episode.26
監察局本部、上層会議室。重苦しい空気が室内を満たし、リゼは萎縮していた。
長机の上には、南区で記録された術式反応の報告書が積み上げられている。
「……あり得ない」
年配の術式研究官が険しい顔で口を開いた。
「感情によって結界術式が自律安定化したなど、前例がない」
「しかし現場の隊員達が目撃しています」
別の監察官が淡々と返す。
「崩落しかけた術式は、確かにリゼ・エルシアの魔力によって修復された」
室内が静まり返る。
感情によって強まる魔法。それは、現在の理論と真逆の存在だった。
長年、この国は“感情を抑制する事”で魔力を安定化させてきた。
だからこそ、今回の現象は危険だった。これまでの秩序を揺るがしかねない。
「……放置はできんな」
低い声が落ちる。
会議室の最奥。監察局長が静かに目を伏せた。
「王家へ報告を上げる」
その言葉に、空気がさらに張り詰めた。
王家。この国で最も古い血筋。
そして――本当の意味で、結界の歴史を知る者達。
アシュレイは黙ったまま視線を落とす。脳裏には、あの時のリゼの魔力が浮かんでいた。
銀色の光。あれは壊すものではなく、守る魔法。
白の魔女が遺した“可能性”。
局長は静かに続ける。
「“継承者”へ確認を取る必要がある」
その瞬間、数人の監察官が息を呑んだ。
リゼは小さく瞬きをする。
継承者………。
聞き慣れない言葉だった。だが周囲の反応を見る限り、軽い意味ではないらしい。
「……継承者とは何でしょうか」
リゼの問いに、会議室が僅かに沈黙する。
答えたのは局長だった。
「王家には、古い記憶を継承する者がいる」
リゼの目が僅かに見開かれる。
「正確には、“魂へ刻まれた記録”を代々受け継ぐ特殊な血筋だ」
「そんなものが……」
術式研究官の一人が苦々しく呟く。
それほど秘匿された存在なのだろう。局長が淡々と続けた。
「継承者は、王国成立以前の記録すら保持している。もちろん、白の魔女についても知っているだろう」
その言葉に、リゼの呼吸が止まりそうになる。
白の魔女を知っている。エルシアに残されていた記録より、もっと古い何かを。
アシュレイは険しい表情を浮かべていた。
もし継承者が、リゼの魔法を“危険”と判断したら、王家はリゼを排除すべく動く。
この国は長い間、“感情を抑える結界”によって成り立ってきたのだから。
だがそんな考えを汲み取った局長は静かに首を振った。
「安心しろ。継承者は王家直属ではあるが、政治には干渉しない」
「……では、何のために存在しているのですか」
リゼの問いに、一瞬だけ局長が黙る。
そして低く答えた。
「歴史を繰り返さないためだ」
その言葉だけで、空気が冷えた。まるで過去に何かがあったように。
リゼは無意識に拳を握る。すると隣から、そっと指先が触れた。
アシュレイだった。
視線は前を向いたまま。だが触れた手だけが、“大丈夫だ”と伝えるみたいに静かに重なる。
それだけで、胸の奥のざわつきが少し落ち着いた。
会議終了後。
廊下を歩きながら、リゼは小さくため息を吐いた。
「……記憶を継承するなんて、本当に存在するんですね」
「王国でも一部しか知らない存在だ」
隣を歩くアシュレイの声は低い。
「俺も直接会った事はない」
「アシュレイ様でも?」
「ああ」
短い返答。それだけで、どれほど秘匿された存在か分かる。
しばらく沈黙が落ち、やがてリゼは静かに口を開いた。
「……もし、その継承者が私の魔法を危険だと言ったら」
その瞬間、アシュレイが振り返った。
灰色の瞳が真っ直ぐリゼを見る。
「言わせない」
迷いのない声に、リゼは小さく目を見開く。
アシュレイはそのまま一歩近づいた。
「お前の魔法は、誰かを傷つける力じゃない」
あの銀色の光を思い出す。守るみたいに術式を包み込んだ魔法。
あれを危険だとは思えなかった。
アシュレイは静かに続ける。
「俺は、お前の力を信じる」
胸の奥が熱くなる。
まただ。
最近、アシュレイにこうして真っ直ぐ言葉を向けられると、呼吸がおかしくなる。
リゼは少しだけ視線を伏せた。
「……ありがとうございます」
小さな声。
するとアシュレイは僅かに表情を和らげる。
「継承者との面会は三日後だ」
「はい」
「王城最奥、“封書の間”で行われる」
その言葉に、リゼは胸の奥がざわつくのを感じた。
まるで、何か大きな真実へ近づいているみたいに。




