episode.27
王城最奥――封書の間。
そこは、王族ですら限られた者しか立ち入れない場所だった。
長い回廊を歩きながら、リゼは無意識に息を呑む。
壁一面へ刻まれた古代術式。
空気そのものが、王都とは別世界のように静かだった。
先頭を歩くのは監察局長。その後ろにアシュレイ、最後尾にリゼが続いている。
誰も口を開かなかった。
やがて、重い扉が静かに開く。
その先に広がっていたのは、薄暗い円形の部屋だった。
天井近くまで積み上げられた古い書物に、床一面へ描かれた巨大な術式。
そして、その中央。
長椅子へ腰掛ける一人の青年が、静かに顔を上げた。
白銀に近い灰色の髪。雪のように白い肌。中性的な顔立ちは美しく、見た目は年若い。
だが何より異様だったのは、その瞳だった。
まるで何百年もの時間を見つめ続けてきた事を物語るように、静かで古い。
そして、青年の後ろには、ひとりの女性が立っていた。
長い黒髪に、細身の剣。鋭い金色の瞳。
護衛だと一目で分かる。
彼女は部屋へ入ってきたアシュレイを見た瞬間、僅かに目を細めた。
ほんの一瞬、空気が張る。
互いに“同じ側の人間”だと察したみたいに。
「予定より早かったね、クロード」
青年が静かに口を開く。穏やかな声だった。
局長――クロードは一礼した。
「緊急性が高いと判断しました」
「そうだろうね」
青年の視線が、ゆっくりリゼへ向く。
その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。
静かな瞳が、真っ直ぐリゼを見つめる。まるで何かを確かめるみたいに。
やがて青年は、僅かに目を細めた。
「……なるほど」
小さな呟き。だがその一言だけで、局長の表情が強張る。
「やはり、そうですか」
リゼは首を傾げた。何の話なのか全く分からない。
青年はゆっくり立ち上がった。長い衣の裾が床を撫でる。
「初めまして、リゼ・エルシア。僕はセレス」
それだけ名乗った。姓はないらしい。
それが逆に、この人物の特別さを際立たせていた。
「……あなたが継承者……」
リゼの問いに、セレスは静かに頷く。
「僕は王家に刻まれた記憶を継ぐ者」
淡々とした声音。まるで他人事みたいだった。
だがその瞳だけは、あまりにも長い時間を知っている。
「白の魔女についても知っているのか?」
アシュレイが低く問うと、セレスは静かに視線を向けた。
「もちろん」
短い返答。その瞬間、後ろに立っていた女護衛が僅かに視線を伏せた。
まるで、その名を聞き慣れているみたいに。
セレスは再びリゼを見る。
「白の魔女の手記は読んだのかな?」
「はい」
「なら覚えているかな」
静かな声。
『けれど、あの子だけは違った』
リゼの呼吸が止まる。白の魔女の手記。
最後に残されていた、あの不可解な一文。
セレスはゆっくりと近づいてきた。
「当時、感情を露わにするという事は恐れられていた」
淡々とした声が部屋へ響く。
「感情は魔力を乱し、人を壊す。だから人々は感情を閉ざし始めた」
リゼは静かに耳を傾ける。それはまるで、エルシアの在り方そのものだった。
「けれど、ひとりだけ違う子がいた」
セレスの瞳が細められる。
「感情に呑まれた人々を、拒絶しなかった」
その言葉に、リゼの胸が小さく揺れた。
「恐れながらも、相手と繋がろうとしていた存在」
静かな声。けれど不思議と温度があった。
「白の魔女は、その子へ希望を見た」
世界は変われるかもしれない。
感情は、人を弱くするだけではないかもしれない。
そう信じたかった。
「……けれど、それは叶わなかった」
セレスは静かに目を伏せる。
「結局、白の魔女は結界を完成させるしかなかった」
部屋へ静寂が落ちる。リゼは無意識に手を握っていた。
やはり、白の魔女は諦めたわけではなかった。
未来を信じていた。その想いだけが、何故か強く伝わってくる。
やがてセレスは再び目を開く。
「だけど今、再び同じ魔力が現れた」
真っ直ぐリゼを見る。
「君は、“灯火の魔女”によく似ている」
リゼは小さく目を見開いた。
「……灯火の魔女?」
「白の魔女が、唯一希望を見出していた存在。感情を閉ざさず、恐れながらも誰かと共に在ろうとした魔女だよ」
その言葉に、リゼは僅かに目を伏せた。
胸の奥が静かに熱を帯び、そしてぽつりと呟く。
「……感情を持つ事で、人は強くなれる」
室内が静まり返る。
リゼはゆっくりと自分の手を見る。銀色の魔力が微かに揺れる。
「今なら、少しだけ分かる気がします。誰かを想う気持ちは、きっと弱さだけではないから」
ふわっと笑みを浮かべるセレスに対して、局長は厳しく問う。
「では、彼女の力は危険なのではありませんか」
その問いに、セレスはすぐには答えなかった。
数秒の沈黙のあと、静かに口を開いた。
「危険だね」
空気が張り詰める。
「感情は、人を変える。だからこそ恐れられた」
過去も。今も。人はずっとそれに囚われて生きている。
「けれど同時に、人を未来へ進ませる力でもある」
リゼは息を呑む。その時、セレスの視線が、不意にアシュレイへ向く。
「……なるほど」
ぽつり、とセレスが呟くとアシュレイは眉を寄せた。
「何か?」
セレスは静かにアシュレイを見る。その瞳には、遠い過去を見つめるような色が宿っていた。
「君か」
短い一言。意味が分からず、リゼは小さく瞬きをする。
だがセレスは、どこか安堵したように目を細めた。
「白の魔女は、“灯火の魔女”へ未来を託そうとしていた」
静かな声が響く。
「感情を閉ざさず、それでも誰かと繋がれる存在なら、この世界を変えられるかもしれないと」
リゼは息を呑む。
「けれど、当時の灯火の魔女には支える者がいなかった」
空気が静まる。
「誰にも理解されず、孤独の中、傷ついた人々との関わりで彼女は心を摩耗し、やがて自分の存在意義も見失ってしまった」
その声には、長い記憶を見続けてきた者だけが持つ静かな痛みがあった。
「だから白の魔女は結界を完成させた」
これ以上壊れてしまわないように。守る為に。
セレスは再びアシュレイを見ると少しだけ笑った。
「人は、一人では辿り着けない」
その声は、遠い過去を思い出しているみたいだった。
「だからこそ、人は誰かと共にあろうとするのだろうね」
静寂の中、リゼが無意識に隣を見ると、アシュレイもこちらを見ていた。
灰色の瞳が静かに揺れている。
その視線へ触れた瞬間。胸の奥が、また熱を帯びた。
セレスはそんな二人を見つめ、静かに目を細める。
それはまるで、何千年もの記憶を継いできた者が、ようやく見つけた“希望”を見るような目だった。




