に、背後から足音が聞こえた。


振り返ると、少し離れた場所にアシュレイが立っている。


どうやら迎えに来たらしい。


灰色の瞳がリゼを見つけ、僅かに細められる。


その視線だけで、胸の奥が温かくなる。


セレスはそんな二人を見比べ、どこか可笑しそうに笑った。


「……思ったより遅かったね。もう用は済んだのかな?」


セレスが穏やかにそう言う。するとアシュレイが、僅かに眉を寄せた。


「……あなたが余計な事をしなければ、もっと早く来られたんですが」


低い声だった。


だが責めるというより、どこか恨めしそうな響きが混じっている。


リゼは首を傾げた。セレスはそんな反応を見て、小さく笑う。


「せっかくなら、君にも少し落ち着いてほしかったんだ」

「不要です」


即答だった。けれどアシュレイは自然な動作でリゼの隣へ立つ。


その距離感に、リゼは小さく目を見開いた。


セレスはそんな二人を見つめ、どこか満足そうに目を細める。


風が庭園を吹き抜けた。


白い花弁がふわりと舞い上がり、陽光の中できらきらと揺れている。その景色を見上げながら、セレスは静かに笑った。


長い長い時間を経て、ようやく願いが未来へ繋がった気がした。




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