episode.24
研究局の資料室は、紙とインクの匂いに満ちていた。
高く積まれた文献、複雑な術式図。
白の魔女に関する記録を調査するため、リゼは監察局から預かった資料を運んできていた。
「なるほど……感情と魔力変質の関連性、ですか」
向かいに座る研究員――セインが感心したように声を漏らす。
年は二十代半ばほど。研究局の人間らしく穏やかな雰囲気をした男だった。
「エルシア側も、そこまで分かっているんですね」
「はい。まだ仮説段階ですが」
リゼは静かに答えると、セインは面白そうに資料へ目を落とした。
「でも驚きました。エルシアの魔女って、もっと怖い人達だと思ってたので」
「……怖い?」
「近寄り難いというか?」
セインは少し笑う。
「でもリゼさんは話しやすくて安心しました」
リゼは瞬きをした。話しやすいなんて言われ慣れない言葉だった。
何と返せばいいのか分からず黙っていると、セインは苦笑する。
「あぁ、困らせちゃいました?」
「いえ。ただ、あまり言われた事がなかったので」
「じゃあ周りが見る目が無いのですね」
さらりと言われ、リゼはまた言葉に詰まる。褒められている、らしい。
最近こういう事が増えた。王都へ来てアシュレイと出会ってから。
感情というものへ触れる機会が増えたせいか、以前より人の言葉が胸へ残る。
「あと」
セインは資料を閉じながら続けた。
「あなたは思ったより表情がありますよね」
「……そうでしょうか」
「ええ。今もちゃんと困ってる顔をしてます」
リゼは反射的に自分の頬へ触れた。困っているつもりはなかったのだが、セインは楽しそうに笑っている。
「その顔、結構可愛いですよ」
その瞬間だった。
「……随分楽しそうだな」
低い声が、資料室へ落ちた。空気がピリッと変わり、リゼが振り返る。
入口に立っていたのはアシュレイだった。
灰色の瞳が静かにこちらを見ている。感情よく見えないが何故か、空気が冷えたのだけは分かる。
「アシュレイ様」
「迎えに来た」
セインは一瞬だけ視線を泳がせ、それから何かを察したように苦笑した。
「資料の整理は終わっています。こちらでも解析を進めておきますので」
「ああ」
アシュレイはそれだけ返す。だが視線は一度もリゼから逸れない。
リゼは小さく首を傾げた。何かおかしい。空気が妙に張っている。
セインはそんな二人を見比べ、立ち上がった。
「では、私はこれで」
「はい。よろしくお願いします」
リゼが頭を下げる。
その瞬間、アシュレイの眉が僅かに動いた。
だが、リゼが気づく前にアシュレイが自然にその肩を引き寄せる。
「戻るぞ」
「……? はい」
資料室を出た後も、アシュレイは何も言わなかった。
ただ歩幅だけが少し速い。リゼは隣を歩きながら、ちらりと横顔を見る。
機嫌が悪いように見えるが、理由が分からない。
「あの……アシュレイ様」
「なんだ」
「何か、ありましたか…?」
「別に」
即答。だが声が低い。
リゼは少し考え込む。
研究局で何か問題があっただろうか。記録に不備はなかったはずだ。
「私、何か失礼な事を?」
ぴたり、と。
アシュレイの足が止まるのに合わせてリゼも立ち止まり、見上げた。
灰色の瞳がじっとこちらを見る。
その視線が妙に熱くて、リゼの胸がまた落ち着かなくなる。
数秒の沈黙の後、アシュレイは小さく息を吐いた。
「……お前は少し無防備すぎる」
「無防備?」
意味が分からず、リゼは瞬きをする。アシュレイはそんな彼女を見て、軽く額を押さえた。
「褒められたからって、簡単にあんな顔をするな」
「……あんな顔?」
リゼは固まったまま記憶を辿る。だが、自分がどんな顔をしていたのか、全く分からない。
アシュレイは小さく目を伏せ、低く息を吐いた。
「……勘違いするだろ」
「勘違い?」
「………いやいい。気にするな」
そう言いながら、アシュレイの機嫌はまるで良くなっていなかった。
低い声だった。静かなのに、妙に胸へ響く。
リゼは小さく息を呑む。
“勘違いする”。
その言葉の意味はよく分からない。けれどアシュレイの声は、いつもより少しだけ余裕がないように聞こえた。
そのせいか、胸の奥が落ち着かなくなる。
まるで自分だけが、彼を揺らしてしまったみたいで。
リゼは小さく視線を伏せる。
「……ですが」
「なんだ」
「私は別にセイン様といても落ち着きませんでした」
アシュレイが黙る。リゼは真剣な顔のまま続けた。
「アシュレイ様といる時とは違います」
心臓がうるさい。けれど、ちゃんと伝えたかった。
「あなたといる時が、一番安心します」
アシュレイは完全に黙り込んでしまった。
その顔を見上げたリゼは、少しだけ困惑する。何故か耳まで赤い。
「……アシュレイ様?」
呼んだ瞬間、ぐい、と腕を引かれ、気づけば壁際へ追い込まれている。
近い。あまりにも。
「っ……」
アシュレイは片手で壁へ触れたまま、深く息を吐く。
まるで耐えるみたいに。
「……本当にお前は」
低い声だった。そのまま額が、こつりとリゼの肩へ触れる。
リゼは動けない。胸が苦しい。熱い。
「勘弁してくれ」
掠れた声が耳元へ落ちた。
リゼは息を呑む。意味は分からない。でも今、自分はアシュレイを揺らしている。
それだけは、はっきりと分かった。




