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episode.19



結界巡回の帰路。


王都外縁部の確認を終え、アシュレイとリゼは石畳の路地を歩いている。


夜風は冷たく、だがそれ以上に空気が妙に静かだった。


「……リゼ?」


先を歩いていたアシュレイが足を止めたが返事がない。振り返ると、リゼが数歩後ろでふらついていた。


顔色も悪い。


「どうした?」

「……いえ、大丈夫です。少し、ふらつくだけで」


そう答える声も普段より弱く、アシュレイの眉が寄る。


「魔力酔いか」


結界へ長時間触れた影響だろう。特にリゼは、いつもより深く長く結界へ干渉していた。


結界の中にある感情の残滓に触れ続けた反動もあるのかもしれない。


「歩けるか」

「はい」


即答するリゼだったが、一歩踏み出した瞬間、身体がぐらつき、アシュレイは反射的に腕を掴んだ。


「……歩けていない」

「すみません」


謝る声が妙に素直で、調子の悪さが分かる。アシュレイは小さく息を吐いた。


「少し休むか」


近くの古い石造りの休憩所へ入ると、夜間は誰も使っていないらしく、中は静かだった。


リゼを長椅子へ座らせる。


「水だ」


差し出された水筒を受け取り、リゼは小さく口をつけた。その間も、アシュレイの視線は彼女から離れない。


リゼの呼吸は浅い。指先も少し震えている。


「……無理はするな」

「そんなつもりは」

「ある奴ほどそう言うものだ」


アシュレイの声がいつもより低く聞こえる。責めている訳ではない。むしろ、心配を押し隠しているみたいな声だった。


リゼはぼんやりと彼を見上げる。リゼが倒れないようにするためだろうか。いつもより近くて距離感が曖昧だ。


魔力酔いのせいか、頭がぼーっとしてうまく働かない。


「アシュレイ様」

「何だ」

「……怒ってますか」


アシュレイが僅かに目を細めた。


「怒っていない」

「でも、なんだかちょっと……怖い顔してます」


図星だったのか、アシュレイが眉間に皺を寄せ押し黙る。それから小さく息を吐いた。


「心配してるだけだ」


その言葉に、リゼはゆっくり瞬きをした。


心配。


最近、アシュレイはよくそういう顔をする。


寒くないか。疲れてないか。無理はするな。


まるで、リゼが壊れるのを怖がっているみたいに。


胸の奥が、少しだけ温かくなる。理由は分からないが嫌ではない。


むしろ落ち着く。


「……アシュレイ様の近くは、安心します」


不意打ちの言葉にアシュレイの呼吸が止まる。そんな事には気づかず、リゼは自覚なく続けた。


「さっきも、本当はちょっと息苦しかったのに……アシュレイ様がいたら、ちゃんと息ができました」


静かな声は弱ったせいか、普段よりずっと無防備だった。


アシュレイの理性が軋む。


駄目だ。今のリゼは正常じゃない。


そう理解している。


なのに。


「リゼ」


名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど低かった。


リゼが顔を上げる。


薄暗い休憩所。夜灯りが淡く差し込み、その瞳を揺らしている。


無防備で信頼しきった目だった。


その視線が、苦しい。


アシュレイはゆっくり息を吐く。だが熱は消えず、むしろ近づくほど酷くなる。


「アシュレイ様?」


小さく首を傾げる仕草。その瞬間、何かが切れそうになった。


アシュレイは衝動的にリゼの腕を引き、距離が一気に縮まる。


リゼは小さく息を呑んだ。


アシュレイの片手が、リゼの逃げ道を塞ぐように長椅子の背へ落ちる。


そんな中、リゼは混乱していた。何が起きているのか分からない。ただ、アシュレイの目がいつもと違う事だけは分かった。


熱を押し殺すような目。


苦しそうで、でも逸らせないような。


胸が妙に騒ぐ。


アシュレイの視線が、ゆっくりリゼの唇へ落ちたその瞬間。


リゼの鼓動が痛いほどに跳ねた。


理由は分からない。あと少し、本当にあと少しで触れてしまう。


その時だった。


アシュレイがはっとしたように動きを止める。


「……っ」


そして苦しそうに眉を寄せていた。


数秒後、アシュレイはリゼと無理やり距離を取った。


リゼは呆然と目を瞬かせる。


「あ、あの……?」


アシュレイは答えない。答えられなかった。今、自分が何をしようとしたのか理解してしまったから。


喉が焼けるように熱い。理性が崩れかけていた。信頼して、安心して、無防備に隣にいただけのリゼに対して。


それなのに。


アシュレイは片手で目元を覆う。


「……悪い」


掠れた声にリゼは困惑した。何に謝られているのか分からない。


ただ、さっき離れた瞬間、少しだけ寂しいと思った自分に気づいてしまって、胸の奥が落ち着かなかった。


夜風が吹き込む。


冷たいはずなのに、顔が熱い。


沈黙が落ちる。


その静かな空間で、アシュレイだけが必死に呼吸を整えていた。




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