episode.23
王都へ戻った日。監察局の廊下は、相変わらず慌ただしかった。
書類を抱えて行き交う局員達に飛び交う報告。
結界異常の調査は、リゼ達がエルシアへ行く前よりもむしろ増えているらしい。
その喧騒の中を歩きながら、リゼは静かに周囲を見回した。
久しぶりの王都。けれど不思議と、以前よりこの場所が落ち着いて感じる。
「リゼ」
低い声に呼ばれ、振り返るとそこにいたのはアシュレイだった。
視線が合った瞬間、胸が小さく跳ねる。エルシアから戻って以降、この感覚は前よりずっと強くなっていた。
「里長から預かった資料だ。先に保管庫へ持っていく」
「分かりました」
リゼが受け取ろうと手を伸ばすが、アシュレイは自然な動作で、その資料を高い位置へ避けた。
「……?」
「これはいい。お前は別の物を持て」
「ですが、重いですよね?」
「俺は男だ。これぐらい問題ない」
「そう…ですか?」
以前のアシュレイなら、ここまで気にかける事は少なかった気がする。
けれどリゼは、その変化の意味までは分からない。
ただ最近、アシュレイといると胸の奥が妙に落ち着かなくなる。それだけは確かだった。
リゼは小さく瞬きをした。胸の鼓動が早くなっている。
「どうした?」
「……いえ」
アシュレイは数秒だけリゼを見つめ、それから静かに歩き出した。その背中を追いながら、リゼは自分の胸元へそっと触れる。
熱くて早い。
エルシアで白の魔女の想いへ触れてから、自分の感情を以前ほど怖いとは思わなくなった。
むしろ、アシュレイへ向くこの感情を大切にしたいとすら思い始めている。
「……ふぅん」
不意に横から声が飛んできた。そこには、いつの間にか壁際へ寄りかかり、面白そうにこちらを見ているミレイアがいた。
「お帰り〜、二人とも」
「ただいま戻りました」
「どうだったの?魔女の里は」
リゼが答えようとした瞬間。
「問題はなかった」
先にアシュレイが口を挟む。ミレイアの眉がぴくりと動いた。
「へぇ?」
アシュレイはその無視するようにリゼを見る。
「行くぞ」
「あ、はい」
リゼは素直に後を追う。
二人の背中を見送りながら、ミレイアは深々とため息を吐いた。
「……隠す気なくなってるじゃない」
完以前のアシュレイなら、あんな風に割って入らなかった。リゼへ向く視線も違うのは一目瞭然。
距離も近い。視線は柔らかい。独占欲すら隠していない。
しかも厄介な事に、あれは全部自覚してやっている。
「面白くなりそうね」
ミレイアは口元を押さえながら笑っていた。
その頃、保管庫へ続く廊下を歩いていたリゼは、小さく首を傾げていた。
「……アシュレイ様」
「なんだ」
「ミレイアさん、何か変ではありませんでしたか」
「気のせいだろ」
即答されてしまったがリゼは納得できない顔をする。
アシュレイはそんな彼女を横目で見て、僅かに口元を緩めた。その変化にリゼの胸がまた騒ぐ。
本当に最近おかしい。
以前より、アシュレイの表情が少しだけ分かるようになった。
自分へ向く視線が柔らかい事も。触れられる時、妙に丁寧な事も。
全部気づいてしまう。そして気づく度に、胸が熱くなる。
保管庫へ到着し、リゼが棚へ資料を収めようと手を伸ばした時だった。
高い位置へ届かずにいると、後ろからすっとアシュレイの腕が伸び、資料が棚へ収められる。
自然に囲われる形になったリゼは思わず動きを止めた。
近い。背後にアシュレイの気配を強く感じる。
「……あ、あの……」
「届かないなら呼べ」
低い声がすぐ近くで響く。心臓がうるさい。
リゼはゆっくり振り返ると、思った以上に距離が近かった。
灰色の瞳が真っ直ぐこちらを見下ろしている。
逃げ場はない。けれど怖くはなかった。むしろ安心する。
その事実が、また胸を熱くする。
アシュレイは数秒黙ったままリゼを見つめる。その視線には、もう以前みたいな抑制がなかった。
欲しいものへ手を伸ばす事を、諦めなくなった目。だが同時に、踏み込みすぎないよう理性も残している。
リゼはまだ、自分の感情へ名前を付けきれていない。だから彼女自身が理解するまで待つと決めた。
けれど、その間に自分を意識させる事をやめるつもりはない。
アシュレイはそっとリゼの髪へ触れる。白銀の髪を指先で軽く払うように撫でた。
「……っ」
リゼの肩が小さく揺れる。アシュレイはそれを見て、少しだけ満足そうに目を細めた。
「そんな顔をするな。別に何もしない」
そんな顔……。一体どんな顔をしていたのか、自分では分からない。
リゼは誤魔化すように視線を逸らした。
胸が苦しい、熱い、落ち着かない。
けれど嫌ではない。
むしろ、この人にもっと触れてほしいとすら思ってしまう。その感情の名前を、リゼはまだ決めきれずにいる。
だがアシュレイは知っている。
だからこそ、静かに待つ。
自分へ向くその感情が、“恋”という形になる日を。




