episode.25
王都南区の結界区域。
監察局は、そこで結界異常の調査任務にあたっていた。
最近各地で確認されている術式の不安定化。その残滓確認と修復作業。
危険度は低く、本来なら半日もかからず終わる任務だった。
「西側区域、固定完了しました」
リゼは足元へ展開した魔法陣を閉じながら通信術式へ報告する。
『了解。引き続き北側の確認を頼む』
返ってきたのは、今回の隊を率いている監察官の声だった。
今回、監察局は複数班に分かれて調査を行っている。
アシュレイは南東区画。
リゼは別班の北西区画担当へ配属されていた。
『こちらももうすぐ終わる』
続けて聞こえた低い声に、リゼの胸が小さく揺れる。
アシュレイだった。それだけで、不思議と呼吸が落ち着く。
リゼはその感覚へ気づかないふりをしながら、小さく息を吐いた。
「了解しました」
通信を切り、次の術式へ向かう。
結界区域は人気が少ない。崩れかけた石造建築。薄暗い路地。
空気には微かに古い魔力が滞留している。
リゼは静かに周囲を確認しながら術式を展開した。
問題ない。少なくとも今のところは。
だが、その時だった。
耳元の通信術式が、突然激しいノイズを走らせる。
『――ッ、隊長!!』
焦った声。
リゼの動きが止まる。
『南東区画で術式崩落! アシュレイ隊長がーーっ!……………」
ぶつり、と通信が途切れた。
その一瞬、頭の中が真っ白になる。
「……え」
胸の奥が冷たくなり、呼吸が浅くなる。
アシュレイに何かがあったような口ぶりだった。
「状況を報告してください」
即座に通信を繋ぎ直すが、返事はない。
雑音だけが続いている。
「応答してください」
声が少し強くなる。それでも返答はなかった。
嫌な感覚が胸の奥を掴む。苦しくて落ち着かない。
アシュレイが傷ついたかもしれない。最悪の場合……。
その考えが浮かんだ瞬間、リゼの足元で銀色の魔力がふわりと揺れた。
「……っ」
空気が震える。
展開していた術式が、意思を持ったみたいに変質していく。
リゼは目を見開いた。
何が起きているのか分からないが魔力は止まらない。
胸の奥から溢れる感情へ呼応するみたいに、銀色の光が周囲へ広がっていく。
まるで何かを探すように。
「おい!」
同班の隊員が振り返る。その目が驚愕に見開かれた。
「その魔力は――」
だがリゼには聞こえていなかった。
頭の中にあるのは一つだけ。アシュレイに無事でいてほしい。その想いだけだった。
次の瞬間、銀色の魔力が、一方向へ強く伸びる。
まるで導くように指し示すのは南東区画だった。
リゼは反射的に駆け出していた。
「待て、単独行動は――!」
制止の声が飛ぶが、止まれない。
風が頬を打つ。胸が苦しい。怖い。
こんな感覚は初めてだった。
アシュレイがいなくなるかもしれない。もし、もう会えないなんて事になったら……。
その想像だけで、呼吸が乱れる。
するとまた、魔力が強く脈打ち、銀色の光が周囲へ溢れ出す。
だがそれは破壊ではなかった。
崩れた術式を包み込み、修復するように安定化させていく。
後方で局員達が息を呑む。
「術式が……勝手に修復されてる……?」
あり得ない現象だった。
魔力暴走ではなく、むしろ逆。
感情が、術式を安定化させている。
リゼ自身が一番理解できなかったが、そんな事は気にならなかった。
走った先には崩落した石壁の向こうで、ようやく人影が見えてくる。
「……アシュレイ様!」
リゼの声が響くと、瓦礫の奥でアシュレイがこちらを振り返った。
無事だった。
その瞬間、張り詰めていたものが一気に崩れ、力が抜けそうになる。
「リゼ!?」
アシュレイの表情が変わる。彼はすぐに異常へ気づいた。
リゼの周囲で、銀色の魔力が激しく揺れている。
だが壊れてはいない。
むしろ。
守るみたいに空間を包み込んでいる。
アシュレイは息を呑んだ。
エルシアで見た術式と同じ反応だった。
感情と共鳴する魔力。
リゼは動けずにいた。感情が溢れて、うまく息ができない。苦しくて、怖かった。
アシュレイを失うかもしれないと思った瞬間から、ずっと。
そんなリゼにアシュレイは迷わず近づき、そのままリゼの手を掴む。
「っ……」
触れられた瞬間、揺れていた魔力が何かに反応するように大きく震える。
だが今度は、不思議と苦しくなかった。
「リゼ。俺を見ろ」
低い声が耳へ届く。
「大丈夫だ。俺はここにいる」
灰色の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
その視線へ引き寄せられるみたいに、リゼの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
すると、暴れていた銀色の魔力が、静かに形を変え、光がふわりと広がる。
まるで雪が降るように、周囲の壊れかけた術式ごと優しく包み込んでいく。
そして術式は次々と安定化していった。
局員達が息を呑む。誰も見た事がない魔法だった。
リゼは呆然とその光景を見つめる。
「……どうして」
こんな魔法、知らない。
だがアシュレイだけは静かにリゼを見ていた。
その目には、確信が宿っている。
感情は、人を弱くするだけではない。誰かを想う事で、人は未来へ辿り着ける。
白の魔女が遺した言葉が、静かに脳裏を過った。
そして今。
その力は確かに、リゼの中で形になり始めていた。




