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episode.29



セレスと会った日から数日が経ったが、リゼはどこか落ち着かなかった。


任務中に失敗をするわけではない。術式にも報告書にも不備はない。


ただ、時折ぼんやりしている事が増えた。


「あの、リゼさん?聞いてます?」

「……はい?」


不意に声を掛けられ、リゼは小さく瞬きをする。目の前では監察局員が苦笑していた。


「次の巡回区域の話なんですけど…」

「すみません」


慌てて資料へ視線を落とす。


だがその直後、向かい側に座っていたミレイアが、じっとこちらを見ている事に気づいた。


「……何ですか?」

「いや、別にぃ?」


にや、と意味深に笑われる。嫌な予感しかしなかった。


その日の帰り道。


監察局の長い回廊を歩いていたリゼは、不意に足を止めた。


視線の先には、“封書の間”へ続く通路がある。


静かな空気。閉ざされた扉。数日前、セレスと会った場所だった。


『君は、“灯火の魔女”によく似ている』


静かな声が脳裏に蘇る。


感情を閉ざさず誰かと繋がろうとした、白の魔女が未来を託そうとした存在。


そして。


『今の灯火の魔女の隣には、君がいる』


セレスは確かにそう言っていた。


その時の、アシュレイを見つめる視線まで思い出してしまい、胸の奥がじわりと熱を帯びる。


リゼは小さく息を吐いた。


これが恋なのだと自覚して以降、気を抜くとすぐアシュレイの事を考えてしまう。


声や視線、触れられた時の熱。


『綺麗だな』


あの夜の言葉まで思い出してしまい、リゼはそっと額を押さえた。


その時だった。


「……リゼ?」


低い声に、肩が揺れる。


振り返ると、少し離れた場所にアシュレイが立っていた。


灰色の瞳が静かにこちらを見ている。


「アシュレイ様……」


リゼは慌てて姿勢を正した。


だがアシュレイは、何も言わなかった。その代わり、リゼが見つめていた通路へ静かに視線を向ける。


そこは、封書の間へ続く道。沈黙が落ちた。


やがてアシュレイが、ぽつりと口を開く。


「また会いたいのか?」

「……え?」


意味が分からず、リゼは目を瞬かせる。


アシュレイは数秒黙ったあと、静かに続けた。


「セレスに」


その瞬間。


リゼの思考が止まった。


「……なぜ、そう思うんですか?」


的外れな思考に思わず聞き返す。だがアシュレイは真顔だった。


「最近、ぼんやりしている事が多い。セレスに会ってからお前は少し変わった」

「それは……」


言葉が詰まる。確かにそうかもしれない。だがそうさせている理由はセレス本人ではない。


あの日の話を思い出していただけだ。


灯火の魔女。白の魔女。


そして――アシュレイ。


だが、その説明をするわけにもいかない。


恋を自覚してしまった今、アシュレイを意識している事など知られたくなかった。アシュレイも同じだという保証はどこにもない。


リゼが黙り込むと、アシュレイは僅かに目を伏せた。


「…そうか」


その声音が、何故か少しだけ遠く感じて、リゼは胸の奥がざわつく。


アシュレイが沈黙を破る。


「セレスは、お前を理解してくれるだろう」


静かな声。それは否定でもなく、責めでもなかった。ただ事実を並べるような、落ち着いた声音。


「灯火の魔女についても知っている。……お前にとっても、良い助言をくれるかもしれない」


リゼはすぐに返事ができなかった。その言葉は、優しさの形をしているのに、どこか遠く感じた。


まるで――もうリゼの居場所がここにないと、先に線を引かれてしまったようで。


胸の奥が、静かに冷えていく。


(やっぱり……)


思考が勝手に落ちていく。


全ては、リゼがエルシアの魔女で協力者であり監視対象だったから優しく気遣ってくれただけの事。


アシュレイ自身は優しくしていたつもりもないのかもしれない。


なら、もう――。


「……そう、ですね」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。


無意識に魔力が溢れ出る。その瞬間、アシュレイの視線がわずかに揺れた。


だがリゼは気づかない。今アシュレイと目を合わせたら、立っていることさえ難しい。


沈黙が落ちる。


そしてアシュレイは、一度だけ目を伏せたあと、静かに口を開いた。


「俺は、お前が選んだものを否定する気はない」


その言葉に、リゼの胸が小さく痛んだ。


――選ぶ。そう言っておきながら、もう答えは決まっているようなものなのに。


「ただ」


低い声が続く。


「俺から離れるなら、早く言ってくれ」


その一言で、呼吸が止まる。リゼは顔を上げかけて、止めた。


アシュレイは続ける。


「中途半端に隣にいられる方が困るんだ」


静かな声音だった。怒っているわけでも、冷たいわけでもない。


ただ、本当に困っているような声だった。


それが、いちばん苦しかった。


(……ああ)


胸の奥で、何かが崩れる。


これは“もう離れていく前提の言葉”だ。そうなる事をアシュレイは考えているのだ。


リゼの指先が、微かに震えた。


その瞬間。


いつの間にか滲み出ていた銀色の魔力が、ふっと“形を失った”。


舞うというより、崩れていく。


光は細く細かく分裂し、まるで支えを失ったかのように空気の中でまとまらないまま散っていく。


その変化に気づいたアシュレイが、初めて言葉を止めた。


視線が、真正面からリゼに向く。そして、ほんのわずかに目を細めた。


(……以前の魔力と違う?)


その問いは言葉にはならなかった。


リゼは息を詰めたまま、何も言えずにいる。


その沈黙の中で、崩れた銀の光は細かな粒となって空気中に留まり、キラキラと静かに散っていた。



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